裁判前夜
アリス達は夜行列車に乗って移動することに決めた。この世界のことは何も知らない二人に行き方、切符の手配や持ち物の準備など諸々はヘレンによるもので、しかもお金も全て出してくれた。アリスは申し訳ない気持ちでいっぱいだが、ヘレン曰く「これは恩返し」だという。だとしても、ヘレンをこれまで苦しめてきた柵から解放されたとしてそれは明確な形となって外に現れていないからわかりにくく、アリスに対しては見ての通り。肩に腕に大荷物。念のためフード付きのコートで身を隠している。一方的に施しをもらっているように感じるのも無理がない。
「・・・も、持つ・・・。」
人の姿になったチェシャ猫。今は人型の時の名前としてティムと呼ばれる青年がアリスの肩と腕の荷物を勝手に持ち上げる。少しは話せるようになったが、いつもの饒舌がなりを潜めると本当に別人のよう。見る人を震え上がらせる裂けた口はうまいぐあいにストールで隠していた。
「僕が持つよ!!」
ティムが持っていたアリスの荷物を、ハミルトンが横から奪い、かわりに自分の荷物を持たせた。ティムは文句ひとつ言わなかったがここで物申すのはジャスミンの役目である。
「なにがしたいのよアンタ。この子の前でカッコつけたいんだろうけど今ので台無しよ。」
「うるさい!」
この言い争いも慣れてきたもので、一周回って仲良さそうに見える。なんて思ってもアリスはとても口には出せないが。
「にしても、これがこの世界の駅かぁ。」
外壁は赤茶のレンガでできた、とても大きな駅だ。中央に時計、その上にこれまた大きな鐘がある。ジャスミンはあれを「一時間毎に鳴る物」と教えてくれた。名前はワンダーランド東駅、この世界で十位以内に入るほど巨大な駅だという。そのため、歩くのにも一苦労なほどの人混みにもまれていた。
「アンタ達の世界にもあるでしょ、駅ぐらい。」
「あるけど、見たことしかないな。」
「僕に至っては初めてだよ。」
駅の中へ入る。こんなに大きな駅となるとやはり、様々な場所にいろいろなお店が存在しているのであって。
「あの店行きましょうよ。」
ジャスミンがアリスの腕を引いて、指を差した店に連れて行った。見た感じ、お土産屋さんだ。
「遊びにきたわけじゃないんだぞ。」
ハミルトンのツッコミにジャスミンは珍しく上機嫌な笑顔と共に返した。
「昼食を買うのよ。どーせならこの駅でしか買えないもの頂かないと損した気分じゃない。アンタ達とここにはもう来れないかもしれないし、いい思い出だって作っとかないとね。」
店先に入ったアリスとハミルトンはお互いの顔を見合わせた。意外にも、自分たちのことを考えてくれているみたいだ。
「・・・かな、か・・・さかな・・・。」
ティムが二人を通り過ぎて店を物色する。かみごたえ抜群の魚の乾物と可愛いキーホルダーをレジに持って行った。ひとつはヘレンへのお土産だろう。
「んーっと、どれにしようかな。」
じっくりと見回して、アリスは一つの袋を手に取った。
「わぁ、おいしそう。見てるだけでお腹すいちゃった。」
カゴに入れたのは果物がてんこ盛りのサンドイッチ二切れ。それを見たハミルトンが。
「まさか、サンドイッチだけなんてことないよね?」
小声で尋ねる。アリスが。
「私そんなに食べないから・・・。」
と答えた途端、急に彼は驚き慌てふためいた。
「いや、まさか遠慮してるの!?このお金はみんなのためにってくれたんだから遠慮しなくていいんじゃないの!?」
「いや、だから、少食で・・・。」
実は二人の話を聞いていたジャスミンが真面目な顔で迫り寄り、アリスのカゴにたまたま近くにあった大きな揚げパンと持っていたペットボトルの紅茶を放り込んだ。
「金はともかくもっと食べなさい。細すぎて怖いのよアンタ、太れ。」
最後の言葉だけ妙に威圧感があった。続けてハミルトンが後ろの方にあるスナック菓子を入れた。
「僕は食べなくていいからほら、僕の分のお金!使っていいから!」
ついでに便乗したティムがチョコ菓子を入れた。戸惑うアリスのカゴの中が食べ物でパンパンになってしまった。だからといってどう断ればいいかもわからない。
「入るかな、この量・・・。」
いざとなればみんなで分けて食べようとか考えながら渋々すべての商品を購入。お釣りが余裕で出る安さだった。切符を切ってもらい、列車に乗り込んだ。ちょうど四人部屋が空いていたので、下の向かいの席をアリスとハミルトン、二段目はお連れの二人と決まった。とはいえ、それは寝るときの話。早速始まるランチタイムはそれぞれの隣に座って好き放題お喋りしながら賑やかに始まり疲れて終わった。ティムも片言ながら少しずつ話せるようになっていたし。あんなにたくさんあった食べ物も無くなった。夜は弁当が配られた。束の間の旅が楽しい時間で終わりそうだ。
裁判の件については誰も触れなかった。
夜行列車は真っ暗な街の中を優しい走行音を鳴らして走る。慣れたせいでわずかにしか感じなくなった振動も今ではとても心地がよい。上の段、ティムとジャスミンは早々にお眠り。ティムは猫らしく丸くなっているが、ジャスミンの寝相は最悪。足がベッドからはみ出していた。寝られないハミルトンとアリスは窓の外の景色をただただ眺めていた。どんなに綺麗な夜景も、一瞬にして遠ざかる。それがまた違う景色に見えたり。ほのかな照明が、二人の顔を窓ガラスに写していた。
「夜っていいな。」
アリスが呟いた。この声は、夜の外観に見惚れて出るような声ではなかった。心ここにあらずと言ったぼんやりした虚な声だった。
「なにもかも吸い込まれそうで染められそうなぐらい真っ黒な空。私もいっそ吸い込まれて、染まって、私じゃなくなりたい。」
なんて事まで言ってしまったらハミルトンに馬鹿にされるオチが嫌でも浮かんでくる。綺麗だと思う言葉に余計な感情が加わって嫌と思えるものにしたくないアリスは胸の中にしまった。
「ねぇ。記憶が戻ったって・・・どのぐらいまで?」
久しく面と向かってない顔を向けて、ハミルトンが話しかけてきた。
「どのぐらいって?」
「自分自身のこととか・・・あっ、そうそう。どうやってここにきたか、思い出したんじゃない?」
いつか聞かれると思っていた。お行儀よく揃えた手に力が入る。
「う、ううん。あの森を抜けたはずなのに、そこだけは思い出せていないの。ごめんなさい。」
ハミルトンは頬杖をついて窓の外の何も見えない景色を眺めていた。
「ここに来た時の事を思い出したら元の世界に戻れる手がかりになるかもって思ってたんだけど、焦らなくていいし、なんなら思い出せなくてもいいよ。僕はこの世界に残っても大丈夫だからね。」
暗い表情のまま俯いた顔を上げた。
「ハミーさんはダメって言わないの?元の世界に戻るのが嫌なんて、あり得ない。」
「君はどうしたいんだ?」
彼女の方を見向きもせず、被せるように質問を質問で返してきた。
「帰りたくない。あんなところ、戻りたくないよ。でも元の世界に戻りたくないだなんて、すごいわがままで、良くないこと。」
「なんで良くないの?」
今度はさきほどよりもはっきりと力強い声で聞き返してくる。しかしアリスが言葉に詰まったのは、彼の言葉。
「それは・・・。」
何が良くないのか。アリスもわからない。「常識に外れた行為であるから」と漠然な考えしか浮かばず、その「常識」ですら説明しろと言われたらできないとても曖昧なものだった。答えられないアリスとの間に気まずい沈黙が流れる。答えられないことはハミルトンの想像していたとおりだった。ベッドの上に横になり、アリスに背を向けた。
「罪を犯したわけでもあるまいし。君は我慢しすぎなんだよ。自分の人生なんだから少しぐらいやりたいようにやったっていいだろ。」
ハミルトンの次の言葉を待ってみたが、なんと寝息を立てた。睡眠を必要としないはずだったが、そもそも人の死体にぬいぐるみの頭をくっつけられるという未知の構造である彼を理解でかるはずもなく、アリスも仰向けになって毛布を頭が出る高さまで被った。
「言えない。」
みんなが寝静まった今、声に出してなど言えない。目と鼻の先にある天井を相手に言えなかった後悔を心の中から語りかける。
「・・・自殺しようと橋から飛び降りたら、ここに来たなんて。」
今度は自身の思い出したくない記憶に、ほんのわずか胸を締め付けられるほどの苦しさに苛まれたが、「自分の存在とは何か」に考えを移すとやがて体の中のモヤモヤしたものが全部抜け切って全身にふわふわと浮遊感が包んだ。浮遊感の正体が虚無感とわかっているためにいい気分はしなかった。
「はぁ・・・。」
無意識にため息をついた後、目を閉じるとあっという間に眠りに落ちた。
時刻は深夜の二時。ジャスミンのベッドにて。毛布がモゾモゾと動いていると思いきや、出てきたのはネズミ姿のジャスミンである。実を言うと、宿屋でアリスがお手洗いに行っている際に静かに変身できる技を獲得していたのだった。自由の鍵のパチモンみたいな何かを抱えながら梯子を珍重に降りようと試みたが体型の問題でやはり難しく、足場を外して落ちてしまった。幸いにも誰も起こしちゃいない。
「降りてから変身した方が良かったかしら・・・。」
おそるおそるハミルトンの方をうかがう。彼に対しては細心の注意を払う必要があるのだが・・・。
「まさか、コイツも寝てる・・・?」
試しに蹴ってみても、びくともしない。
「やっと、やっと寝てくれたわ!」
小声ではしゃいだあと、アリスの服のポケットに上半身を潜り込み、自由の鍵を取り出した後に自分の持っていたものを入れた。自由の鍵の紐を体に巻き付け、梯子をよじ登り、何事もなかったかのように毛布の中に戻って人型に化ける。この一連の作業も非常に慎重に、時間をかけて行われた。
「・・・盗むだけじゃバレるかと思ったから買っといてよかったわ。「時が経つと砂になって消える粘土」。」
回想に入ると、アリス達が天井にいてチェシャ猫は外をほっつき歩いている夜の出来事。
「はぁ!?なんで私が!?」
ヘレンが手を合わせて頭を下げ、ジャスミンに何かを頼んでいる。
「アリスから鍵を盗めってむぐっ!!」
今度はすかさず正面から口を塞がれた。人間ながら俊敏な彼女を細い腕のどこにそんな力があるんだといわんばかりの怪力で押さえつけられて、それだけで驚愕と恐怖に値すると言うのに。
「お願い・・・私がするはずだったんだけど、難しくて・・・。」
潤んだ瞳に上目遣い、困り顔とやっている行動及び腕の力が不釣り合いにもほどがある。ヘレンが手を離すと口だけ塞がれていたにもかかわらず大袈裟な息切れを起こした。
「はっ・・・はっ・・・じゃ、じゃあ、猫にさせたらいいじゃないの。」
「彼には別の役目があるの。あっ、このことはぜーったい誰にも言っちゃダメよ!」
真意も意図もなんにもわからず、押しつけられるが如くの勢いで頼まれた。断ったら断ったでもっと面倒なことになりそうな気がしたし、本能的に敵わないとでも思ったのだろう。
「何を企んでんのよ・・・。」
罪悪感もろもろにだっと疲れがたまったジャスミンは分も立たないうちに寝てしまった。
–––・・・。
終着駅にたどり着いた一行。この列車を降りて、徒歩で十分ほどの距離に目的地。アリスは深呼吸して気持ちを落ち着かせてみたが、息を吸って吐いただけで体の強張りといつもより速い鼓動はどうにもならない。
「ま、私たち関係ないんだからお客様感覚でいればいいのよ。」
アリスの頭を無造作に撫でるジャスミンは励ます時の様子にしてみれば少し落ち着いていた。駅の出口を目指すうちに人が増える、増える。押し寄せてまともに歩けなくなる。
「な、何よこの人だかり!」
「さあね!裁判だからなんじゃないの!?」
一行のうるさいネズミとウサギが喚きだす声さえかき消されるほどの雑踏が一度に流れ出す。
「アリス・・・!」
「ハミーさん・・・。」
離れまいと手を伸ばしたアリスのかぶっていたフードが外れた。沢山の目線がたった一人に集まった。国中の人と追いかけっこをしているようなアリスはこの後どうなるか、誰もが予想していた最悪の展開が全員を巻き込む。
「この顔は、チラシの・・・!」
「連れて行けー!」
まるで一人の少女をやってたかって、賞金首をひっ捕まえるみたいに。
「ハミーさん!みんな!」
誰かに腕を掴まれ、連れて行かれるアリス。自ら赴こうとした足も意味がない。ジャスミンもティムもいつのまにが引き離された。もうどこにも見当たらない。
「アリス!!」
人混みをかき分けて彼女の方へ踠き進もうとするハミルトンの腕も掴まれてしまった。彼こそ関係ないのに!アリスの名前を叫ぶ声も、アリスの耳に届くことはなかった。
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