裁判前夜、宿屋にて

チラシを手に取ると、そこにはこう書かれていた。


第194回王国主催大クロケー大会中止のお知らせ

(以下読み飛ばし)

「ひゃくきゅ・・・結構やってんだな。」

「クロケーってなに?」

覗き込むアリスとハミルトンに疑問を持って欲しいのはそこではなかったみたいだ。

「んもぅ!そこじゃないわよぅ!」

我慢ならずに唇をひん曲げたヘレンがチラシを取り上げる。

「なんでクロケー大会が中止になったのか、よ!」

「知るかよ!」

すると、今度はこちらを馬鹿にしたように鼻で笑ったあと、胸をそらして人差し指を振る。

「兵士が話しているのを聞いたのよ。なにしろ競技に使うために準備していた道具がなくなっちゃったんだって。」

「・・・ふーん。お気の毒に。」

隠しもしない素っ気なさと、それ以上聞く気がないので当然質問は返ってこず。ヘレンは真面目な顔でこっちの気など関係なしに続けた。

「道具が勝手に動くわけないでしょ?倉庫にあったものを・・・誰かが持ち出したとしか考えられない?」

「・・・なんのために?誰が。」

「できるとしたらお城の関係者ぐらいね。目的は不明だけど。」

「クロケーを開くことがそいつにとって不都合だったのか?」

話に置いてきぼりのアリスは話す度にそっちに視線を向けておどおどした素振りで聞いている。

「なんにしても女王の部下が勝手な行動なんて絶対にできない。そんなことあり得ないと思うけど、出来ないようになっているの。例えば、電気はスイッチを押したら明かりを灯す以外できないでしょう?そういうことなの。だから無理。」

「ふ、ふーん・・・?」

半ば生返事だった。当たり前の常識を説かれている風にも関わらず、非現実を聞かされている気分だった。長居するわけでもない異世界での当たり前を理解しようとは思わないが、それでも、理解したくてもできない不快感があった。「難解」だからではなく、「異質」だからわからない故の気持ち悪さ。ちなみにアリスはそこまで深く考えていなかった。

「嗚呼、場狂わせもいいところ!女王の邂逅は一番の山場!そこを端折って読むラストなんてライスのないカレーね!!」

ヘレンは一人だけスポットライトを浴びて注目の的に酔いしれる女優みたいな恍惚とした表情で微妙な角度に顔を上げている。もやもやしっぱなしのところに謎の行動で掻き乱されてキャパオーバーのハミルトンは黙り込むしかない。

「確かにカレーっていうけどカレーライスが正しいよね。あれ?でもカレーはカレーよね?」

アリスは新たな謎に頭を抱え始めた矢先、不満いっぱいの低いボソボソとした声が白いシーツでできたまんまるの塊から聞こえた。

「うん、うー・・・っさいなぁ。」

ネズミの少女が頭を覗かせる。朝っぱらからかそんなに眉間にシワを寄せなくても。

「おはよう。」

最初に声をかけたのは意外にもハミルトンだった。寝起きで頭がうまく働かない少女は、通常時なら嫌みを返しそうなところを普通に、未だ不機嫌そうに返した。

「おはよう・・・まだ寝ても良いよね?」

「おはようって返しといてまたおやすみする気かよ。」

時刻は八時。起きるには早すぎず、遅すぎずといった時間だが寝るにはもう遅い。眠たいのなら仕方がないのだが。その時、部屋が一瞬にして暗くなった。おやすみに合わせて空が明かりを下げてくれたのだろうか。なんて軽い気持ちで窓の外を覗いたら、いっぱいに毛むくじゃらの顔が。ヘレンの愛猫、チェシャ猫だ。

「やあやあご機嫌様。」

「ぎゃーっ!!」

窓一面の中の顔はなかなか迫力がある。臆病なハミルトンはみんなより後ろへと下がってしまったが、そんなのはまだ良い方で、少女は加えて大絶叫。やはり捕食の関係は根付いているものなのか、姿を変えても変わらないものらしい。

「あのまま外で寝たの?」

「まあね。」

宿屋に入れてもらえないので今回は仕方なくそこらで野良暮らし。本人は満喫しているようで、声もいつものニヤニヤ顔も穏やか、鼻のあたりにいっぱい細かい葉っぱがついている。

「真新しいふかふかのベッドの寝心地はいかがだったかな?」

この問いかけはおそらくアリスに向けたもの。

「ええ、最高だった。チェシャ猫さんも部屋に入れたら、一緒に寝れたのにね。」

「いやいやこっちだって。こういった人目のつきやすい場所に生えた芝生は違うもんさ。手入れされてふさふさで、良い寝心地だった。」

ほら、やっぱり野良猫を楽しんでいた。ヘレンが拗ねる。

「お手入れされていない庭で悪かったわね。」

「ああ、あんなとこで寝ようと思わない。家の中に君がいつも座るソファーという最高のベッドがあるからね。」

急に、チェシャ猫の大きな双眸がギョロリと見開いてハミルトンの方を捉える。こんなの、彼でなくとも怖気つくだろうというぐらいの目力だった。

「・・・あっ、やべ。忘れてた。・・・昨日、そこの白兎を元に戻す術を教えると言ったね。」

実はここに再び顔を覗かせてからいつ切り出そうか様子をうかがっていたハミルトンだったが、幸いにも彼から話を変えてくれた。・・・いや、思い出した、と言うべきか。

「覚えててくれたの?」

嬉しそうなアリスに対し。

「いま、忘れてたって小声で言ったの聞こえてたからな。」

彼の大きな耳は逃さなかった。チェシャ猫は知らん顔。

「なんのこと?」

お次はヘレンが話に置いていかれてしまった。そういえば、ハミルトンの今の状態を知っているのはアリス、チェシャ猫、そしてここにはいないジャックだけだった。

「方法は簡単。僕のご主人にもしたように、その鍵を使うのさ。」

流れる沈黙。アリスは思ってもいなかったろう。まさかこれを、自分の仲間の為に使うだなんて。ハミルトンだってそう、彼らとはおかれている立場が違う。ゆえにそんな発想すらなかった。

「自由の鍵は我らを物語通りにしか動けぬ「登場人物」から解き放つ鍵。白兎がすでにこちら側なら可能ではないか?」

相変わらず窓に張り付いたまま。話し方が固くなっても声は、ゴシップ記事を楽しさいっぱいで読む抑揚だ。

「僕が言うのもなんだが、それなら完全に進行した後の方がよくない?」

「いや、手遅れになった後ではいけない。まだ君が自分自身だと認識できる今のうちでないと。君の記憶は忘れ去られていくのではない。消えてしまうんだ、完全に。いくら綺麗な字で執筆された手紙にインクをこぼして元に戻るかい?」

昨日はカレーに続き今日はインク。やたらドロドロしたものに例えられがちだ。いい気はしない。カラーについては二連続だ。

「例え話が好きだねえ。」

皮肉を返した後。

「ちなみに失敗したら?」

と聞いたなら。

「さあ。」

・・・と、生返事が返ってきた。

「ま、やってみたいならやってみたら?決めるのは君達だから、責任は一切問わないからそのつもりでね。」

本当に他人事極まれり。あくまで自分は提案を教えたまだでそこから実行するかは自分達次第、と言いたいようだ。実際、決めるのはアリス達なのだが。

「・・・・・・。」

といっても、お互い気まずい空気に縛られて動けないまま。あとはタイミングだけなのだが。

「どうしたの?」

「さあね。」

ヘレンは少し距離をとって見守り、チェシャ猫は持て余したしっぽを揺らしながら眺めている。

「・・・。」

さっきから黙って話を聞いていたネズミの少女が不満そうな顔で、こっそりと立ち上がり二人の横を通り過ぎる。アリスの視界に映るのは、こっちを見向きもせず忍びあしでドアへと向かう姿。だから気にしなかった。きっとお手洗いか、喉が乾いたから水分を摂りにいくのだろうと。だが・・・。

「のわっ!!」

「きゃ・・・。」

なんと少女が、ハミルトンの背中に蹴りをいれ、アリスを巻き込んで雪崩れて倒れた。アリスは背中と、前からは体重がのしかかっての二重苦に加えて頭を打ち付けたものだから痛く苦しい。一方でアリスの構えた鍵がハミルトンの鳩尾あたりに食い込んんで、その痛みと圧迫感は比ではない。ただ、そんなことさえも全て吹っ飛ぶぐらいのまばゆい光が二人を包んだのだ。

「眩し−−・・・。」

意識が持っていかれる感覚。鍵から放たれる光が、鍵を持つ手が、ひどく熱い。今すぐ離れたいのに、なぜか体が引き寄せられてそれすらもできない。

「何が起きているの!?」

ヘレンがただ一人動揺を露わにしている。少女は息を呑んで難しい顔で見守り、チェシャ猫は傍観者気取り。数十秒、短いが長く感じた時間も終わり、光は止んだ。そこには二人が横に並んで倒れていた。

「・・・えーっと。」

恐る恐るヘレンが声をかけると、先に起きたのはハミルトン。膝を折って、座り込む。

「大丈夫?」

「・・・あぁ、なんだか、頭がボーッとするけど・・・。」

直後、アリスも起きた。ハミルトンが呼びかけるまでもなく。

「アリス!大丈夫!?」

でも彼の心配や不安が解消されたのではなく。だって、不意打ちとはいえ自分が押し倒して彼女は頭を強く打ち付けたのだし。アリスはズキズキと疼く鈍痛に眉を歪ませるも、嘘をついた。

「うん、平気・・・。ハミーさんは、どう?その・・・。」

「どう、って言われても・・・。」

アリスには彼の記憶について確かめようがない。そこで、冷静で賢いチェシャ猫の出番。

「白兎ならあれだね、城の事で何か覚えていることあるかい?」

ハミルトンは自分の中にいたお邪魔虫を全否定したいが如く、飛んでいきそうなほどの勢いで首を横に振った。

「行ったことすらないのにわかるわけないじゃないか。」

「わからない。なるほど。君がどこまで白兎としての記憶を思い出したかもわからないから、聞きようが難しいな。他何か、白兎について何か思い出せることはあるかい。」

「・・・いいや、なんにも。どこの誰か、僕はなんにも知らない。ほんとだよ。」

チェシャ猫のいつものニヤニヤ顔が妙に誇らしげだ。

「その調子だとなんとかなったみたいだね。」

「よかったわ!!」

自分の事みたいに大喜びのヘレンはあふれる気持ちを抑え切れず、まずは彼に飛びつき抱きついた。華奢な体に見合わず意外にも力のある腕にきつく締められ、振り回される。後ろには意地悪そうに目元口元を吊り上げて笑う少女が仁王立ち。

「やっぱアンタは生意気なクソガキでいてくれないとね。だってその面でお利口にされたらただのかわいいウサギ頭じゃない。可愛いキャラ被りは勘弁なのよ。」

「被ってねーよ、いって!!お前!さっきも蹴ってくれたよな!?」

今度は足を踏まれて文句をあげる。女の子二人に囲まれてもハミルトンはあんまり嬉しくはない。彼が一番喜びを伝えたくて、喜んで欲しい人は内気なもので、主張が強い女性と気の強い女性の勢いに割って入るのを完全に尻込みしてしまっている。しかし、表情には安堵で綻んでいるのがわかった。アリスの気持ちは伝わったのだから、名前を呼ぶなどして無理に巻き込むことはしなかった。彼女の性格上、逆にかわいそうだとも思ったのだろう。

「私お手洗いに行ってくるね。」

アリスはみんなに向かって微笑みかけた後、部屋を出た。さすがにハミルトンもこの時のアリスを気にかけたりしなかった。だって表面上はいつものアリスだったから。


洗面台に手をついて、俯くアリスの顔は真っ青だった。ゆっくりと細い息を吐き出して吸い込むときは一気に空気を取り込んだ。

「・・・誰かの記憶が一気に流れ込んできた・・・。あれはきっと、ハミーさんの記憶を侵食していた白兎の・・・。」

やはり人の記憶が勝手に入り込んでくるのはいい気がしない。しかも、それだけではなかった。

「随分とひどい記憶だった。ハミーさんはなにも言わなかったけど。」

白兎、ハミーの現在の体の主。その体にも刻まれた記憶はとても見るに耐えない物だった。女王からは酷使され、部下から受ける態度もあまりいいものではなく、民衆の不満の声の受け皿となるのは彼の役目だった。極め付けは殺される時。それはもう、ここで語ろうとしても結局躊躇うほどの悲惨なもの。

「・・・。」

アリスを今のような状態にしたのは彼の記憶だけではない。彼の声を聞いたのだ。幻聴かどうかはわからない。記憶を見た後では確かなものに聞こえてきた。


–僕はどうなるの?–

–この体を知らない奴に奪われて残された記憶も消されて、僕はどうなるの?–

 

悲しい、弱々しい、けど芯のある訴えかける声がアリスを責めるように何度も何度も繰り返す。

「ハミーさんを助けることしか考えてなかった、でも。」

顔を上げた。やつれた顔で。

「私、とてもひどい事をしてしまったのでは?」

優しい彼女は知らない人の悲しみまで背負い込み、考え込んでしまう。しかし、終わったことなのだ。言うなればもう取り返しはつかない。

「しっかりしないと。余計な心配させちゃダメ。」

首を振る。両頬を二度叩く。ぎこちなくも決意を固めた顔が鏡に、そして力のこもった瞳に映った。

「この罪を背負うのは私だけでいい。」

鏡と睨めっこしながらそう呟いて、お手洗いを出て行った。アリスを苛む声はいつしか聞こえなくなっていった。


部屋に戻ると、想像を絶する光景がアリスを衝撃と共に迎えてくれた。

「うわぁ。」

口から出たのはそんな間抜けな声のみ。部屋の大半の面積をチェシャ猫の巨体が占めており、その下からハミルトンの頭だけが覗いていた。完全にもふもふの下敷きと化したわけだが、毛を含む重量に押しつぶされて苦しそうなのが伝わってくる。

「た、助けて、アリス・・・。」

声だって喉が潰れてカエルの鳴き声みたい。

「やあ、アリス。ちょうどいいところに。」

飛びのきながら一瞬で体を縮め、肥満の猫みたいな大きさにとどまった。

「死ぬ。」

ハミルトンは大の字で動かない。

「その鍵ってやつの力を僕にも使ってみてくれないかい。」

「えっ!?あなたに?」

まさかのお願いにアリスはびっくり。だって、一番どうでも良さそうに見えたから。

「ダメかい。ハイスペックネコチャンにでもなれるかなと思ったんだけど。」

「はい、すぺ・・・いいけど。」

特に断る理由もないので、彼の願いを引き受けることに。ヘレンはなにも口出さないので承諾してるとして、少女は無言で睨んでいる。彼女にとってチェシャ猫がどんな姿であろうと天敵には変わらないのだから無視するとして。チェシャ猫が仰向けに寝っ転がった。動物でいう一番無防備な体勢だ。ああ、できるならいますぐその手触り抜群の毛の中に埋れたいところをぐっとこらえ、若干の抵抗を覚えつつアリスは鍵を突き刺した。

「えいっ!」

この作業ももはや慣れたもの。だが、ひとりひとりに想いを込めることは忘れずに。案の定光の色も感触も違う。今ではこの光がとても心地よく感じる。まぶたの裏で光が消えるのを感じて目を開けると、変わらない格好のチェシャ猫がいた。

「変化・・・なし?」

「どちらにも、ね。いや、待てよ?ちょいとそこのネズミ娘。その姿はどうやった?」

鼠特有の長い尻尾を揺らしながら気難しそうな顔で答えた。

「人間になれーって心で叫びながら何かした、だけ。私の場合空中一回転とか。」

ほとんどフィーリングに近い答えを投げ返される。チェシャ猫にとっても感覚的に近い答えの方がわかりやすいらしく。

「じゃあ僕もそれにしよ。」

「なんなわけ?」

「せーの・・・。」

ジャンプして空中一回転!地面に着地したチェシャ猫は長身細身で少し癖があるが整った顔の青年へと変身した。いや、癖がありすぎるというか。口が裂けていたのだ。

「ぎゃー!!!」

「ごめんなさいごめんなさい!」

気になって起き上がったハミルトンと、二人抱き合ってしがみつき、同時に叫んでアリスはひたすら謝っていた。まさか、こんな状態にしてしまうなんて・・・。少女は目を剥いて固まっていた。

「まあ、チェシャ猫!それだけ大きなお口だとさぞかし声も大きくて喧しいのでしょうね!」

ヘレンは大喜びだ。チェシャ猫が口を開くと。

「ァ・・・ッア〝・・・。」

呻き声が漏れた。本当に、死にゆく者が最後の力を振り絞ってかろうじて出したような、そんな感じの声。チェシャ猫はすぐに元の姿に戻ってしまった。

「うまく喋れない。練習が必要だが、面倒だ。」

「えぇー・・・。」

もっと人の姿を見たかったために不服そうなヘレン。ほっと一安心のその他の人たち。

「何かあると見せかけて大してなにもない、そんなオチで締めくくったら和むだろう?」

チェシャ猫がいつもの笑顔で締めた。



時刻は昼前。息抜きがてらつろいでいたみんな。いや、お手洗いに行っていた少女を除いて。少女もいつまでも名前がないのは不便ということで自らを「ジャスミン」と名乗った。最近飲んだ紅茶に使われた茶葉からとったもので、人の名前にも使われていることを知っているからつけのだと。

「大変よ!」

ジャスミンが力強くドアを押し開け、ひどく焦った様子でチラシを持って戻ってきた。ヘレンに比べたら大人しい方だが、ヘレンが普通の人の二倍も三倍も動作が大袈裟なだけである。彼女の慌てようで何かあったとすぐわかった。全員がチラシに視線を向ける。クロケー中止のポスターと違いシンプルで、綺麗な文字と堅苦しすぎて冷ややかな印象さえ与える文章で綴られていた。要約すれば、こうだ。

ハートの城内にある裁判所で、緊急の裁判が行われる。内容はクロケー大会の中止の件について。

「緊急裁判!?」

叫ぶのはヘレンと。

「そんなことで裁判やるの!!?」

至極普通のツッコミを入れるハミルトンと。

「開催日・・・明日だね。」

この中で唯一冷静なチェシャ猫。

「それとこれも。チラシと一緒にもらったの。この顔を見つけたら必ず連れてくる事。」

しかめっつらのジャスミンが読み上げたあと、もう一つの紙を見せる。

「・・・!!」

古びた薄茶の紙の真ん中に大きく、アリスの写真が載せられていた。いつ撮ったかもわからない写真を無断で。恐怖さえ感じたのは前述した理由もあるが、無関係のアリスがなぜ呼ばれるのか。アリス本人を含め、チェシャ猫を除く全員の頭は、疑問、混乱、概ねその二つでいっぱいだ。

「なんで?なんでアリスが?」

「そうよ。クロケーと全く関係ないじゃないのさ!」

チェシャ猫は声に出さぬ声で呟いた。

「まさか、むこうからアリスを招くだなんて初めてなんじゃあ・・・?」

一同は黙り込む。しばらくして口を開いたのはジャスミン。

「もし国中に配られたら、アリスの逃げ場所はないわね。」

理不尽だが、現状は変わらない。

「・・・どうせ行かなきゃならないなら、こっちから行ってやりましょうよ。」

ヘレンの提案に、やはりチェシャ猫を除いて驚いた顔が彼女と面と向かう。ヘレンは真剣だ。

「欠席する方法を考えようよ!」

「無理よ。」

ハミルトンの反論は即座に否定された。

「国がこう言ったら民は誰も逆らえない。みんながアリスちゃんの敵ね・・・そんな奴らに捕まって連れてかれるぐらいなら、と一緒に行った方がいいでしょ?」

ヘレンもジャスミンもチェシャ猫もこの国の民であることには変わらないし、アリスの仲間だというのは知られていない。少なくともヘレンは女王の部下に顔が知られているという点で動きにくいだろうが、人の姿に化けたジャスミンとチェシャ猫を彼らは知らない。

「公爵夫人は無理でしょ。女王サマに目をつけられてるもんね。・・・ね?」

「は?何よ・・・え?私が!?」

チェシャ猫がジャスミンの腕に顔をすり寄せる。可愛い仕草も、ジャスミンにとっては気持ち悪くて仕方がない。さりげなく行けと言われているものだし。

「僕も行くからさ。ああ、もちろん。さっきの姿でね。」

「猫と?最ッ悪・・・。」

なんとなく覚悟はしていたジャスミンはアリス達と共に行動するのが嫌というわけではないのが、「猫と?」の言葉を強調したあたりに現れていた。

「えっと・・・あの・・・。」

アリスは落ち込み、悩んでいた。向こうの勝手とは言え巻き込んでしまった彼女にかけるべき言葉はお礼か、謝罪か。あるいは両方なのか、しかし両方いうのは変だとか。考えるのに気を取られ申し訳なさそうなのは表情と仕草に出っ放しのアリスの背中をジャスミンが叩いた。

「アンタがうじうじてどうすんの。人を巻き込んでんならもっと堂々としてなさい。」

「ここまで一緒なんだ、旅は道連れってね。」

チェシャ猫はアリスの隣に丸くなった。

「頼もしい仲間がいてよかったわ。堂々といえば、あなたは何もしてないんだから裁判所に行っても何食わぬ顔してりゃあいいわよ。」

アリスの両隣が埋まったのでヘレンはチェシャ猫の大きな体の上に上半身を委ねた。ハミルトンは黙っている。「どちら側」なのかわからない自分に励ましの言葉は浮かんでこなかった。


さあ、そうなればゆっくりしていられない。ここからハートの城は遠くもないが近くもない。万が一に備えて今すぐにでも出発と準備をしなければ。



–一方、鏡の国の城–


赤と白、まるでチェス盤みたいな床に金色の装飾が華やかな部屋の奥のソファーにエデルトルートが足を組んで腰をかけていた。ドアをノックする音が部屋に響く。

「失礼します。」

「どうぞ。」

軍服に長い帽子をかぶった若い男が扉を開けた。

「こちらを。」

エデルトルートに渡した、一つの封筒。中から取り出した手紙をゆっくり目で追った彼女は愛おしそうに微笑んだ。

「へぇ、そろそろいいってことね。」

近くの小さい肘掛に置いた。

「また動きがあれば連絡が来るわ。いいこと?こちからの指示もあちらのみんなに滞りなく伝えなさい。」

「はっ!・・・こちらの方も、念には念をとしっかりと仕込んでおきましたから準備万端であります。」

敬礼をしたあと男は意味深な言葉を残し、きびきびとした動きで部屋を出て行った。再び誰もいなくなった部屋で、彼女は笑う。

「ふふっ、さーて・・・とっておきの隠し駒を惜しみなくお披露目する時が来るのかしら?」

目の前のテーブルにガンッと強い音と共に足を下ろした。エデルトルートの表情は、例えるなら歴史に名を残す程の「悪女」がぴったりの歪んだ微笑を浮かべていた。

「キヒヒッ、楽しくなってきた。反吐が出るあんのクソみてぇな澄まし顔がどう歪むのか、想像するだけで昂ってくるわァ・・・。」

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