これからのこと 前編

兵士が二人彼女を挟み撃ちにする。銃は同時に別方向には撃てない。彼女が一人を撃ってもその間に斬られるのがオチだ。ヘレンは躊躇いなく、間合いに入られるまでに目の前の兵士の顔面を撃ち抜いた。

「この・・・ッ!」

後ろの兵士が斬りかかる。すかさず割り込んだチェシャ猫が彼の顔に覆いかぶさった。剥がそうともがいている隙に、ヘレンはチェシャ猫ごと撃った。というのも、チェシャ猫は自身の体を気化することができるのでそれを活かした二人のコンボだ。ヘレンの周りには死体が三つ。残り一人は半ば錯乱状態でヘレンの頭上に剣を振り下ろした。

「させるか!」

自由の身となったハミルトンが彼の足を蹴飛ばし、鉄の塊は地面にうつ伏せに倒れたあと腹を撃つ。

「・・・さて。」

小さなおみ足で力一杯死体の頭を踏みつけたヘレンは余裕のすまし顔でライフルを肩に担いだ。

「ここで抵抗できても無駄だというのに・・・。」

「困ってる人を黙って見過ごせない性分だもの、ごめんなさいねぇ〜?で、まだ何か・・・。」

次の瞬間、ジャックの腕が真っ直ぐ伸びてヘレンの無防備な胸を突き刺した。中指に寄せた他の指、まるで剣の切っ先のように尖らせた手は背中を貫通し、赤い血に塗れて滴り落ちる。

「・・・っ、あ・・・。」

「そんな・・・!」

絶望、無力感に打ちひしがれて膝を落とすハミルトンと、アリスもあまりの凄惨な光景に震え上がり、声すら出なかった。何もかもが信じられない。自分を体を張って助けてくれた人が、目の前で命を散らしている。その傍ら、チェシャ猫は笑っていた。こうなっていても、「だから?」みたいな顔で。


ヘレンの腕が動いた。自分を貫いて離さないその手を掴み、握り、捻る箇所からはミシミシと力が込められているとしか思えない音が聞こえる。そういえば、ぶら下がった右手はライフルをしっかりと持ったままだった。

「嘘だ、お前心臓を貫かれてるんだぞ!?」

ジャックもいつもの畏った態度で取り繕う余裕がない。戦慄している。

「あなた、やけくそに走るなんて、随分お困りのようね?」

冷え冷えとさせる、まともじゃない笑みに脳天から背中あたりにかけてまで凍てつく感覚に襲われる。小さくも、言葉を発している、普通ならあり得ない。事切れていてもおかしくないのに。

「私はそう簡単に死なないわよ。あなた達が殺してきた分、私は死なない。これも報い!!」

なんと、自分を刺している腕を、しかも片手であらぬ方向へ捻り折った!

「ぐあああッ、貴、様・・・!」

嫌な音と共に体を引き抜いたヘレンは開いた胸を赤黒い血で汚しながらも両足はしっかり地に付いている。これでもかというほど開ききった双眸と白い歯、表情筋が彼女の笑顔についてこれず僅かに痙攣している。おおよそ人間のできる表情ではない。隣にいるチェシャ猫がよほど愛らしく見える。アリスやハミルトン、ジャックでさえ見たことがない、体全部の神経が凝結したかのよう。恐怖に晒されているのか、極寒の寒空に晒されているのかわからない。ジャックは苦虫を噛み潰したような険しい顔で睨み、力なく下がった腕を庇う。押さえた手が光っているので、きっとお得意の魔術で回復を試みているのだろう。

「・・・鍵が!」

ここで自由の鍵が光を放った。

「魔力切れさえなければ、こんなことには・・・。」

「魔力切れ?」

興味津々で目と鼻の先に現れたチェシャ猫を振り払おうとした時に、銃声が轟き、肉に弾丸が食い込んだ。撃たれた箇所、左上肢から崩れ落ちる。静かな森にはあまりにも不釣り合いな絶叫と、硝煙と鉄の臭い。

「アリスちゃん、立てる?」

ヘレンの声に、頷くまでもなく立ち上がったアリスはあれほど酷い目にあっても頑なに渡さなかった鍵を手に握りしめていた。ジャックが探し求めていたもの。激痛に意識が散乱しながらも、まだ動ける方の手を伸ばす。それもヘレンの足が邪魔をした。

「まさか、お前ら、や・・・やめろ・・・。」

一歩ずつゆっくりとアリスは、虚ろな顔を俯かせたまま彼の元へ。鍵の力を、今度はジャックに使うつもりだ。彼はなぜか、拒んだ。その様子たるや、折の中に猛獣と一緒に放り込まれた哀れな見世物役。ハミルトンは黙って様子を見ていた。チェシャ猫は消えていた。

「やめろって言ってるだろ!!僕には・・・僕にだけは使うな!」

「なんで?消えちゃうわけじゃないでしょ?」

ヘレンが足で彼の腕を踏みにじる。痛みに耐えつつ喚き散らかした。

「そもそもお前が死なないからおかしくなったんだ!僕がお前が死んだら全てが元どおりになる、僕の、がッ!?」

煩い口は銃口をねじ込まれることにより塞がれる。

「悪いようにはならないわ。いいわよアリスちゃん、やっちゃって。」

親指を立てたヘレンは、ようやく明るい陽気な笑顔を見せてくれた。足を穿つ痛みが勝って腕に力が入らなくなる。なにより、アリスの瞳にあらゆる意識を持ってかれていた。彼女もまた、生きながら死んだ目で自分を見ている。


アリスに躊躇いはない。自分の行為を救済だと思い込んでいるのだから。馬乗りで、腕を振り上げ、鳩尾に鍵を突き立てる。あたり一面、白い光に覆われた。周りにいる者でさえ目を庇っているのに、至近距離で強烈な光を放たれては目蓋を閉じても貫いてくる。見えないが、腹部にはまだ重みがある。少しでも退いた気配はない。手慣れたものだ。今まで何人を救ったのだろう。

「・・・何が自由だ。」

心の中で虚しい言葉を呟く。

「自由を得たら、もっと苦しいだけだというのに。」


光がしずまった。状況は変わらず。

「・・・。」

痛みがない。ジャックは腕を上げた。体の傷も全てが回復していることに驚きだった。だが、それ以外の変化は見られない。

「チェシャ猫!」

ヘレンの呼びかけに応えて木から降り立ったチェシャ猫はひとまわりほど体が膨らんでいた。

「例の場所に二人を連れてって頂戴!私は後からいくわ。」

「はいはい。ご主人の頼みだから安心していいよ。さあ、乗って。」

チェシャ猫が屈むと、素早くハミルトンが乗ってアリスの手を引く。グリフォンの背中になった時と同じだが、毛ざわりがいい。細い毛が触れた部分を包み込む。チェシャ猫は颯爽と道をかけていった。毛に覆われただけのずんぐりな体はとても身軽で、地を蹴る速さもさすが猫。しかしこっちは地面の上を走っているので、揺れるに揺れる。二人はしっかりとつかまって景色を眺める余裕はない。ヘレンは姿が点になるまで見届けた後、肘をついて仰向けになったままのジャックの側で膝を折って座り込む。

「改めまして、少しお話ししましょうか。」

「何を話せと仰るのですか?」

顎を指で持ち上げられ、先ほどとはまるで別人みたいに微笑む。これが本来の彼女のはずなのだが。

「あらやだ、今はそんな体裁整えなくてもいいんじゃない?私達もう、自由なのだから。」





辺境の街、ドロアードの宿屋にて。

「予約の時間に間に合ったかな?」

チェシャ猫が頭だけを覗かせる。扉は猫の体で埋まった。中にいた客が各々驚いて、中には椅子からずれ落ちて床に尻もちをつく者も。

「うわっ、猫だ・・・お前は中に入れないからな!」

宿屋の店主がしっしっと手で払う。

「僕はここでおいとまするさ。もう二人来るからね。お代はそのうち一人が払う。」

引っ込んで、空気を漂うに浮かんで何処かへ消えていった。おいてけぼりのアリスとハミルトンは宿屋の女将に案内された部屋の中で一休み。流されるままだ、しかし、正直なところ二人は心と体を休める時間を欲していた。


「アリス・・・。」

汚れたままの服でベッドに座るのも居心地悪いアリスは硬い椅子に腰を下ろしていた。魂の抜け殻のように、視界は真っ直ぐ向いていながらどこも見ていないぐらい朧げで、口もずっと半開きで項垂れている。記憶が戻ったと言ってからずっとこの調子だ。どうしていいかわからないのに、世話を焼いたら鬱陶しく思われるだろうとハミルトンは黙って自分はベッドの上に座った。

「ハミーさん、私。」

久々に口を開いたアリスの声は消え入りそうなほど弱々しく、小さい。

「記憶が戻るっていいことだって信じてた。でもね、それは私自身が幸せじゃないと反対なんだって・・・。戻ったらいいねって言ってくれたみんなには申し訳ない気持ちでいっぱいなんだけど、すごく後悔してるの。」

「・・・。」

何を思ったか、隣の席に移動したハミルトンは彼女の手の上に自分の手を添える。

「僕は君を思ったより知らないから、君の事を教えてほしい。無理にとは言わないよ。力にはなれないけど、なんというか・・・ほら、支えにぐらいはなってやれるから・・・。」

次第にぼそぼそと独り言のようになる。

「やっぱ今のなし。」

どうも慰める為の言葉選びには自信がないらしい。ハミルトンも俯いて、沈黙が流れた。


「私はいらない子なの。」

アリスは淡々と、他人事みたいに語る。

「双子の姉がいたの。明るくてなんでもできるお姉ちゃんに比べて鈍臭くて暗い私をみんな「いらない子」っていうの。お姉ちゃんからもいじめられて・・・家ではいつも一人ぼっち。友達もいないし、本当に一人だった。」

それだけ語って、僅かに表情が綻んだ。

「でも、一人だけど部屋で遊んでいる時は寂しくなんてなかったのよ。・・・そうだった。いい思い出もあった。絵本を読んで、おままごとなんて幼稚だけど、自分の作った世界で自分もその住人になるの。そこにあなたもいたのよ。」

その記憶は彼にもあった。ハミルトンの知るアリスと、二人の時間。物置から散らかった部屋に出され、そこには楽しそうな少女がいる。人形、ぬいぐるみ、もちろん自分も含めた玩具に短い時間の魂を吹き込み、自分もその輪に入り、まるでそこはおもちゃの国。遊ぶ日によって自分の役はコロコロ変わる。敵を倒す仲間だったり、意地悪な泥棒だったり。印象深いのは、アリスが自分の名前と同じ少女が主人公の御伽噺に出てくる役を与えられた事。そういえば思い出した。その時与えららたキャラクターは・・・。

「あなたは元の世界に帰りたい?」

懐かしい記憶に耽るハミルトンに声をかける。

「僕は君の持ち物に過ぎない。君のそばにいれるならどっちでもいいよ。」

アリスは彼に寄りかかって腕を背中に伸ばした。手は服を掴んで顔を埋めている。

「・・・ここには私とあなた以外いないわ。邪魔な人なんて誰もいない。ここにあなたがいるのなら私もそれでいい。あんな所、戻りたくない。」

細い腕に力が入る。でも抱き寄せる為だけの力ではない。見えない顔から伝わる熱く不規則な息と押し殺す声。ハミルトンは何も言わずに、彼女の気が済むまでじっとしていた。

「はぁー休もう休もう!まったく・・・。」

扉の外、廊下を大袈裟な独り言と柔らかな足音。とはいえ二人には関係ない、と思っていた。なんと、扉を開けて部屋に入ってきたのだ。

「わっ!わっ、えっ!!」

慌ててアリスをそっと離してあっちこっち向いたり一度たってはまた座ってと数秒間に挙動不審な行為を繰り返した。アリスは泣き腫らした顔できょとんとしている。入ってきたのは、ぼさぼさの髪に小さな動物の耳を生やし、全体的に茶色で統一されているゆったりとした服を着た小柄な少女。

「あんた達そういう仲だったわけ!はぁー!お邪魔虫が大変失礼いたしましたわー!!」

いきなりたくさんの情報が飛び込んできて大混乱。よく見たら長い尻尾まで生えている。

「荷物だけおかせて頂戴ね!」

少女はずかずかと遠慮なく部屋に入ってきては大きな鞄をベッドに置いた。

「ちょっと待てよ、部屋に勝手に入ってきて!」

「だってあんた達と一緒の部屋に泊まるもの。」

ハミルトンは思い出した。チェシャ猫が言っていたではないか。

「もう二人来るからね。」

と・・・。だが、まさかどこの誰かと知らない人と一緒とは想定外だった。

「ひとつ聞くわ。忘却の森から出てほんとに思い出したわけ?」

着替えやタオルなどを出して、腕いっぱいに抱える少女。なぜ出逢ったばかりの他人に聞かれなくてはならないのか。ていうか、なぜ知っているのか。

「なんで知ってるんだよ。何者?」

「あー、そっかこの姿は初めてだったかしら。」

少女はジャンプして空中で見事な一回転の途中、姿が急激に小さくなった。床に着地したのは、お茶会にいた茶色の毛の随分うるさいあのネズミ。ハミルトンは驚きのあまり、椅子から落ちた。

「んな・・・な・・・なんっ!?」

まともに喋れてもいない。アリスも、目を疑う光景に涙を拭うついでに目蓋を強く擦った。

「まさか私にあんなことができるとはね。これも鍵の力なのかしら?」

ベッドに飛び乗った瞬間、人間の姿に変わる。

「あんまりこの見た目好きじゃないんだけど、やれることはこっちの体の方が多いしね。お風呂でも入ってくるから乳繰り合うならさっさと済ませてよね。」

少女が部屋から出た後、二人はお互いの顔を見つめながら首を傾げた。

「乳繰り合うってなにかしら。」

「知らないけど、どうせろくでもないことだよ。」

今だに先程の衝撃が抜け切れず、その前にしていた会話などすっかり忘れていた。



風呂上がりの少女と共に、今度はヘレンがやってきた。

「ど〜〜〜〜〜も〜〜〜〜〜!愛し麗し可憐美少女時には頼れる図太さナンバーワンのヘレン侯爵夫人、よ〜〜〜!!」

爪先でスピンしながら部屋の中へ。誰もヘレンの長い口上など聞いちゃいなかったが、アリスとハミルトンは妙な安心感を覚えた。これこそ、夫人だと。

「お出かけしているとこの子にあってね〜?「森を抜けた後のアリス達が気になるから」って。」

「余計なこと言わなくていいの!」

顔を真っ赤にして言葉を遮るものの手遅れ、聞かれたくないであろう部分は全部暴露されてしまった。

「そしたらあんなところに遭遇してねーホント!大丈夫?ほかにひどいことされてない!?」

勢いよく肩を掴まれ、少し頭を傾けたら額をぶつけ合うほどの近い距離にヘレンの心配する顔が。相手を思いやる気持ちも、いきすぎてしまえば甚だ迷惑。アリスは気圧されて、体が後ろにひいている。

「いえ、他には何も・・・。」

「ねーえ?この国、男の人がみんなああだなんて思わないでね!?」

「そうそう!帽子屋みたいな人もいれば、あのデカウサギ、私がこーんな美少女になってもいつもどおり接してくれて意外と紳士なんだわって。」

少女も加わってアリスの周りは大変なことに。

「お前に魅力がなかっただけなんじゃねーの?」

うっかり呟いたハミルトンの独り言を地獄耳は流さない。ネズミにも人にもあるまじきギラついた目で睨み、彼の首を目掛けてチャップを繰り出す。間一髪でかわし、綺麗で水平な掌が空を切った。

「何すんだよチビ!!」

身の危険を感じ、椅子から立ち上がるも第二波が彼を襲う。床を蹴り、飛んで、お尻で体当たりを喰らわした。ベッドがなければハミルトンの体は今頃壁に打ち付けていただろう。

「お前だけは大嫌いだへんてこウサギ!!」

「あ゛はーッ!!」

プロレス技をかけられてもがき苦しんでいる連れの後ろでおどおどしているアリス。

「一緒にお風呂に入りましょ〜。」

「あ、あの・・・。」

ヘレンに強引に背中を押され、部屋から浴場へと連れて行かれた。二人がお風呂から上がった頃には醜い色物同士の争いに決着がついているはず。いや、もうすでについているのかも?

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