終わりを始めるお茶会

なんとか迷路を抜けることができた。気づけば野原の中、草むらをかき分けて進んでいた。所々、煉瓦の壁があるが、建物の形はどれも築いていない、ただのオブジェクト。そのうちの一つからひょっこり顔を出す少年に足を止める。本当に突然現れたものだから人見知りで警戒心の高いアリスとハミルトンはさぞびっくりしただろう。

「あなたは?」

姿を現した少年はアリスと同じか少し年下ぐらい。しかし、年相応の子供には似合わないずいぶんかしこまった衣装をみにまとっていた。全体的にゆったりとしていて、金の装飾が施され、赤と白を基調とした、それこそどこぞの国の法王とやらが着ていそうな、あるいは魔法使いみたいな衣装だからとても不自然。

「僕の名前はジャックです。偉い人のお手伝いをしております。」

なるほど、なんとなく納得できるような?

「ジャック・・・。」

反応したのはハミルトン。でも、ジャックなんて名前はきょうび珍しくない。ということは彼が反応したのは名前だけではなく。アリスは黙って二人の会話を聞いていた。

「そこのウサギさん、もしかして、「僕を直したやつもジャックって名前で似たような服着てたけど違う」って思ってませんか?」

太い縁のまんまるメガネの奥の金と銀のオッドアイが緩やかな弧を作る。

「だって僕が会った奴は子供じゃないからね。」

「でしょうね。だってこちらが本当の姿ですから。」

ハミルトンの反応は特になし。アリスはそもそも彼とは会っていないので反応のしようがなし。

「あらら、もうこれぐらいでは驚かなくなりましたか?残念。」

子供だけど、どこか違和感があるような。偉い人のそばにいると、変わってしまうものなのだろうか。

「・・・ってことは、この人がハミーさんの体を?」

アリスがようやく口を挟んだ。

「ええ。野良犬がめちゃくちゃにしていたぬいぐるみの頭と人の体をふしぎな力でくっつけて、耳を縫ったのも僕です。こちらは手縫いです。裁縫には自信がないので不細工ですが。」

その様子・・・かわいらしいぬいぐるみの頭だけを野良犬に弄ばれている光景を想像すると、目の前で起こったことでないにもかかわらずゾッとした。ハミルトンの顔を見ると、倍増しだ。

「なんで、そんなことをしようと思ったの?」

アリスの純粋な疑問だ。

「ふしぎな力、もとい覚えたばかりの魔術を試したかったのです。無事成功しましたよ。・・・それより、新しい体はどうですか?」

ハミルトンったら、胸を張り、自慢げなのが無表情でも見て分かる。

「悪くないな。身軽だし。死体って聞いた時はドン引きしたけど、まあ多めに見てやるよ。」

口こそ悪いが、声が弾んでいるので嬉しいのは本心だ。アリスは彼が素直に気持ちを伝えられない性分なのは嫌ほどわかっているし、ジャックもやはり見た目以上に大人なので快く受け止めている。

「記憶の方はどうですか?」

本当にいきなりだ、自分のことを聞かれるなんて。しかもアリスとは初めて会う。まだ名乗ってもない他人も他人。

「なんで私・・・?」

「ハミルトンさんの方ですよ。」

薄ら開いた瞳が微かに怪しく光る。

「は?なんで僕なんだよ。」

「またまた、そこの少女に心配させないよう隠しているんでしょう?」

さっきまでの態度が一般。これは子供が浮かべる顔ではない。むりやり吊り上げる口端に、ハミルトンより背が低いわけでもないのに顎を引いて、上目遣い・・・と言ったら聞こえがいいが、言葉以上に睨むだけで相手を黙らせるぐらいの威圧感があった。一方でハミルトンも、大きく開いた足は前後に、後退りを始める。

「どういうこと?」

ハミルトンはアリスの腕を掴んだ。

「行くよ!」

そして彼女を連れてその場から走り去る。まるで追われてるみたいに必死で駆ける。ジャックは二人を笑顔で見届けて追いかけようとはしなかった。


ひたすら草むらを進み、気づけば住宅街。どこか寂れていて、人口の少ない田舎みたい。それでもちらほら人を見かける。そんな街を、いや・・・ジャックと別れてから一度も振り返らず足も止めず早足で突っ切った。

「隠し事してるの?」

「あいつが適当なこと言ってるだけ!」

道中、アリスの質問にも強くあたるみたいに返すだけ。控えめで気の弱いアリスは、きつくあたられると萎縮してしまい言いたいことも言えなくなってしまう。だから、たとえ疲れて足はただ勝手に動かされている状態でも何も言えなかった。ハミルトンが立ち止まったのは、街を出て一本道を歩いていて二つの看板と分かれ道にぶつかったあたりだ。

「はぁ・・・はぁ・・・足が・・・。」

アリスは道の真ん中で重力に身を任せたみたいにぺたんと座り込んで足をだらしなく伸ばした。肩を忙しなく上下させ、激しい呼吸を繰り返している。

「三月ウサギ・・・。」

ハミルトンが看板を交互に睨む中でアリスは空をぼんやり眺めることしかできない。そんなアリスに彼ら看板の情報を教えてくれた。

「アリス。右へ進むと帽子屋の家、左へ進むと三月ウサギの家だ。」

だが、新たな疑問が生じる。

「三月ウサギってなに?」

ウサギかどうかわからない得体の知れぬ者も、ウサギとは言うが聞いたことのない名前に首をひねる。

「さあ・・・僕もからね。ただ・・・誰かに会いたいなら三月ウサギのところに行ったほうがいい。」

腕を組んで、俯いて、低くボソボソとした声。まるで自分に言い聞かせているようだ。ちょっと体力が元どおりになったアリスが立ち上がる。

「三月ウサギの家に行ってみようよ。この世界で知らないこと、まだまだあるから、色々な人に教えてもらいたいな。」

ハミルトンからは「そうだね。」と、はいでもいいえでもない返事が返ってきたが、アリスの前を黙って三月ウサギの家の方へ向かって進み始めた。

「もしかしたら、あなたのお友達ができるかもしれないよ。」

「この世界で友達なんていらないよ。」

それっきり二人は会話もなしに三月ウサギへの家は続くだろう道を歩く。


やがて、巨大な木が目印に見えてきて、次に見えたのはログハウス。後ろには鬱蒼とした山が「ここが行き止まり」といわんばかりに聳え立っている。さらに近くまで来ると、長いテーブルにたくさんの椅子、そして端から端まできれいに並ぶ食器達、様々なお菓子。そこにいたのはたった二人。一人は風変わりな帽子と色鮮やかな衣装が特徴的な、やつれ気味のくたびれた男性。もう一人は痩せ気味の男性。ただ、首から上だけが珍妙なのだ。どこかで会った、一つの体から二つ頭が分かれている奇形に比べたらなんてことない。ただ・・・ウサギの頭巾を被り、顔が出る部分をへんてこな画面で縫い付けてあったのだ。

「・・・。」

アリスとハミルトンは異様な容姿に唖然。いや、アリスからしてみれば似た者同士のハミルトンの心境やいかに。

「なんだ、奇妙な被りもんするのが流行ってるのか。」

気さくに声をかけたのは帽子の男性。ついでに、二人の気持ちがすとんと落ち着く一言をかけてくれた。

「何か用かな?」

アリスは正直に答えた。

「私、記憶喪失でこの世界のこともよくわからなくて、色々な人を訪ねているの。」

「僕も似たようなものだと思ってくれて構わないよ。」

ハミルトンのこの台詞には、彼から質問責めにされないための予防線の意味があった。しかし、記憶喪失というとだいたいアリスのように不安が自然に表に出るのに対しハミルトンはいたって堂々としていたためかえって浮いていたが。

「そうかい。私が力になれることはないだろうが・・・どうだい、ここらで一休みしていかないかい?」

ちょうどいい時に、アリスのお腹から大きな音が。慌てて押さえても時すでに遅し。自然現象とはいえいい音ではないので恥ずかしいばかり。無理もない。だってテーブルに並ぶお菓子はどれも美味しそうなのだもの。

「ようこそ、終わらないお茶会へ。さあ、座った座った!」

招かれるままに、誘われるままに、珍妙なお茶会に足を踏み入れた。ウサギ頭の男性は親切に椅子を引いてくれる。

「私の名前はニコラス。そこのウサギ頭巾はマーフィー。」

「私はアリス=キャロルです。こちらはハミルトンさん。ところで、終わらない、お茶会・・・?」

「アリス、あれなんかどう?」

互いの紹介の後のアリスの些細な疑問はハミルトンの指差した方向にあるカラフルな丸い物体にかき消されてしまう。

「あれ食べれるの?」

「ああ。マカロンだね。勿論食べれるとも!甘いだけだがな。」

ニコラスが一つ手に取って、まるごと口に放り込んだ。

「うむ、甘いだけだ。食感と見た目を楽しむものだな、こいつは。」

大袈裟に咀嚼しては紅茶で流し込む。そーっと、フォークで刺して皿に小分けする。食べ方がわからないアリスに、マーフィーがようやく話しかけた。

「僕らのお茶会は無礼講。」

現に目の前の男性があの有様なのだから、アリスが気を遣っても仕方がない。

「は、はぁ・・・。」

マカロンを初めて口にしたアリス。程よく崩れる食感と、味覚を全て支配するぐらいの甘さに恍惚。

「君は食べないのかね。」

お菓子を見つめるだけのハミルトンに尋ねると。

「食べれないのさ。いろいろあるんだよ。」

「よよよ、なんと哀れなことか。こいつでさえまともに食べれると言うのに。」

眉と目を八の字に下げ、袖を伸ばした手で涙を拭う仕草。あまりにもわざとらしいとはいえ、これはこれで演技派だとハミルトンは感動せず、呆れた。こいつ呼ばわりされたマーフィーの方を見ると・・・被り物さえ取れば当然だと考える。アリスはその傍ら、色々なお菓子を皿にとっては頬張っていた。すっかりお茶会の虜だ。だけど気になることだってある。「なぜこんなにたくさんのお菓子が並んでいるのか。」、「終わらないお茶会とはどういう意味か。」のどちらを先に聞くか悩んでいた。前者は、「招待していた客の分」だの理由が予想できなくもない。後者に至っては全くもって意味不明だ。

「終わらないお茶会って、どういうこと?」

ハミルトンが先に聞いてしまった。

「私がある日、女王陛下に招待されたのだ。なんと名誉なことだ。しかし、その日がこの日の始まりとなるとはつゆ知らず。」

カップにおかわりの紅茶を注ぎ、ミルクを入れて混ぜる。混ぜる行為であれば数回スプーンを回すだけで済むのに、何回も何回も繰り返しているから、その行為には別の意味があるのだろう。

「女王様はお歌が好きだと聞いたので私は一曲披露したが、どうやらお気に召さなかったどころかお怒りになった女王様に「私の時間」を止められてしまったのだ。」

アリスの隣の空いている席にマーフィーが座る。

「この世界はなにかしらの呪いにかかってる、みたい。」

彼の喋り方は抑揚がなく、淡々としている。

「六時に止められた私は六時に開催していたお茶会を延々と続けているのさ。」

「・・・。」

アリスの手がいつのまにか止まっていた。心配そうな顔だ、他人なのに。気になることはたくさんあれどアリスは心から彼が心配なのだ。でもあれこれたくさん聞いていいような話でもないからぐっと堪えた。心配だけど、他人だから。

「おっと、しみったれた話になってしまった。すまないね、まだこんなにある。食べて飲んで、騒ごう!君、歌は好きかい?」

急に話を変えられるから考える暇すらない。アリスは自分が歌が好きなのかどうかわからなかった。

「別に歌って欲しいって思わないけど。」

「君が歌うのさ。食べる口はなくとも話す口があるなら歌う口だってあるだろう?」

どうやらハミルトンは「歌が好きなら聞かせてやらう」と言う考えがあって聞いてきたのだと思っていたが、違っていた。逆だった。まさか自分が歌うのが好きかを聞かれていただなんて。

「え!?ぼ、僕!?」

妙に狼狽え始め、アリスの袖を引っ張った。

「アリス、助けて。知ってる歌なんてないし、歌ったことないよ。」

「じゃあそう答えたらいいんじゃない?」

アリスの助け舟は適当だった。

「聞こえてるぞ。仕方ない、私と一緒に歌おう!」

「なんでそうなるのさ!」

その時だ。ニコラスの肘が倒した大きなポットの蓋が開いて、中からなんと茶色い毛のネズミの頭が飛び出したのだ。

「あーっ!このネズミ、もしかして!」

ネズミが出てきたこともだが、なによりアリスたちには見覚えがあった。この世界で出会った、おそらく最初の生き物。人の言葉を流暢に喋り、訳わからないことを言い残して逃げていったあのネズミだ。しかし、際立った特徴がないため、もしかしたら姿が似ているだけの別個体かもしれない。

「さっき帰ってきたばかりさ。この場所以外で会ったことは誰にもいうなよ。できれば忘れてくれ。」

ニコラスは再び眠りについたネズミを摘み上げる。絶対とはいえないが、確信を得た。

「忘れられないほど散々言われたんだよ、僕は、こいつに!」

このウサギ、自分も言ったことはすっかり棚に上げている。ネズミが起きていたら口論の始まりだ。

「今はスヤスヤと眠る姿可愛いかわいらしいネズミじゃないか。」

皿の上に乗せられたネズミはうつ伏せで、小さな足を伸ばして気持ちよさそうに寝ていた。

「かわいい・・・。」

アリスはネズミを初めて見た時から今も変わっていない。触りたいあまり人差し指が時折痙攣のような動きをする。さらに、今度はまさかなこのタイミングでアリスの胸元・・・鍵が光りだしたのだ。

「なんだね、それは。」

あまりに眩しいから慌てて服の外に出してやる。相変わらず、不自然なまでの強い光を放っている。

「・・・自由の鍵。」

この中で反応したのはマーフィー。仮面のおかげで眩しくないのか、顔を近づけて凝視している。

「んん?あれは作り話ではないのか?」

次に聞こえたのはアリスの深いため息。

「本物・・・だと思います。あまり実感はないけど。」

「バカいえ、あの双子があからさまだったろ。ただの光るおもちゃにあんな事、できるわけがない!」

ハミルトンは強く首を横に振った。

「本物か、でなくても興味深い!私は面白おかしいことが大好きだ!で、どうすりゃいいんだ?」

質問の矛先はマーフィー。首を傾げられるだけだった。

「えっ、えっと。たた、立ってください。」

アリスはテーブルの下を潜って近道。テーブルクロスから覗くニコラスの足は片方は無機質な棒で、一瞬びっくりしたけど今はそれどころではない。

「じっとしててください。すぐ終わりますから。」

彼女も、もはや慣れたものです。いい気はしませんが。光る鍵の先端をニコラスの腹・・・はやめて、鳩尾あたりに突き立てた。光は一層強くなり、ニコラスは胸元を押さえて顔に力を入れる。

「ぐおおおぉおおお!!出る、何かが・・・!」

「わざとだから気にしないで。」

小さく悲鳴をあげて怯えるアリスにフォローを入れたのはマーフィーだった。やっぱりどれだけ眩しい光が当たりを覆っても平気そう。ニコラスの迫真の演技に振り回されながらも、やがて光はおさまった。


ニコラスに目立つ変化はなかった。

「なんだ、変化なしか。」

彼が確認したのは、異様に細長い脚。見た目はどこも変わっていない。

「ごご、ごめんなさい!」

「気にするな。私は今のままで構わないし、どうなるかもわからないからね。ついでにこいつらにも頼むよ。」

ヘレンの時もそうだった。きっと見た目には現れない変化が生じたのだろう、そう思い込むことにした。鍵が、まだ物足りないと言わんばかりに再び光を発した。今度こそと願い、次のターゲットはマーフィー。

「・・・・・・。」

彼は終始無言だった。逆に不安になる。直視できるようになった後もマーフィーは直立不動。もしかして、また?なんでもいいから目に見える変化が欲しいとアリスは必死だ。

「すごい・・・。」

感想はたった一言。だが、今まで以上に声に感情が篭っていた。

「色々な考えが浮かんでくる・・・。」

「よくわからないけど、よかったな。」

アリスの不安はまだ拭いきれていない。変化が乏しい。そして、残るはネズミ一匹。

「ネズミに使ったって仕方ないだろ。」

一理あるような気もするが、ネズミに対するハミルトンのあたりがやたらきつい。それに鍵はあと少し、それこそ目覚まし時計が鳴っても眠りの時間を延長するかの如くしぶとさでまた光るものだから、やるしかないのだ。アリスは慎重に、お腹の部分に添えた。だって、こんなに小さな生き物に力加減は難しいったらないし、光は遠慮ないからこれで起こしてしまったら無意味だし、何も知らないネズミはたまったものじゃないし、と神経を最大限に集中させて、全てが終わった。本来なら光の眩しさで目が覚めてもおかしくないのに、鍵がおとなしくなってからネズミは目をパチパチさせて飛び起きた。

「アタシ、何があったの?どうなったの!?」

皿の上で二足で立ってあっち向いたりこっち向いたりする小動物な仕草はなんと愛らしいことか。混乱中のわりには、鍵の先端を見て誰に言われてもないのにすぐに状況を受け入れた。

「自由の、鍵?そんな眉唾物信じちゃいないからね!」

信じるかどうかは別として。

「じゃあなぜ君は今起きている?」

ハッとした顔。動物なのに表情豊か。

「そうよ、ここにきたら決まって眠くなる。眠くない時も寝なくてはいけない、それが私の「物語の掟」とかいうクソみたいな呪い・・・。」

ハミルトンはとうとう理解することを完全に辞めてしまった。

「この国の掟はよくわからないね。」

「異世界のことをわからないのは仕方がないよ。」

ネズミは忙しなくテーブルを走り回った。ひとりかけっこをおっぱじめる。沢山の皿と食器の間をすり抜けてそれはもう器用に。

「私は!自由!!どこへ行ってもなにをしても自由なのだわ!!ありがとうアリス!!ありがとう!!」

感謝の言葉を叫びながら彼女の足は止まらない。今までの何もない時間を埋めるかのように体を動かし続ける。ハムスター御用達のアレがあればそばに置いてやりたい。

「おお、これはこれは。お茶会がもっと賑やかになるな。素晴らしい。」

ニコラスは止めることはない。楽しんでさえいる。見ているこっちは少々疲れるが、無礼講と謳うお茶会は賑やかな方がいい。

「アリス。」

「なに?」

マーフィーは少しだけお茶会を離れていたが、戻ってきたと思えばアリスの前に跪き、右手を差し出していた。

「マーフィーさ・・・ん?」

戸惑うアリスに一言。

「君に一目惚れしました。家族になってください。」

求婚の言葉が次に出てくるなんて、誰が想像するだろうか。乙女らしく、頬を赤く染めるまでもいかない。色々な段階をすっ飛ばしすぎていて。代わりに決断を下したのは彼女の連れのハミルトンだった。

「ダメダメダメ、ダメに決まってるだろ!!」

「君に聞いていない。」

それを言われたら元も子もないが、アリスがこんな状態なのだ。

「ダメなもんはダメだ!」

その光景を他人事みたく眺めていたニコラスいわく。

「そうだね。家族という言葉が先に出たろう。多分だがコイツは子供を作ることを優先している。」

「動物とはそういうものだわさ。」

走るのに疲れた、というより飽きたネズミがニコラスの腕の上に乗っている。やはりどいつもこいつも

他人事だ。

「尚更だめだー!!」

「なんで?」

ウサギの頭巾をかぶった男、ウサギのぬいぐるみが頭の少年が揉めている。見る人によれば一種のトラウマにもなりかねない珍妙な光景をよそに、なんとニコラスはテーブルの上に乗ってアリスの元に降り立った。テーブルは近道に利用されてばかりである。

「アリス、記憶喪失でお悩みならば。」

そう話しかける彼は父親が子供に優しく微笑むような、初めて見せる顔だ。

「荒治療な上に遠回りになるが、隣の国に「忘却の森」という場所がある。そこに入ると何もかもを忘れてしまう。森を抜けると全てを思い出す。」

聞いただけでも恐ろしいと感じた。一体なんのために、そんな場所があるのだろうとも考えた。

「思い出すのは森で忘れた記憶のみだが、もしかすると反動で全て思い出すかもしれない。」

そんな場所に、一筋の希望の光を見出すなんて。今のアリスは藁にもすがる思いだ。それに、アリスは一人ではない。

「お前にだけは絶対に渡さないからな!」

まだあっちで言い争っているが。

「ありがとうございます。」

丁寧にお辞儀をするアリスの手にニコラスはポケットから出した物を握らせた。

「これを君にあげよう。」

錆が目立つ銅で出来た大きな丸いペンダントだ。アリスが付けるには、雰囲気が堅い。

「懐中時計だ。こいつも今は動かないただのガラクタだが、そうなる前に、私の命を救ってくれたことがあるのさ。お守りとして持っていくといい。」

裏面が大きく凹んでいることに何か関係があるのだろうか。中を見ようとしたが、細部が壊れているのか簡単には開かなかった。

「もう限界!行くよ!」

「ちょ、ちょっと!?」

作業に集中していたアリスの腕をハミルトンはかまわずに、またも掴んで無理やり連れていく。落としそうな時計を服のポケットにしまって、まともにお別れの言葉も言えないままお茶会を離れた。


「君に幸あれ、アリス。今日は最高のお茶会だ!」

そのあとのお茶会は夜まで馬鹿騒ぎを続けたそうな。この時、ニコラスは気付いていなかった。彼自身に変化はなかったが、もっとも求めていたものに変化があったことを。


なんでもない道を進むアリスが、やっと懐中時計の蓋を開く。時計の秒針は動いていた。

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