秘密の鍵 後編

「・・・ゎぁぁぁああああああ!!!」

落ちる。落ちる。もうどれだけ落ちたかというほど落ちる。哀れな二人を待ち受けるのは岩肌のぞく固い地面。死を覚悟する余裕すらない。二人にとっての時間はものすごい速さで過ぎていくのだから。しかし、突如地面から少し浮いたところに光の模様が現れた。

「なん・・・!?」

幾何学模様が描かれた魔法陣らしきものがトランポリンのように二人の体を跳ね飛ばす。今度は高く飛んで、また落ちて。魔法陣はというと今度は真っ黒な穴に姿を変えていた。結局またまたどっかへ落ちてしまい、吸い込んだ穴は消えてなくなった。


「いやぁ!!」

「あいたっ!!」

空中から現れた穴から吐き出され、アリスとハミルトンはほぼ同じタイミングで体を地面に打ち付け転がった。

「うぅ・・・。」

横たわるのはアリス。打ち所の痛さを歯を食いしばることで堪え、ゆっくりと体を起こす。一方ハミルトンは、まるで後ろ向きのでんぐり返しに失敗したかのような滑稽な格好で倒れていた。

「ハミーさん、大丈夫?・・・生きてる?」

おそるおそる声をかけると膝を曲げて機敏な動きでさっと立ち上がるもんだから、さいあく死んでる可能性さえ想定していたアリスはのけぞるぐらいにびっくりした。

「生きてるよ。全く、散々だ!」

服についたホコリを八つ当たりのごとく力を入れてはらう。見た感じ、怪我はなさそうだ。

「アリスは?怪我はない?」

「うん、たいしたことはないみたい・・・あのまま落ちてたら間違いなく死んでたけど。」

何もない空をぼーっと見つめる。やはり、穴は何事もないように消えちゃった。穴を通った間などほんの一瞬。違う場所と場所をこの穴が繋いでくれていて、移動したみたい。そして、ここは・・・。

「何か物音がしたって?」

公爵夫人の家の庭だった。物音に気付いて扉を開けたのは家の主、公爵夫人のヘレンだ。

「まぁ〜〜!おかえりなさい!!」

アリスたちの姿に大はしゃぎ。慌てて駆け寄る。

「はやかったわね?いや、そうでもない?まあまあ、お洋服も汚れちゃって大丈夫?」

アリスとハミルトンの周りをあっちこっち行ったり来たりで見ているだけでどっと疲れそう。そんな中、二人の間にぽんっと音を立てて現れるチェシャ猫。

「とりあえず中に入れてあげなよ。あと君は少し黙った方がいい。」

とだけ言って、意外と猫らしく四本の足で歩いて家へ戻っていった。ヘレンも悪気はなかった。なにもかもが少し大げさなだけで。注意されてからはかわいそうなほどしょぼくれて、なおかつ心配で気が気でならないヘレンは二人を時折ちらちらと見ながら足早に戻って玄関で様子を伺っている。

「休ませてもらおう。報告もしなきゃ、だしね。」

焦る気持ちがうつって動揺するアリスも、離れていくハミルトンの背中を慌てて追いかけた。

気のせいか、少しだけ家の中が片付いていた。赤ちゃんはソファーの隅でおねんね中。

「疲れた・・・ちょっと休む。」

ハミルトンの厚かましさは相変わらずで、ソファーにどかっと座っては腰を浅く、足を投げ出して座った。一見偉そうな座り方に見えるけど、足と腕はぐったりと伸びていて首は横を向いている。なんだか骨が抜けて皮だけみたいにだらけている。アリスも咎める気にはならなかった。彼女は謙虚なので、休む前に念のため聞いた。ヘレンが断るわけがない。ハミルトンの横にすとんと腰をおろし、深いため息と共に肩の力を抜いた。

「〜♪」

ヘレンは向かいに座り、テーブルに肘をついてこっちを見ている。そのにこにこした笑顔は一体何を意味しているのやら。二人が無事戻ってきてくれたことに対して喜んでいるのなら嬉しいものだが。やはり、ヘレンにとっては自分が頼んだ物がそこにあるかどうかが気になるんだろう。つまり、彼女の笑顔は「期待」。結果次第ではその笑顔が苦痛にも感じるのだが、アリス達はちゃんと、こなしてきたのだ。

「公爵夫人さん。」

「なぁに?」

わかっているくせに。わざとらしいものの聞き方。アリスは早速エプロンドレスのポケットから黄金の鍵を取り出してテーブルの真ん中に置いた。ヘレンの顔は、笑っていたけど目は伏せ気味で真剣そのものだった。

「まずは、ありがとう。そしてお疲れ様。」

これがヘレンにとってどういった物かは知らないが、あまり嬉しそうではなかった。それどころか、愁さえ感じる程切ない表情で俯く。

「あの、これは・・・?」

アリスの問いに急いで笑顔を取り繕った。

「あら、うふふ。そうね、大切なものよ!うん・・・。」

ぎこちないだけの微笑みは長くは続かなかった。そして代わりに続くのは沈黙。アリスも気をつかうあまり、これ以上探れず、かといって重い空気を紛らわせる話題もなく。気まずさが増すばかり。そこに救世主とばかりにチェシャが割り込んできた。

「夫人が黙ってどうすんのさ。アリスは知らないんだから。ほら、いつものあれをやればいいんだよ。」

何もないテーブルの上で丸くなる。大きいので存在感も半端ない。会話に置いてけぼりのアリスに気がついたヘレンは、こんどこそ自然な笑みを顔いっぱいに浮かべて勢いよく立ち上がった。

「アリス!少しいいかしら!?」

いきなり元気いっぱいに名前を呼ばれ、アリスの心臓はとてももたない。ハミルトンもひとごとではないと首を起こす。

「この鍵はね、不思議な力を与えることができる伝説のアイテムなの!!」

ハミルトンの体は前のめりになった。アリスは目と口を小さく開いてなんとまあ間抜けな顔できょとんと座っていたが。

「不思議な力を与えるには鍵そのものの力を扱える人が必要で、更に鍵に選ばれし者でないと意味が無いの。」

アリスもハミルトンもなんとなく察しがついた。あまりに現実味のわかない話に黙り込んでいたアリスの代わりに冷静なハミルトンが対応する。

「つまり、アリスで試そうと?」

どこか嫌味っぽいがヘレンには全くこたえていない。力強く頷いた。

「・・・で、どうやるのさ。」

「簡単よ。鍵を私に向かって突き刺せばいいの!」

瞬時に顔を真っ青にしたアリスが大量の冷や汗を噴き出しながら何度も首を横に振った。

「むりむりむり、無理です!!」

「安心しなよアリス。とがってないし、君が全身の力を込めたところでぐえってなるだけだから。」

ハミルトンの言う通り。鋭利な刃物ならまだしも、ただの鍵。か弱い少女の全力なんてものもたかが知れている。とはいえ、さすがに躊躇いがあった。人に攻撃できる性格でもないからだ。ハミルトンはアリスを配慮して提案した。

「僕がやるよ。」

「だめだめだめ、だめだってば!!」

子供だがアリスよりは力があるハミルトンでは余計にだめだ。本当に躊躇いなくやってしまいそうだし、彼は。アリスは諦めた。自分の方が被害が少ないし、ヘレンはアリスにして欲しそうな感じがするし。

「・・・公爵夫人さんが、そうして欲しいっていうのでしたら・・・。」

嫌に決まっているが、本人のお願いだから仕方のないことだと言い聞かせ、すぐに済むことなら早く終わらせたいと。アリスも疲れていた。気が乗らないために重い腰を上げる。手には黄金の鍵を握りしめ。

「どこでもいいわよ!さあ、遠慮なく来て頂戴!!!」

手を広げ、胸を張る。刺されるわけではないのだが、今から痛みを与えられる人の顔ではないぐらい恍惚と輝いていた。対してアリスは眉を八の字に下げ、背中が曲がって足も内股。完全に「やりたくない」気持ちを全身で表している。でも、時間が過ぎるだけ。その分嫌な気持ちが続くだけ。決心したアリスは一歩前へ踏み出し、肘を奥へ引き、思いっきりヘレンの腹部を目掛けて突き刺した。

「・・・っ!!」

手に伝わる、肉に食い込む感覚。アリスは目をギュッと閉じていたのでわからなかった。ヘレンもさすがに痛かったのか同じような表情だ。次の瞬間。変化が起こった。

「なんだ!?」

「これは・・・。」

驚くハミルトンと、彼のそばに飛び乗るチェシャ猫。ヘレンとアリスの足元に金色の光が円を描き、広がって、二人を囲む。まるでその中だけ時の流れが違うかのようだ。長い髪、スカートの裾がゆらゆらと不自然なほどゆっくり揺れる。アリスの手から力が抜けた。ヘレンから少し距離をとる。この家にいる誰もがびっくりしている。でも、ヘレンの目からは一つの涙が溢れて頬を伝っていた。


数秒経って光は消えた。

「・・・あの、公爵夫人さん?」

なぜか泣いているヘレンにどうしていいかわからず混乱するアリス。もしかして、泣くほど痛かったのでは?とか考えていた。

「夫人。」

チェシャ猫が彼女の頭の上に乗って尻尾を器用に動かして涙を拭いてあげる。

「ええ、こんなの初めて・・・。」

自分の腹部に手を当てて、息まじりの声で呟いた。

「ねえ、これで不思議な力とやらは手に入ったの?」

ハミルトンはただ気になったことを聞いただけだ。他に意図はない。でも、夫人はその場にへたり込んだ。

「えっ!!?」

さすがのハミルトンもこれには慌てふためくよりほかない。表情の変化のないぬいぐるみ頭がギョッとしているように見えてくるほど。

「アリス、僕何か気にさわること言った!?」

「えっとえっと、今言った気がするわ!」

「なにそれ!!」

二人一緒になっておどおどするのがほぼお決まりになりつつある微妙な似たもの同士。構わずヘレンは泣き続けた。顔は、笑っていた。



「ごめんなさいね、突然泣いちゃって。」

泣き止んだヘレンは顔、特に目元が真っ赤に腫れていた。

「いえ、気にしていません。私、てっきり泣くほど痛かったのかと・・・。」

「ほんとびっくりしたよ。手に入れてそんなに嬉しいものなのかい?」

ハミルトンの言い方はあれだが、嬉し泣きだと言うことはわかっていた。

「・・・泣くほど嬉しかったのは本当よ。でもね、実は私、あなたたちに嘘をついていたの。」

アリスの目が点だ。ここぞのここという時でまさかの嘘という真実。

「なにがどう嘘なのですか?」

今度はアリスが聞いた。ヘレンは優しく微笑む。心から安堵しているのがわかる。

「この世界はね、生まれた時から「あなたは何々だからその通りに過ごしなさい」っていう掟があるのよ。例えば、あなたは靴屋だから靴を作りなさい。」っていう風に。それをやめたらいけないの。」

丁寧に例え話までしてくれたがいまいちよくわからない。二人は首を傾げる。ほぼお決まりになりつつある光景な微妙に似たもの同士である。

「それが鍵とどう関係があるのですか?」

もどかしくなったアリスはとうとう聞いてしまった。

「掟を破ればどういうわけか遠くにいる女王にわかってしまう。伝説の鍵はそれをできなくしてしまう。私たちに刻まれた、縛る掟から解放してくれるの。」

ヘレンが座るソファーからチェシャ猫の頭が覗いた。

「つまり、コイツがあれば僕たちは自由に暮らせる、というわけさ。」

どこか難しい長話はチェシャ猫の一言であっさりと理解した。ヘレンは口元を手で隠して苦笑する。

「なんて、今まで誰も鍵の力を使える人がいなかったから空想上のお宝扱いだったけどね。」

今なら遠慮なく聞ける気がした。

「ちなみに夫人さんは、どういう風に過ごすよう決め付けられていたの?」

狐に摘まれたようなはっと驚いた顔のヘレン。もしかして、余計なことを聞いてしまったのではないかとアリスはすぐに顔色を伺ってしまう。しかしヘレンは。

「秘密☆」

と、とびっきりの笑顔でウインクを飛ばす。アイドルも見習うべきあざとさ。胸を撫で下ろすアリスに対する不平を零すのはハミルトン。彼にはどんな笑顔も通らない。

「君の頼みを聞いてあげた上に自由の身にもしてやったんだ。教えてくれたっていいじゃないか。ま、どうしてもってなら別にいいけど。僕は興味ないし。」

興味ないなら聞くな、だなんて?

興味があるアリスが聞いたのに話してやってくれないのかという意図は、はたして誰かに伝わったのだろうか。

「もう君は自由なんだ。だから言ってもいいんじゃない?」

チェシャ猫からも一言。ヘレンの理由を知っているかもしれない、そんな彼からも言われている。ヘレンは譫言のように呟いた。

「物語を巻き戻す役・・・。」

口から息のようにこぼれたかのような弱い声。のちの沈黙。なぜためているのかと思いきや。

「子どもを一人しか産んではいけません☆って掟♪」

「・・・・・・。」

ずしりと重い空気がふっと和らいだ。ハミルトンからは肺の息を全部吐き出すごとく深いため息。膝に肘を乗せ、ひどくうなだれている。

「あっ、ちょっとそこ、呆れてものも言えないって感じでしょ〜?」

頬を膨らませ前のめりに反論する姿は見た目相応の子供っぽさに拍車をかける。話しているのは子供のことだが。

「いっ、いえ・・・!子供が欲しいのにできないことは辛いと思います・・・!」

必死にフォローしたのはアリス。実際、明るく言ってのけたものの結構辛い悩みなのではないかと思ったのも本当である。

「でしょう?あと一人は欲しいわー。同じぐらいの歳の子がいたらいいと思わない?」

背筋を伸ばし座り直したハミルトンが腕を組み思いっきり首を傾ける。

「うーん?僕にはよくわからないや。仲良くできたらいいけどそうじゃなけりゃ嫌いな奴といやでも一緒に暮らさなきゃいけないよね。」

「そこはお兄ちゃんお姉ちゃんがしっかりしないと。」

さすがヘレン。苛立ちも落ち込みもせず、しっかりとした声と口調で言い放つ。ハミルトンはそれ以上何も言わなかった。

「・・・どうしたんだい?アリス。」

元より口数が多いわけではなかったアリス。しかし、様子がおかしかったのだ。やや俯き、見開いた目はどこを見ているかわからない、いや、右に上に泳いでいる。アリスに対しては人一倍心配なハミルトンは隣から顔を覗き込み、世話焼きなヘレンは立ち上がって今にもそちらへ向かう準備をしていた。

「思い出した・・・。」

ぽつり漏らす言葉はあまりにも衝撃的。だって、こんなふとしたことから思い出したくて仕方なかった記憶が蘇るだなんて!

「なな、何を!?」

「あらまあ!」

ハミルトンの声は上ずり、ヘレンの声が弾む。至近距離に奇妙な頭があるにもかかわらずアリスには見えていなかった。彼女は頭の中に浮かぶ光景が見えているみたいだった。

「私と瓜二つの顔の女の子・・・双子の妹がいたの。笑ってるの、私を見て・・・。」

次を。早く次を。まさかそれだけとは言わしまい。急かすのはアリスのためか。それとも・・・。


「「ぐず」とか「のろま」って言うの・・・。」

「・・・・・・・・・。」

大人のヘレンはすぐに返さなかった。ハミルトンは色々と後悔と反省をした。でも何も返さなかったら落ち込みそうだし。いや、我に戻ったアリスはやはり落ち込んでいた。

「仲が悪かったんだね?」

会話の流れに便乗したハミルトンの返しだ。ヘレンはこめかみをおさえ大げさに悩む仕草をする。

「喧嘩でもしたのかもしれないわ。仲が良くってもそういうことはあるもの。」

「はっきりと思い出せない以上その可能性もある。あまり考えすぎない方がいい。」

まさかチェシャ猫からも慰められてしまった。アリスはたったこれだけ。記憶のほんの断片しか思い出せなかった。彼のいう通り。これより前に喧嘩でもしたのだろう。みんなの励ましに少しだけ元気が出たアリスは下手な笑顔を作った。そうしてしばらくの間、たわいもない会話に花を咲かせた。珍しく、ヘレンのミュージカルは見られなかったが。


いつまでも長居はできない二人は再び旅路に出る。玄関では赤ちゃんを抱えたヘレン、チェシャ猫。家にいた召使い数名。

「これから行くあてはあるの?」

さりげないヘレンの問いにアリスはしゅんと顔を下げる。

「ないよそんなの。だからって立ち止まってはいられないよ。ね?」

「・・・うん。行動しないとダメ。ヘレンさん、チェシャ猫さん。召使いの皆さん。ありがとうございました。」

ペコリと一礼。すると、ヘレンはチェシャ猫の背中に赤ちゃんを乗せアリスとハミルトンを引き寄せて抱きついた。当然驚くけど、これが彼女なりの別れの挨拶と感謝、元気付けるための行動だとすぐに察した二人はされるがままだ。

「元気でね!いつでも会いに来てね!今度は「私」として大歓迎するから!!」

さよならのハグのあと、みんなに笑顔で見送られながら二人は道なりに真っ直ぐ進んだ。



「結局言わなかったんだね。」

隣のチェシャ猫もヘレンのそばから動かない。

「ええ、良いのよ。別に。」

そんな猫の頭を優しく撫でながら、もう見えなくなった背中に向けて呟いた。

「・・・ありがとう。」

チェシャ猫は優雅に尻尾を揺らすだけ。赤ちゃんは時折短い手足を動かしてはよだれを垂らして夢の中。世界の全てをまだ知らない者の幸せそうな顔だ。


「私を、繰り返す死の恐怖から救ってくれて。」

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