3 星つむぎの夜

「幽霊なんぞ、いる訳ないだろうが。あれは気の病んだ人間が見てしまう、一種の幻想だ。幽霊と出会ったから精神を病んだのではなく、精神が病んでいるから幽霊を見たんだ。そうは思わないか?」


「そうですね。」


 取り敢えず、そう答えた。イオリは私が納得したのを見て満足した様子で、「よし」と呟くと、また三脚で支えられている白い筒を覗き始めた。いる訳ないと言われてしまったが、実際に私は存在してしまっている。じゃあ、違う質問をしよう。


「じゃあ、イオリは精神を病んでるの?」


「……お前なあ、」


 イオリはやれやれと言った様子で、白い筒を覗くのをやめて、それに寄りかかった姿勢で、私の質問に答えた。


「俺は病んでいない。俺は心理療法士なんだ。自分が自己一致していない状態で、クライアントを一致させる事は不可能。だから自己一致をキープする為に、スーパーバイザーという他の心理療法士に定期的にカウンセリングを受けている。」


「じゃあ病んでいる「だから!病んでいないということが言いたいんだ俺は!どうして俺が病んでいるって……話の流れからすると……な、なんだ?」


 イオリは吃った。そして一気に目が泳いだ。


「ま、まるで、お前が……。」


 よし、今だと思った。


「私は幽霊。さっき、死んだ。」


「ぶー」と、息と唾を漏らしたイオリは、白い筒をまた覗き始めた。スルーされたのかな?なんだかそんな感じで、イオリは私と話すのをやめて、夢中になって白い筒を覗いている。


「何してるの?」


「……星を眺めている。見てみろ。」


 私はイオリの真似をして、少し屈んで、筒を覗いた。そうか、これは望遠鏡だったんだ。それを覗くと、真ん中にポツンと、ピカピカ輝く星があった。


 まるで宝石のようで、つい見惚れた。それに最近はスコープから覗くのは人の頭ばかりだったので、久しぶりに見た綺麗な存在に、素直に感動した。


「その星は、中々見られないんだ。今日はその星が見れると思ったんだが、生憎天気が曇っていてな、どうにかならないものかと街を徘徊していたんだが、不思議なことに、この廃墟の辺りは雲が無いのを発見した。だから見れると思って、ここまでやってきたんだ。それで……ここまで話したんだ、そろそろ君のことを教えてくれないか?」


 私は望遠鏡を覗くのをやめて、イオリを見た。彼は私を見て、優しげに微笑んだ。そうされると、胸がぎゅっと苦しくなったので、胸に手を当てた。


「……私さっき死んだ。」


「その設定は何なんだ?全く、俺をどうしたい?」


「証拠ならある。この屋敷の二階のお手洗いにある。」


「……。」


 イオリは息を飲んだ。きっと、私が具体的な場所を言ったから、一気に現実味を感じたようだった。「ふん、」と鼻で笑ったイオリは、望遠鏡にカメラを取り付けて、何度か星の写真を撮ると、望遠鏡を片付け始めた。私は三脚を畳むのを手伝った。


 ボストンバッグに全てを突っ込み、イオリはそれをまた背負った。


「じゃあ、折角だから、その証拠とやらを、見せてもらおうか。」


「分かりました。どうぞ、どうぞ。」


 今度は私が先導して、屋根裏から降りて、廊下を歩き始めた。それっぽさを出したい私は、移動する間はずっと、足音を消すよう心がけた。イオリはずっと黙っていた。


 二階のお手洗いの前まで来ると、私は立ち止まった。今から自分の死に様を見せるとなると、何だか、緊張する……。あのウィッグが、また床に落ちてないといいな。イオリがお手洗いを指差しながら、私に聞いた。


「こ、ここなのか?ドアを開けたら、証拠が、あると……?その、お前が、幽霊だっていう、証拠……。となると、あまりその、ダイレクトなのは、あまり……いや、そんな訳が無い。お前は生きているんだと俺は思っているからな。」


「うん。」


 私はドアを指差した。イオリはゴクリと喉を鳴らしてから、ドアを開けた。するとやはりそこには、ぐったりとした私が


「あああああああああああ!?あああああああっ!」


 ドスンと、イオリがまた尻餅をついた。私はイオリの腕を掴んで、立たせようとしたが、結構本格的に腰を抜かしているようで、まるで生まれたての小鹿のように、イオリは木の床の上で、ツルツル滑ってしまった。ちょっと面白かった。


「貴様!ふざけるな!だ、だ、なんていうイタズラ!」


 ええ!?イタズラなんかじゃないのに!私は勢いよく首を振った。


「違う!違う!本物!」


「馬鹿め!そ、そんな!こんな事……!?」


 イオリは急に静かになり、スッと立ち上がり、上半身だけお手洗いの中に入るようにして、恐る恐る私の観察を始めた。彼は私の髪の毛を触ると、それがスルリと床に落ちてしまった。それで彼がまた、驚いてしまった。


「だあああああああ!」


「ウィッグ。」


「な、なんでウィッグなんか、ああ、だからか!だからお前も、髪の毛が無いのか!?」


「えっ!?」


 私はさっと自分の頭を撫でた。するとあろうことか、ウィッグが無かったのだ。ああ、ツルツル頭の状態で、イオリと対面してしまったんだ……。てかその状態の私をよく連れて行こうと思ったな、彼は。


 今気づいたが、洋服も確かに死んだ時に来ていた黒い服ではなくて、ふんわりとした白いワンピースという初期アバターのような格好になっていた。そして裸足だ。つくづく、よく私を一緒に天体観測に連れて行ってくれたと、彼に感謝した。それを彼に伝えてみようと思った。


「イオリ、天体観測に連れて行ってくれて、ありがとう。」


「え!?」と、イオリが大きく叫んだ。「なんで急に俺に感謝を!?……いや、ちょっと待ってくれ、俺の思考が、追い付かない。ああ胸が苦しい。いいか、少し仕事モードに入らせてくれ。その方が、はかどる。」


「ええ、ええ。」


 私は彼を見守ることにした。イオリはパンパンと頬を何回か叩いて気合を入れた後に、現場であるお手洗いの床に視線を落として、床に血が溢れていることを確認すると、「ぉぇ」と、何かがこみ上げてきたようで、胸を押さえ始めた。


「大丈夫?」


「あ、ああ……すまないな、普段は現場の写真だったり、死体が無くなった後の現場しか見ないから、あまり、それ自体は見た経験がないもので、胸の傷口とか、匂いが結構。」


「そうだよね。ごめんね。」


「ああいや、いいんだ。君が謝ることではない。すまなかった。続けさせてくれ。」


 イオリは死んだ私の頬を突いた。生前のような弾力は無く、鈍く凹んだ。それを見て、イオリは、最終的な判断を下した。


「うん、確かに、これは……本物だ。確かに証拠だった。こんなダイレクトな証拠でなくてもよかったのだが……。仕方あるまい、俺が、第一発見者で、間違いないな?」


「うん。」


「分かった。……ああ、私です、お疲れ様です。」イオリがノアフォン(手のひらサイズの通信機器)を取り出して、通話を始めた。職場にかけているようだ。その間に私は、お手洗いの床に落ちているウィッグを拾って、自分の頭につけようと思ったけど、イオリに腕を掴まれてしまった。


「そうです、ムーンストリートの奥にある洋館の廃墟です。ええ、ええ。(おい、勝手に遺品に触るな!)」


 イオリがサイレントで私に怒鳴った。私は従うことにして、ウィッグ回収を諦めた。暫くすると、イオリは報告を終えたようで、ノアフォンの通話を消して、現場写真を撮り始めた。私はそれを眺めた。


 イオリは写真を撮りながら私に聞いた。


「……犯人は?」

 

「私の夫。」


「で、お前の名は?」


「アリシア。アリシア・ルイーズ・メリアン。」


 イオリは無言で何度も頷いた。


「そうか、よく話してくれた。その男はノアズがどうにか捕まえるから、さあ、心置きなく、成仏してくれ。」


 ……え?


 イオリと目が合った。彼がノアフォンをポケットにしまった、その次の瞬間だった。私に向かって、丁寧に合掌したのだ!


「安らかに……「ちょっと、ちょっと!」


 私は慌てた。この男は私を昇天させようとしているが、私だってまだこの世に未練があるのだ!私はそれをイオリに訴えることにした。


「一つ、やり残した事がある!お願い、お願い!」


「な、なんだ!?ん、んんっ!?俺の腕を掴むな!」


 イオリの腕を掴んで、ぐいぐい引っ張りながら、私はそれを打ち明けた。

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