三、鬼狩り
「何だか可哀想だわ、あの子達」
石が小さな手のひらを擦り、皮を破って血が滲み出ても尚、行動を止めない子供達。
「仕方がないんだ。それがあの子達に課せられた業なのだから」
太陽が傾き、地平線の向こうへと消えてゆく。辺りは急速に闇の世界へと転じてゆく。こんな所でも太陽はあるんだなと、未那は平和に思った。
しかし、それに対しての楼と
「日没だ」
「ええ。未那さん、気をつけて。鬼が来ます」
「え?」
――ドォン、と大地を揺るがす音が轟いた。連続して鳴り響く。未那と二匹の狐は大きい岩に身を潜め、様子を伺った。
砂煙の向こうから巨大な鬼が姿を現した。恐ろしい顔で、御伽噺に出てきそうな鬼だ。額には第三の目が開いている。
鬼は怯えだした子供達を一瞥すると、金棒を持ち上げ唸り声と共に振り回した。子供達が作った塚が一瞬で崩壊してゆく。或いはそれを守ろうとして塚諸共飛ばされた子供もいた。
「ひどい……でもどうやってあの鬼を封じ込めるの?」
「これを使うんです」
燕が取り出した物は両手で持てる大きさの匂玉。即ち、御霊代。
「君にも見覚えがあるだろう?」
「だからあれは悪かったって」
楼が意地悪く言うので、未那はお面をずらして口を尖らせてみせた。仕方がないな、とでも言いたげに楼は呆れ顔を浮かべる。
からかわれたようで何か落ち着かない。更に膨れっ面すると楼と燕の忍び笑いが洩れた。つられて未那もだんだん表情を解していった。
不意に、急に楼が未那を抱きかかえて岩陰から飛び出した。え、と思う間もなく岩が砕ける音が未那の耳に届く。着地した未那の足元までカラカラと欠片が転がってきた。
「まずいな。臭気が洩れて鬼に見つかってしまったらしい。未那は私から離れないように」
お面を被り直した未那が頷くと楼はちらりと微笑い、すぐに表情を引き締めた。鬼を睨みつけるように見据える。
「燕は?」
「あそこだ」
楼が差した先は上空、鬼の目前。
燕が御霊代を掲げると鈍い光が滲み出した。一呼吸置いて燕は詠い始めた。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ。――滅!」
御霊代の輝きが一層増す。しかし鬼は苦とせず、燕の体を掴んだ。もう片手の爪で御霊代を砕く。
「御霊代が!!」
もがく燕を鬼は更に握り潰す。燕は顔を歪ませながらも右手を宙に翳した。ぽつ、と虹色の狐火がひとつ生まれたそれは、かざぐるまへと形を変える。
「疾!」
かざぐるまから生じた風はかまいたちとなり、鬼の片目を射抜いた。鬼は燕を放し、呻きもがく。燕は既に御霊代を回収した楼と未那の元へと戻った。
「大丈夫?」
「ええ。それよりも問題なのは御霊代です」
「やはり一度封印を破られた物は駄目だったか。鈴があればいいのだが」
悔しそうな楼の言葉を聞いて、未那は巾着袋から取り出して見せた。財布に付けていたのを思い出したのだ。
小さな鈴がチリン、と涼しげな音をたてて揺れる。
「これでもいいなら、持ってますけど」
「いや……充分だ」
「急ぎましょう、目眩ましも長くは持ちません。僕が鬼を引きつけている間に二人は御霊代をお願いします」
「……楽しんでるな、燕は」
かざぐるまを手に再び鬼へと勇んで挑む燕に、楼は軽く苦笑する。
さて、と楼は未那に向き直った。
「未那は鈴を鳴らして、鎮守神に祈るんだ」
「分かった!」
りん……りぃん…………りん……
言われるままに目を閉じて鈴を鳴らした。意図的に作られたかりそめの暗闇の中、その軽やかな音色がひどく心地が良い。
ふと、眼裏に温かい光が射し込んだ。目を開けるとあった筈の匂玉がなく、代わりに彫刻が施された木製の剣が楼の手の中に存在していた。
どういう事かと目で楼に尋ねると、楼は含み笑いしながらそれを手渡した。
「頼んだぞ」
「……は?」
一瞬の間。
言われた事があまりにも自然すぎて聞き流す所だった。
「だから、この剣で未那が鬼を倒すんだ。協力してもらうと言ったろう?」
「……マジ?」
嘘でしょ、とぼやいた未那に楼は釘を刺すことを忘れない。
「今その御霊代には鎮守神が宿っておられるので、丁重に扱うように」
その時、地面に翳りが出来た。楼が右手を垂直に上げて剣印を結ぶ。
空間に歪みが生じてバチバチと空気が爆ぜ、鬼の苦悶の呻き声が地鳴りとなって響いた。
「この私に不意打ちとは、なかなか度胸のある鬼だな」
楼は唇の端を持ち上げて薄く笑うと左手を数珠に掛け、右手を鬼の足に軽く触れる。
「怨咒魄散!」
触れた箇所を中心に、足の一部分がぼろりと砂のように崩れて塵に消えた。鬼は傾いだ巨体を、膝を付くことで凌ぐ。
「未那さん、御霊代はどうでした?」
降りてきた燕に尋ねられ、やっと我に返る。手中の物を見せて燕を安心させた。そして二匹の力を見せつけられた感想はというと。
「あのさ……そんなにも強いなら、何で自分たちでやらないワケ!?」
「面倒だからだ」
「面倒なんです」
素晴らしいコンビネーション。未那は開いた口が塞がらない。
「なっ……」
「元々君が起こしたことだ、責任は取ってもらわないとな」
「鬼を封じないと貴女は一生元の世界には戻れませんよ。まぁ頑張って下さいね」
さらりと脅され、今更ながらこの二匹の言動に頭を抱えた。しかし当の本人たちは随分と楽しそうだ。
「ああもう! 分かったよやるから! ……でもどうやって倒せばいいの?」
「鬼の弱点は額に開いている第三の眼です。それを封じる事が出来れば鬼は御霊代に封印されるのです」
燕の声は鬼の咆哮によってかき消された。巨大な手が侵入者を排除せんと潰しにかかる。爪が河原を抉り、石が飛び散った。
楼はわざとらしく溜息を吐いてみせる。
「これだから馬鹿の一つ覚えは嫌なんだ」
「仕方ないですよ、鬼ですから」
燕がにっこりと笑う。
「じゃあ始めましょうか。未那さん、用意はいいですか?」
「い、いつでも大丈夫よ!」
「……では、之より鎮守の神の御力を以って鬼を封じる」
瞳を閉じた楼が剣印で九字を切り、内縛印を結ぶ。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
楼の凛とした声が空気を震わせた。紡がれゆく透ったその声は闇を照らす月を連想させる。その間にも燕が鬼を引き付けていた。
「オン・キリキリ・オン・キリキリ」
――ドクン、と剣が脈打ち始めた。生きているように感じて、ぎゅっ、と手中の御霊代を握り締める。
楼は外縛印を結ぶと、更に続けた。
「ノウマクサンマンダ・バサラダンセン・ダマカラシャダソワタヤ・ウンタラタカンマン」
燕が鬼の攻撃をかわしながら声を重ねた。鬼の動きが鈍くなる。
「今だ! 未那!!」
楼の鋭い声に押されて、未那は地を蹴った。重力を感じさせない体の軽さに未那は驚く。ふわりと身体が浮き、勢いで狐のお面が外れて首にかかる。浴衣の袖をバサリと翻らせて剣を高く掲げた。
「ナウマク・サマンダ・ボダナン・キリカ・ソワカ!!」
楼と燕の怒号と同時に、未那は鬼の額の目めがけて剣を垂直に振り下ろした。淡い光を纏った鋭い切っ先が目を貫く。
オオオォォ……
咆哮を残して鬼は霧散し、剣に吸い込まれてゆく。未那の手から剣が離れて河原に落ちた。
カラン、と乾いた音。
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