二、狐火と祷り

 森の奥へ踏み込んだ未那は、まず自分の目を疑った。

 暗闇に目を凝らすと、狛狐がいた台の上に人間の姿をした狐が二匹座っていたのだ。


 片方の仔狐がその小さな手を、暗い世界に軽く翳した。

 やがて生まれたのは、幾つもの狐火。蒼、紫、白、金などの様々な色彩の火が宙に放たれてゆく。

朧げな火の玉がふわりふわりと舞い、辺りを照らした。夜がそれらに遠慮してやや遠ざかり、薄闇が広がる。

 幻想的な夜の宵の下、美しい一枚の絵を見ているようだ。

 その絵に目を奪われた未那の頬を、先程見た蒼色の狐火が掠める。熱さはない。眩しさにただ目を細めた。

 不意に、仔狐が此方を向いた。立ち竦んでいると仔狐が近寄ってきた。見た目は少年のようだった。


「あなたが未那さんですね」

「そうだけど……何で名前、知ってるの?」


 仔狐は未那の問い掛けを黙殺して話を続けた。


「僕はエンと言います。此方が」

ロウだ」


 もう片方の狐が台から降りた。青年の姿をしており、長い数珠を首に下げている。楼は燕と名乗る仔狐の言葉を継いだ。


「君は昼間の子だな。何故此処に来た?」

「何故って……お散歩だけど」


 未那はあまり快く歓迎されていない事を感じ取った。そんな相手にただの好奇心です、だなんて言える筈がない。取り敢えず答えたが、嘘は言っていない。

 するとじいっと見つめられる。深緋色のその瞳は、秋の熟れた果物を連想させた。――気のせいか、地面がゆらりと揺れた。


「本当にただのお散歩だってば」

「……君は此処の古い言い伝えを知っているか?」

「? 知らないわ」


 急に質問を変えられ、戸惑いながらも首を振った。また、地面が揺れる。

 楼は近くに漂っていた金色の狐火を指先で引っ掛けた。その輝きに照らされて、二匹の輪郭がくっきりと浮かび上がる。

 人間の顔でありながら人間ではない、鎮守神の御遣いの表情。瞳の柔和な色の中に見え隠れする冷たくて鋭い煌き。

 その煌きを瞼の裏に隠し、燕はすう、と息を吸い込んだ。



 ――其れは昔々のお話。何処だったか、鎮守の神様がおわすと云われた村がありました。

 その村に度々鬼がやって来て、ひどい悪さをしていったのです。それを見かねた神様は、二匹の狐を遣わし、御霊代に依ってその鬼を封じ込めました。

 喜んだ村人たちは神様に感謝の気持ちを込めて社を立て、その社を鎮守の社と呼びました。


 御霊代は社の奥深くに祀り、二度と鬼が蘇らないようにと、二匹の神狐を左右に置きました。

 其れ以後、村は平穏無事に暮らしたそうな――



 諳んじ終えると燕は目を開け、小さくお辞儀をして締め括った。


「その御霊代を君たちが都合よく壊してくれたので、鬼がまた蘇ってしまった」

「でも私たちは触ってないわ。地震が起きて、気が付いたら壊れてたのよ」


 どこか皮肉が交じった物言いに未那は反論する。楼は小さくため息をついた。


「君たちに警告をしたのは無駄だったようだ」

「警告? ……あ!」


 未那はほんの少しばかり考え、思い当たったのか目を見開く。


 ――また地面が揺れた。今までよりもはるかに大きい。未那は立っていられずに座り込んだ。


「まもなく鬼が此方に来ます。楼さん!」


 燕の叫びを受け、楼は頷く。未那を見下ろして整然と告げた。


「こうなってしまったのは君にも責任がある。――協力してもらうぞ」

「え、協力? 何よそれ!」


 地震で半ば混乱しかけている未那だが、鳥居の奥から禍々しい気配が近づいてくるのが分かる。

 地面が一層大きく揺れた。狐火が消えた宵闇の最中、影が未那と狐たちの上に落ちかかった。

 楼が首に下げた数珠を手にかけて剣印を結ぶ。


「壊!」


 空間が歪んで弾けた。次の瞬間には、何事もなかったかのように静寂が茫漠と広がっているのみ。



「……ったぁ……ここ、どこ?」


 腰をしたたかに打った未那は擦りながら辺りを見渡した。


「此処は冥土の手前、賽の河原だ」


 振り向くと、ロウが険しい顔で立っていた。隣のエンも同じだ。


「賽の河原?」


 足元を見ると、大小の石が一面に転がっていた。少し向こうには川が横たわっており、更にその向こうは靄に包まれて望むことが出来ない。

 とするとあれが三途の川なのだろうか。


「鬼に見つかると厄介だな。未那はこれを被るといい」


 と言って差し出した楼の手には、彼が頭に付けていた狐のお面。楼曰く、生きた人間の臭気を消してくれるのだそうだ。未那は言われた通りにそれを被ると、急にカチカチと石の鳴る音が響いてきた。


 それは十歳にも満たない子供達が河原の石を持ち運んでいる音だった。子供達はひとつずつ石を積み、祷りの唄を口ずさんでは少しずつ塚を作り上げてゆく。

 しかしどの子も皆、沈んだ顔つきをしていた。


「あの子たちは自分が先に逝ってしまったのを親に侘びて、ああやって塚を作っているんです。成仏出来ないのは、両親があの子達の死を受け入れられないからなんですよ」


 余程不思議そうな顔をしていたのか、燕が説明をしてくれた。次いで楼が口を開く。


「穢土には賽の河原地蔵和讃という唄があるらしいのだが……君は知っているかな」




これはこの世のことならず

死出の山路の裾野なる

賽の河原の物語


聞くにつけても哀れなり

二つや三つや四つ五つ

十にも足らぬみどりごが


賽の河原に集まりて

父上恋し 母恋し


恋し恋しと泣く声は

この世の声とは事変わり

悲しさ骨身を通すなり


かのみどりごの所作として


河原の石をとり集め

これにて回向の塔を積む


一重積んでは父のため

二重積んでは母のため

三重積んではふるさとの

兄弟我身と回向して


昼は独りで遊べども

日も入りあいのその頃は

地獄の鬼が現れて

やれ汝らは何をする


娑婆に残りし父母は

追善座禅の勤めなく

ただ明け暮れの嘆きには

酷や哀しや不憫やと

親の嘆きは汝らの

苦患を受くる種となる


我を恨むる事なかれ

くろがね棒をとりのべて

積みたる塔を押し崩す


(後略)



 永久に続く、罪と孤独の無間回廊。

 続くきざはしの向こうは未だ暗がり。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る