暗がりの階

海月ゆき

一、狐の警告

 暑い、という言葉は聞き飽きたしそもそも言うことさえ億劫だ。

 彼女は脱力して地面に目を遣った。足元には嫌味かと思えるほど幻想的な木洩れ日が広がっていた。

 太陽が真上に君臨するこの時分。しかし彼女のいる場所は照りつける日光が葉に阻まれ、風も通り抜ける木陰は意外と涼やかだ。蝉が耳の痛くなるほど鳴いており、顔を上げなくてもそこにいるのが分かる。


 今は、夏。

 未那みなは友人の茉莉まつりと神社に来ていた。


(誘いに乗るんじゃなかったなぁ)


 小さく心で溜息をついた。元々の発端は茉莉にある。


 ――ね、今夜先輩に会えるように、これから神社でお参りしない?

 ――ちょ、ちょっと待ってよ! 何で知ってるの!?

 ――だって未那、先輩が好きなんでしょ? バレバレだってば。

 ――……私ってそんなに分かりやすい?

 ――当たり前でしょ、アンタなんだから。ほら、早く来ないと置いてくよー!


 そして現在に至る。午前で部活が終わったので、そのまま神社へと直行ルートだ。


 因みに“先輩”というのは、入学式に一目惚れして以来片想い中の学校の先輩で、結構人気が高い。自分では上手く隠してきたつもりだったが、どうやら周囲の友人にはバレていたらしい。好き避けしてしまうので挨拶程度の薄い接点しか持てず、友人たちはやきもきしていたようだ。

 この夜、この神社で行われる夏祭りに先輩と会えるといいなと未那は淡い期待を抱いていたのだ。


 未那はスポーツバックを掛けなおして辺りを眺めた。道沿いに屋台が並び、今夜の準備をしている姿をみていると、今から気分が高揚してくる。

 それらで少し元気が出た未那は、既に境内にいる茉莉の元へと急いだ。


 参拝を済ませた二人は境内で休憩をとることにし、本殿の端へと腰を下ろした。

 暫くお喋りに花を咲かせていると、ふと神社の奥――森の方に視線が止まった。

 今まで気にも留めなかったが、奥へと続く道がある。少し薄暗いが、それがホラー好きな彼女達にとってはもってこいの雰囲気である。

 未那と茉莉は顔を見合わせて悪戯っ子のように笑いあった。そして散策気分でその道の奥へと進んでいった。


 少し進むと、朱い鳥居が何十本と並んでいるのが見えた。近くまで寄ると二匹の神狐が左右に立っていた。

 茉莉はこの雰囲気が楽しくて仕方がないらしい。だが未那自身も本当にこういうのが大好きなのだ。


「早く行こ!」


 逸る心を抑えた為か、声が多少上擦った所は目を瞑って。鳥居が立ち並ぶ階段へと足を踏み出す。


 ――――――。


 瞬間、冷たいモノが肌を突き刺した。未那は思わず自分を抱きしめる。外傷は、ない。

 辺りを見渡すと神狐と眼が合った。……いや、そんな気がしただけだ。未那はまた歩き始めた。


 朱いトンネルを抜けると今度は自分たちの身長くらい、ひと回り小さな鳥居が樹立していた。その向こうには注連縄をつけて祀られた古めかしい祠がひっそりと佇んでいる。


「なんか普通のお社にしては丁寧すぎじゃない?」


 茉莉がこんな感想を洩らす。未那も同意見だ。

更に祠の中を見ようと腰を屈めた。そこに祀られていたのは。


「……勾玉じゃん」


 二人は勾玉をまじまじと見た。それは寂れた暗紫色で、両手で持てるくらいの大きさだ。

 その時、ぐらりと地面が揺れた。地震だ。それも相当大きい。暫くして揺れが収まると未那と茉莉はそろそろと起き上がる。


「危なかったね。茉莉ちゃんは大丈夫?」

「全然平気。……ちょっと、見てよアレ」

「え? ……やだ、何あれ」


 祠の中の勾玉が真っ二つに割れていた。

 未那と茉莉は互いの顔を見合わせた。その顔色は心なしか青い。


「帰ろ」


 茉莉が踵を返して、今来た道を戻り始めた。その後を未那は慌てて追う。


「この事は誰にも喋っちゃダメ。もうあそこに近寄らないでおこうよ」


 別れる間際、茉莉は真剣な顔をして未那に言った。今日の出来事は二人だけの秘密。そういうことにして。


 夕方、浴衣に着替えた未那は茉莉と待ち合わせして夏祭り開催の神社へと再び向かった。

 提灯が幾つも吊られ、屋台からは威勢のいい声が飛び交っている。

 未那は歓声を上げた。


「流石に人が多いねー!」

「夏祭りだもんねぇ」


 笑って茉莉はお財布を取り出した。狙うは、食べ物。その意図に気付いた未那も笑って巾着を開ける。――その時、人混みの中にちらりと見えた。未那が会いたかった人物。


「……先輩だ」

「どこ? ……未那、行くよ!」


 言うなり茉莉は走り出した。未那はその姿を追いかける。私の為に動いてくれるその背中が頼もしいが、慣れない下駄で上手く走れない。それでも人混みをかき分けて進む。

 しかし目を離した一瞬に茉莉は見えなくなってしまった。


「……うそ、」


 未那は辺りを見回した。どうやらはぐれたらしい。携帯も繋がらなかった。

 未那は困り果て、昼に来た境内で待つことにした。


「…………」


 もう行かない、と決めたあの場所がひどく気になる。ちらりとその方向に目を遣ってみた。一瞬、身体が強張る。

 ――火のような蒼い光が森の奥でちらついていたのだ。


(何だろうあれ。すごく気になる)


 暫し考えた末、未那は立ち上がった。湧き上がる好奇心には勝てなかったようだ。未那はその幽かな光を追って森の奥へと消えていった。

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