障害があるからって、低スペックとは限らない。

 Twitterで、最近ちょこちょこフォローされる事が増えた。

 どういう人なんだろうと一応チェックするんだけども、大抵が小説を書いている人で(ありがとうございます!私も落ち着きましたら読みに行かせて頂きます!)、残りがメンタルに問題を抱えている人。――この連載のせいだね。どう考えてもね。


 そういう人のTwitterって、正直愚痴ばっかりなんだよね……。

 他人の愚痴までリツイしてて、嗚呼、ここに20年前の私がいると思ったよ……。


 そう。この「どう見ても自信家の陽キャ」美貴さんにも、暗黒の時代があったのだよ。普通になりたいと神に祈り、できる事なら卵子の時期まで戻って自分を叩きなおしたいと思った時期が。当時はADHDなんて概念もなかったしさ、うつ病になったら社会的生命が終わるっていうのが常識だったしさ。


 たださ。欠けてる(そういう言い方もおかしいとは思うけど)ところがあるからって、低スペックって考え方はどうなのよと。四十路半ばまで生きた姐さんとしては、そりゃ絶対違うと思うけどな。


 例えば私は、『国語』に長けてるんだよね。

 小学校から高校卒業まで、国語だけ通知表はオール5(10段階の時は10)。高校の時に受けた模試では、国公立進学クラスを含めた全校(多分1学年300人位いた)で6位。私は私立理系クラスだったんで、担任に「お前はなんで理系に来た!」って怒られたわ。仕方ないでしょ、うちの一族は理系至上主義なんだよ。

 他にも学内とはいえ作文で賞を取ったり、俳句が入選したりと、言葉を操る事には自信があった。ほかはからっきしダメだったけど。


 案の定というか、私は言葉を操る場面になると重宝される。

 例えば接客業。ホテルにいた時は観光案内、イベント会場の時は混乱が起きないための説明だとか、店員だったときは商品説明からサービス案内、電話対応まで。私が話すと揉めないんだよね、なぜか。

 今やっているシステムエンジニアも、プログラムって結局『言語』。重宝とまではいかないけど、言葉でモノを作る感じが楽しい。


 今まで出会った人の中には、「ASDっぽいけど接客で人気」って人もいた。ホテルで働いていた時の同僚なんだけど、【不器用だけど一生懸命で、しかも要望以上に答えてくれる好青年】としてお客様好感度No.1だった。

 この人との出会いは、私が持っていた『発達障害は決して障害じゃない』って考えの裏打ちになった。むしろ不器用さを武器にしてたもんね、あの人。


 ただね、だからって「おまいらも頑張れ」って言いたいわけじゃあないんだよね。

 なんでそんな劣等感を持ってしまったかというと、『圧倒的多数の定型発達者から、執拗に攻撃を受けたから』でしょ。そんなズタボロの被害者に、更に「やればできる」なんて言うのは、傷口に塩と唐辛子塗りこむようなもんでしょうが。


 だからね、私が言いたいのはこういう事。

 あなた方は低スペックじゃありません。環境と工夫次第でいくらでもバズる原石です。だけど今は悪い洗脳にかかっているから、好きな事をする時間を作って、まずは楽しいっていう気持ちを取り戻しましょ。

 自信って言うのは、楽しい気持ちを伴って育つものだと思いますよ。

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