怒る事は悪くない。伝わらない方が問題。

 双極性障害になると、どうしても怖くなるのが『感情』。

 楽しいから、怒ったからと興奮すると、感情の抑制がきかなくなってしまう。当の本人は「ワタシ絶好調!」だとか「正義の鉄槌じゃ!」だとか、とにかく『自分は間違っていない』と確信している事が多く、後になって「やばい……取返しがつかない……」と、絶望に追い込まれる事になる。


 だから「興奮してはいけません」というメソッドを読むこともあるが……

 私は思う。それ、絶対無理だろ。


 ここからは、特に怒りに焦点を当てて話そう。

 私は、体をただの原子や分子の塊だと思っている。脳だって、パソコンやスマホに入っている電子基板と同じだ。素材が違うだけで、電気信号や伝達物質を使ってデータのやり取りをしている事に変わりはない。

 感情というのは、記録をしやすくしたり、危機回避に適応した回路を検索したり、理系分野で言うところの『触媒』だと思う。触媒は意図して出せない。外からの刺激に反応して自然に出る。……だから、怒るなというのはかなり無理があるのだ。特に怒りは、己や己のコロニーに危機が迫った時に出る反撃の本能だ。我慢したらストレスがたまるし、何より危機が解決できない。


 だから、怒る事は問題はない。

 問題なのは、怒りに対して何もレスポンスがない事だ。怒りは相手を強く傷つけるので、大抵は逃げる、謝る、反撃される等の反応があってしかるべきだ。しかし相手がこちらを侮っている場合、もしくは感情を理解できない人間である場合、反応は来ない。どんなに必死に抗議しても、何も改善されない。意見のすり替えも同様である、相手がこちらの意向を汲んでいないと気づいた途端、怒っていた人間は猛烈に傷つき無力感に陥る。――脳内で『自我』を構成したエリアが破壊されるのである。


 怒りは防衛本能だ。それを無視される環境にいるのなら、基本的には去った方がいいと思う。そりゃ自分が間違っている事もあるだろうが、『諭す』というレスポンスがあるとなしでは、怒った相手の自分に対する評価がまったく違う。

 諭してくれるのなら、関係はともかく『君と一緒に生きていたい』という証明であるし、諭さないのは『人としての価値もない』と思っているに等しい。


 そういう人間は、たとえ物理的暴力がなくても心理的暴力を行っている。

 さっき言ったように、脳は電子基板だ。心理的ショックが大きければ、電圧がかかりすぎて脳内でショートが起き、脳が焼けて脳細胞が消滅する。パソコンで言えば、メモリが壊れ、最悪CPUが壊れる。そうなったら、もう人は正常な判断などできやしない。


 私は、精神病になった人は『CPUまで壊された人』だと思っている。認知のゆがみなんて、完全に自己肯定の記憶を排除して回路が引かれている感じだし、幻覚や幻聴も脳のコアで正常な処理が行われていない結果に思える。


 幸い、脳細胞は快適な刺激を受けると回復するという研究結果がある。そうでなくても、脳細胞から新たにシナプス伸ばし、損傷の中で孤立した脳細胞と繋げて良い記憶を予呼び覚ます事は可能だろう。キーワードは『楽しむ事』『感動する事』『創造性を伴う作業を行う事』。


 怒る事は悪くない、しかし、理解を求めて怒り続けるのは大問題。

 壊れてしまう前にできればそいつと縁を切り、少なくとも分かって欲しいなどと考えるのは諦めて、自分が楽しめる事を全力でやり切る方がいい。

 そうすれば、新たな出会いだってたくさんある訳だから。

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