弓道は禅に似ている。

 ちょっと今、メンタルとフィジカルに来ている。

 弓道教室の同期と衝突して和解できていないし、うちの彼は新しい職場で自信を失って精神が乖離寸前。そのストレス発散にプライベート時間全てを付き合わされ、小説を書く時間がない。


 彼が寝た後に必死で書いていたが、限界が来てやめた。深夜4時まで書いて6時半に起きる生活なんて、長く続くはずがない。

 悲観的にはならないが、頭痛と吐き気と肩こりと眩暈と――とにかく体に出まくりだ。精神が病んでなくても、夜はたっぷり寝るためにあるってもんだ。

 今は、仕事の合間や彼が帰宅する前、二人でテレビを見ている時間を執筆に当てている。が、時間が非常に短いからイライラする。


 ま。完全に書かせてくれないと悟ったら、彼の方を捨てるわ(本気)


 弓道に関しては、人間関係が面倒なだけなので多分やめない。弓道そのものは面白いしね。陶芸や書道にも似て、自分の心がありありと姿や形に出る。弓道と禅を結び付けて考察した本もあるほど、自分の内側を見つめる武道――というか、神事だと思う。(弓道の作法で矢を射たところで、戦の役にも立たねえよ)


 私は口先だけで世の中を渡って来たようなところがあるけれど、弓道ではそうもいかない。まず、矢が当たっても喜んではいけない。ああ見えて団体競技なので、流れを乱してはいけない。声を出してもならないし、作法も存外に厳しい。

 ある意味、爺さん婆さんが言う『古き良き日本』だ。私の嫌いな右に倣えだ。


 だけど弓を引き絞る瞬間だけは、完全に己の世界。自分の内側が乱れると迷いが生じ、凪のように静かだと矢は的に吸い込まれるように当たる。

 逆に言えば、どんなに心が乱れていても、矢に集中する事で整えられる人もいる、という事。凪の境地を求めて、弓道場には多くの人が訪れる。そういう意味で、確かに弓道は禅に近い。


 私は彼に無理やり連れてこられたのだけれど、今では結構ハマっている。私の人生は正直荒れっぱなしで、凪なんてなかったから(笑)。弓道の後は腕も脚も疲れちゃうけれど、無心になって矢をつがえ、放つのは楽しい。静かだけど楽しい。


『楽しい』って言えるって事は、何のかんの言って私って今幸せなのだな。色々面倒はあるけどさ。

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