エピローグ

 神城千冬こうじろちふゆは、中庭のベンチに一人腰掛け、俯いていた。目を閉じると、佐々木百合葉ささきゆりはに言われたことを否応なく思い出す。


『千冬。高校に入ったらロミ研に入りなさい。大丈夫。私が復活させるから。そこであなたは部長をやる。ロミ研の部長には、代々不思議な力が宿ると言われている。あなたはその力で願いを叶える。いい? 必ずロミ研の部長になりなさい』


 言葉の真偽はともかく、百合葉が自分のことを案じて言ってくれているというのは分かっていた。姉の古い友人である百合葉のことは、幼い頃から知っている。反対に百合葉の方も千冬のことをよく知っていた。

 引っ込み思案で、人とのコミュニケーションが極端に苦手。友達と呼べる人間はほとんどおらず、会話をする相手といえば、家族か自分の作ったボーカロイドだけ。

 千冬は、いわゆる陰キャと呼ばれる人種だ。コミュ障持ちの陰キャ。それが千冬の属性だった。

 けれど千冬だって、なにも好きで陰キャでいるわけではない。現状に満足してもいない。


 千冬の姉は明るく活発だった。そんな姉が、バンドを組んで仲間を得ていく過程を見ていた千冬は、私も高校生になったら──と思わなくはなかった。けれど、同時にきっとそんなのは無理だと思った。

 百合葉はそんな千冬の内面の期待まで理解して、ロミ研の部長になれと言ったのだ。千冬には、自分の願いを叶えることとロミ研の部長になることとの因果関係が全く分からなかったが、それでもなにもしないよりはマシなのかもしれないと思っていた。

 しかし、千冬はその場で素直に頷くことができなかった。どうしようもない意地を張ってしまう。

 神城千冬とは元来そういう女の子だった。


 ふぅ……と息を吐き、愛用のヘッドホンを着ける。スマートフォンを操作して、自作のボーカロイドが歌う自作の曲を再生した。

 タイトルはまだ決めていない。自信作だった。けれど、納得のいかないところがあった。それは、ボーカロイドの歌声だ。

 いくら調声ちょうせいを施しても、機械的で情緒を欠く歌声になってしまう。それが千冬にとって、どうしようもなくもどかしかった。人間のように歌わせたい。人間が歌う曲にも負けない曲を創りたい。そうすればきっと──。

 けれど、千冬は人間というものがよく分からなかった。家族以外のだれかと争うことも、笑いあうことも、ほとんどしたことがなかった。

 そんな自分が人間みたいに歌わせることなどできるわけがない。そうやって、ずっと前に諦めていた。


 顔を上げて、目を開けると視界の端に人影が見える。遠目に見ると何やらおかしな動きをしているその人影は、学生服を着た男子生徒だった。きっと、彼も千冬と同じ来年度の新入生なのだろう。なにせ今日、学校に在校生はいない。今日ここにいるのは、千冬のような来年度入学予定の者だけだ。


 彼は、ゆっくりとした足取りで、千冬には目もくれず、何も視界に入っていないかのように歩いてくる。直感的に彼も自分と同じタイプの人間に違いないと千冬は思った。

 周りのことを一切気にせず、自分のしていることに没頭しているからか、それとも、千冬がいるにも関わらずまるでそれを目に入れたくないと言わんばかりにハッキリとこちらへの意識を遮断していると感じたからか。理由はわからないが、きっと陰キャに違いないと千冬は、半ば確信をもってそう思った。


 目の前を通りすぎるとき、彼の耳に刺さったイヤホンに気がついた。ヘッドホンを外すと、彼のイヤホンから微かに漏れる音が聞こえてくる。ハイハットとギターの高音成分が漏れ出ていた。

 音楽が好きなんだな、と千冬は思った。

 そう思えば、彼の不思議な──あるいは、滑稽な動きにも納得がいく。彼は音楽に合わせて頭を小刻みに揺らし、右手でギターを弾く真似をしていた。けれど、ギターは弾けないのだろうなと千冬は思う。動きがギターを弾ける人のそれではない。

 彼は、千冬の目の前を通り過ぎると、そのまま真っ直ぐ奥の方へと消えていった。


 それからしばらくの間、千冬は自分の作った楽曲を聞いていた。まだ、百合葉の言ったことを受け入れるかは決めかねている。

 ふと、カバンを開けて、小さなメモ紙を取り出した。そこに小さく『充実した学園生活を送りたい』と記す。そして、姉が所属するバンドのステッカーが貼られたスマホケースの中にそれを挟み込んだ。そのままカバンのポケットにしまう。

 いつのまにか陽が落ち始めていた。少し肌寒い。どうやらまだ春は来ていないらしい。

 千冬は、そろそろ帰ろうと立ち上がる。

 その拍子にカバンのポケットからスマートフォンが落ちた。千冬の座っていたベンチに激しくぶつかる。ヘッドホンをした千冬は、落ちたスマートフォンに気がつかない。薄闇に染まりつつある空を見上げながら、スカートの裾を払うと、黒い髪がふわりと風に揺れた。


 スマートフォンはそのままに、ほとんど人が残っていない校舎を千冬は後にする。結論は先送りにしたまま。


 千冬が離れてしばらくして、だれもいなくなった中庭に放課後を告げるチャイムが鳴り響いた。

 千冬の残したスマートフォンの画面が一人でに灯る。



【了】

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