第62話 聞いてください。『放課後ボカロッカー』
しばらく鳴りやまない「ピュ~~ッ」という指笛の音。それに呼応するかのように、女子の黄色い声もしばらくの間鳴り止まなかった。集まっているのは、年頃の高校生。恋愛絡みの話が大好物だ。
そんなやつらを俺は、いつもくだらないと斜めに見ていた。まさか自分がそのど真ん中に引きずり出されるとは夢にも思わなかった。
「──私もあなたのことが好きです」
言い終わるのと同時に、さっきとは比べ物にならないくらいの大歓声が巻き起こる。その声の主は、そのほとんどが女子のようだったが、「マジか~~」という男子の声も混じっていた。その声からは、ハッキリとした落胆の色がうかがえる。もしかしたら、密かに千冬に思いを寄せていたやつがいるのかもしれない。千冬は、ルックスだけ見れば美少女だ。そういうやつがいても不思議ではない。
俺はというと、千冬の告げた言葉の意味がすぐには飲み込めずにいた。時間をかけて意味を咀嚼すると、気が付いた。千冬が不安がっていた本当の理由が分かった気がした。あいつは最初から、こうするつもりでいたのだ。
それは、つまり──。
その先を考えようとすると心臓がバクバクと脈を打つ。突き詰めて考えれば、俺が始めたことだ。けれど、こんなこと予想もしていなかった。嬉しくないといったら、嘘になる。千冬が俺のことを好きだと言ってくれた。嬉しくないわけがない。
だが、にわかには信じられなかった。
感情表現の乏しい普段の千冬の顔が脳裏に浮かぶ。アナウンスの主は、本当にあの千冬なのだろうか、と馬鹿げた疑問すら浮かんだ。
俺はただひたすら、混乱していた。動揺もしていた。千冬の予告したとおりになっていた。
そんなことはお構いなしに千冬はアナウンスを続ける。
「私の個人的なことばかり喋りました。そろそろ、演奏をお聞かせする時間です。ロックミュージック研究会のみんな。準備はいい? いいよね? 約束だもんね。楽しもう。精いっぱい。私たちの音楽を楽しもう!」
その言葉で我に返る。
そうだ。今は、余計なことを考えずに楽しもう。楽しまなければ。
隣のフリーに視線を送る。フリーは好奇心と心配が入り混じった視線を俺に送っていたが、目が合うとニヤリと笑い、安心したようにうなずいた。
後ろのタムとシラサギにも目線を送る。二人ともにこやかな顔で親指を立てている。やっぱりちょっと恥ずかしい。
「ロックミュージック研究会によるライブ。スタートです。聞いてください。『放課後ボカロッカー』」
ややあって、千冬が曲の始まりを告げると、会場は静かに曲の始まりを待った。
すぐに月華が歌い出す。
その瞬間、静かだった会場がざわついた。さっきの黄色の強い声ではなく、どちらかというと落ち着いた声が月華の歌を迎えた。会場のざわつきは、月華の歌声に驚いてのものだった。
ボーカルがいないにもかかわらず、歌声が聞こえてきたことに対する驚きではない。月華の歌声そのものに対する驚きだった。
ステージに立つ俺も、ほとんど観客と同じように驚いていた。
月華の歌声は、前日まで練習で聴いていたものとはまるで別ものだった。声質は間違いなく月華のものなのに、例の機械っぽさがない。情緒的で、まるで生身の人間が歌っているようだった。
二小節。月華が歌ったところで、タムのカウントが慌てたように入る。シャンシャンシャンシャン──というハイハットを叩く音は、ほんの一拍遅れていた。
ほんのわずかにでもテンポがズレてしまうと、一定のテンポ、決まったリズムで打ち込まれている月華の歌声とは合わなくなってしまう。
まずい、と思ったその時だった。月華の歌声がタムのドラムに合わせるように、寄り添うように間をとった。ありえないことだった。
タムの叩くドラムにわずかな戸惑いの音が混じる。けれど、止まることはなかった。
タムの叩くドラムに合わせて、俺も慌ててギターを奏でる。いつもはテンポをズラさないように気を配りすぎるあまり、月華の歌声ばかりを聴いてしまっていた。しかし、今はタムのドラムをしっかり聞くことができる。
月華の歌声は、俺たちの演奏に寄り添うようでありながら、引っ張ってくれているようでもあった。ズレそうになると、月華の方が俺たちに合わせてくれている感覚が確かにあった。気のせいではない。
心地いい。
演奏がこれほど心地よく思えたのは、初めてのことだった。
楽しくてしかたがなかった。いつもは自分の手元ばかり見て演奏していたが、今日は他のメンバーの顔を見る余裕がある。
フリーやタム、シラサギも同じようで俺が視線を送ると向こうもこちらを見ていたり、俺以外のだれかに視線を送っていたり。余裕をもって演奏しているように思えた。
視線を前に送れば、観客一人一人の表情まで分かる。例外なく俺たちの演奏を好意的に受け取ってくれているように見えた。
それも全部月華のおかげであるように思えた。
演奏はあっという間に終わってしまった。楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうというが、本当にそのとおりなのだと実感する。
「ありがとうございました」
千冬のアナウンスがあっけなくそう告げる。
「たった一曲だけのライブでしたが、いかがでしたでしょうか。来年もライブができるよう、私たちロックミュージック研究会は活動を続けていきたいと思っています。どうか、よろしくお願いいたします」
最後の言葉は、この場にいるかいないか分からない、理事長に向けてのものだろう。
客観的に評価することは難しいが、主観的には最高のライブだった。それを証明するように信じられないくらい盛大な歓声が俺たちを包んでいる。味わったことのない高揚感が全身を駆け巡る。
「音楽って最高じゃねーか」
思わずつぶやいていた。
「そのとおりやな」
隣のフリーが応える。
「うん、うん。音楽っていいよね。本当に最高だよ」
タムも同調する。シラサギは、「ふっ」と何も言わずに前髪をかき上げたが、まんざらでもなさそうだった。
初めてのライブは、千冬の予告どおり──というか、計画どおり、ハプニングに見舞われはしたものの俺の宣言どおり、失敗することなく終えることができた。理事長がどういう判断を下すかは分からないが、どういう結果になったとしても悔いはない。
それにロックミュージック研究会という箱にこだわらなくても、俺たち五人はもう仲間なのだ。きっとどこででも音楽を一緒に奏でられる。そう実感できる最高のライブだった。
万雷の拍手に見送られながら、俺は確信していた。
俺たちは、間違いなく仲間だ。バラバラになることなんて、ない。
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