第61話 私が言いたいことというのは、お礼なんです

 フロアには、埋め尽くさんばかりの観客。ステージから見る景色は、思いのほか爽快だった。


 シラサギはもともと緊張とは無縁なやつだし、タムも運動部の大会とかで修羅場をくぐっているのか割かし平気そうな顔をしていた。むしろステージに上がらない千冬ちふゆや応援に駆けつけてくれた佐々木ささき先生の方が緊張しているように見えたくらいだ。

 俺はというと、初めのうちこそ怖気づいていた。けれど、いざステージ袖まで来てみると、千冬に切った大見栄が背中を押してくれて腹を括ることができた。

 意外なことに一番重症なのはフリーだったが、最終的にそんなフリーを励ます余裕すら俺にはあった。


 ステージ上で最終的な音の確認とチューニングをしていると、頭上のスピーカーから聞きなれた声が響いた。千冬の声だった。


「みなさん。今日は、ロックミュージック研究会のライブにお集まりいただき、誠にありがとうございます。私はロックミュージック研究会の部長、神城千冬こうじろちふゆです。つたないながら、今日のライブの進行を務めさせていただきますので、よろしくお願いいたします。演奏を始める前に、簡単に私たちロックミュージック研究会の紹介をさせてください」


 突然のことに準備をする手が止まる。

 ステージ上のフリーやタム、シラサギを見ると全員それまでしていた準備の手を止めて、あっけにとられているようだった。「知ってたか?」という意味を込めてフリー、タム、シラサギの順に視線を送ると、みんな「聞いてない」という仕草を返す。

 ロックバンドのライブにはあまり似つかわしくない硬いアナウンスに、観客も戸惑っているようだった。客席からは「いえ~い!!」などといった乗りのいい声は聞こえず、ざわざわとどよめいている。公開オーディションのときに聞いた独特の抑揚を持ったアナウンスと比べると生真面目に聞こえた。

 だが、無理もない。なにしろ声の主はあの千冬なのだ。このような舞台で大勢に向けて声を発するなど、全くもって向いていない。


 千冬が匂わせていたライブが失敗に終わるかもしれないと思った不安材料は、これだったのかと気が付く。アナウンスによって、演奏しにくい空気を作ってしまうかもしれないとでも思ったのだろう。それなら変に隠したりせずに言ってくれればよかったものを──。


「私たちロックミュージック研究会は、私を含む総勢五名からなる部活です。ステージ上の四人と私で全部です。全員一年生である私たちは、活動休止状態にあったロックミュージック研究会を今年から復活させました。活動内容は、バンドを組んでみんなで音楽を楽しむ。それだけです」


 どこか演説めいたアナウンスは、淡々と続く。公会堂を埋め尽くすような観客は、最初こそざわざわと落ち着かない様子だったが、千冬の生真面目なアナウンスに慣れたのか徐々に静かになっていった。


「私たちの活動は一見すると、軽音部と似ています。軽音部と統合すればいいのでは? 軽音部があるのだからロックミュージック研究会は不要なのでは? という声。分からなくはありません。理事長先生が我が校の部活数が多すぎると考えていらっしゃる。そのことも何となくですが聞いています。けれど、私は断言します。私たちロックミュージック研究会は、軽音部とは違います。明確に違うのです」


 最初、演説めいていたものは、もうほとんど演説そのものだった。ステージ上の俺たちは、戸惑いながらもなんとか準備を終え、ただひたすら困惑しながら千冬の演説を聴いていた。


「どこが違うのかは、このあとの演奏を聴いていただければ分かります。なので、あえてここでは言いません。私には、ほかにもっと言いたいことがあります」


 千冬がスピーカー越しに告げると、「なぁ~にぃ~?」という声が客席から聞こえる。最初の声を合図に続々と「教えて~」とか「気になるぅ~」といった声が上がった。

 スピーカーの向こうの千冬は、そういった声に一瞬怯んだようだった。予想しない反応だったのだろう。一方的に語り続ければいいのだと思っていたのかもしれない。けれど、すぐに気持ちを立て直したのか、それらの声に応えるように言った。


「──ありがとうございます。では──。私が言いたいことというのは、お礼なんです。私は、ずっと不安でした。音楽をやることが不安で仕方ありませんでした。大好きなはずなのに、その大好きな音楽に触れるのが怖かったんです。理由は、自信がなかったから。私の音楽では、太刀打ちできない音楽、勝てない音楽が世の中にはあふれている。プロと呼ばれる人たちはもちろん、アマチュアの中にも勝てない音楽だらけ。軽音部の音楽だってそうです。今も軽音部の音楽に勝てるとは思っていません」


 今にして思えば、人よりも優れているからこその苦悩なのだろうなと他人事ひとごとみたいに思う。いや、他人事であることは間違いない。それは、自分とは全く無縁のところで巻き起こっている出来事のように思えた。

 俺は音楽が──、ロックが大好きだが、何かに秀でているわけではない。ただの消費者であり、愛好家だ。最初から、優れた音楽を創る人たちと同じステージには上がっていない。上から降ってくる音楽を下から受け止め、快を得て悦に浸る、それだけだ。

 けれど、千冬は違う。千冬は優れた音楽を創る人たちと同じステージ上にいるのだ。より優れた者と同じステージに立ち、横を見てそれと比べる。自然と比べてしまう場所、比べることができる場所にいる。だからどうしても勝ち負けを考えてしまう。

 でも、俺はやっぱり音楽は勝ち負けではないと思う。

 比べることは構わない。けれど、勝ち負けで論じるのは間違えている。下からそれを享受する消費者だからこそ、ハッキリと間違えていると言える。音楽に好みの差はあれど、優劣はない。


「でも、そうじゃないんだ──、勝ち負けじゃないんだって、ある人の言葉で気が付いたんです。お礼を言いたいのは、その人に対してです。その人は、『音楽は勝ち負けじゃない』と言ってくれました。『音楽はだれかと対立するためのツールじゃない。だれかと繋がるためのツールだ』と。そう言われたとき、私はそのとおりだなと思ったんです。どうして、そんな簡単なことに気が付かなかったんだろうって。だから、本当に心からありがとうと伝えたいです。そして──」


 それは間違いなく俺のことだった。 

 まさかお礼を言いたい相手というのが俺だとは夢にも思っていなかった。どうしていいか分からず、もじもじと足を交互に踏みかえる。

 よくよく考えてみれば、千冬はがだれであるかは言っていない。その人物が俺であることを知っているのは、この会場ではロミ研のメンバーだけだ。だから、客席から見れば、俺は突然気持ち悪い動きを始めた変な奴だ。小便を我慢しているとでも思われているかもしれない。

 なるほど。たしかにこれはライブ前に聴くにはそこそこ動揺させられるものだ。だから、千冬はあらかじめ警告しようとしたのか。けれど、結局そうぜずに不意を打ったわけだ。「いじわるなのは、どっちだよ」と悪態の一つもつきたくなる。

 ライブが終わったら、文句を言ってやろう。どんな文句がいいだろう、とあれこれ考えていると動揺も収まってきた。だから、続く千冬の言葉は本当に俺の不意をつくものだった。


「そして、その人はこんな私のことを好きだとも言ってくれました」


 まさかこんな場で発表されるとは思わなかった。新手の俺への嫌がらせか? とか、何かの冗談のつもりか? とか、そういったことが瞬間的に頭の中を駆け巡る。会場から一斉に「ひゅ~~!!」という冷やかし半分、興味半分といった声や指笛が起こる。

 フリーやタムが何かを察してこちらを見たのが分かったが、それだけだった。俺の頭は、完全に真っ白になってしまっていた。

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