第60話 俺ほど紳士的な男はいないだろ

 文化祭の当日は、慌ただしく時間が過ぎていった。

 俺たちロックミュージック研究会がステージに立つのは、午後三時。それまでのんびり過ごせると思っていたのだが、クラスの催し物の当番があったりで、ほとんど休む暇がなかった。それでも、クラスの当番が終わってからライブまでの少しの間だけ自由な時間があった。

 千冬ちふゆに声をかけられたのは、そんな時だった。思わず口を滑らせるようにして「好きだ」と告げてしまってから、千冬と二人きりでちゃんと話をするのはこれが初めてだった。


「ねぇ、如月きさらぎくん。ちょっといい?」


 若干、遠慮がちではあったが、千冬の様子に大きく変わったところはない。一方で俺の方は……。

 思えば千冬の方から話しかけてくるのは、かなり珍しいことだ。

 今、千冬は少し上目遣いに俺を見ている。それだけで俺の心臓は、ドキドキと胸を突き破って飛び出さんばかりに脈を打った。


「な、なんだ?」


 なるべく平静を装って応える。上手くできたかは分からないが、千冬は特に気にする様子もなく話を続けた。


「あの……さ。もし、今日のライブに失敗しちゃって、それでロミ研が廃部になっちゃったとしても……。私たち、みんな変わらず一緒に音楽を演れるかな?」


 言いながら、自分の言葉に気分を下げているのか徐々にうつむいていく。そして、最後には懇願するようにまた上目遣いでこちらを見た。俺は、千冬の視線をまともに受け止めることができず、思わず目を逸らしてしまう。


「やっぱり……無理……?」


 俺の視線の動きを拒否、あるいは否定の意思表示だと誤解した千冬は、またうつむいてしまった。


「前提が間違っている」


 誤解を解きたいのと俺の内面を誤魔化したいのとがごちゃ混ぜになって、思わず口調が強くなる。予想外の反応だったのか、千冬はパッと顔を上げて「どういうこと?」と首を捻った。今度は上目遣いではなく、まっすぐ俺の方を向いている。


「今日のライブだが、失敗するなんてことはない」


 断言する。

 すると、千冬はほんのわずかに眉をひそめた。ふざけているとでも思ったのだろう。だが、決してふざけてなどいない。本心だった。


「もう一度言うが、今日のライブ。失敗するなんてことは絶対にあり得ない」


「どうして、そう言い切れるの?」


「初めから失敗すると思ってステージに上がるやつなんかいないだろう?」


「それはそうだけど……。でも何が起こるかなんて、だれにも分からないじゃない。万が一ってこともあるし。その万が一が起こったとしたら──、」


「万が一も億が一もない。大丈夫だ。言ったとおり、絶対にお前の心配するような失敗なんて起こりはしない」


「──絶対……に?」


「あぁ、絶対に、だ」


 スゥッと千冬が息を吸い込むのが分かった。そして、当然のことだとばかりに言葉を吐き出す。とても楽しみなイベントがある日なのに酷い嵐が来る。それがあらかじめ分かっている。本当はそれに抗いたいのに、どうすることもできないと諦めている。そんなつらい胸の内を打ち明けるような、そんな声だった。


「この世の中に……」


「その一言で矛盾してるじゃねーか」


 即答で否定してやる。

 絶対なんてものはない。二律背反の言葉。一息で告げてもだいぶ余裕があるくらい短い言葉なのに、はっきりと矛盾していた。

 我ながら鋭い指摘だ──、と思ったが、当の千冬は不満げに頬をリスみたいに膨らまして「揚げ足とりだよ」と言った。なんだ、それは。カワイイじゃないか。また、心臓が跳ね上がる。


「如月くんって、いじわるだよね」


「どこがだ? 俺ほど紳士的な男はいないだろ」


 照れ隠しもあって、そううそぶくと、膨らました頬をすぼめて千冬はクスリと笑った。


「全然紳士ではないと思うけど……でも、ありがとう。根拠なんかないくせに、どんなに不安で、よくないことが起こるって確信があったとしても、如月くんに断言されると本当にそうなんじゃないかって気になるから不思議」


「根拠がないとは失礼な! ちゃんと根拠はあるぞ?」


「本当に? じゃあ、どんな根拠があるの?」


「俺たちにとっての失敗は、今日のライブを楽しめないことだろ? でも、そんなことあると思うか?」


 千冬は、少し考えるそぶりを見せてからおもむろに首を横に振る。


「だろ? だから、失敗なんてしない。分かったか?」


 自信満々に言ってやると千冬はやけに物分かりよく「分かった」と応えた。


「それじゃ、如月くん。今日のライブ。どんなことがあっても動転したりしないで、楽しんでね。私も精いっぱい楽しむから。それから──」


「それから?」


 先を促すと千冬は「やっぱりいい」と、言いかけたものを飲み込んだ。

 気になりはしたが、本人に言う気がないのに無理やり聞き出すのもおかしいと思って、「そうか」と応える。


「とにかく、自分で言ったんだよ? 何があっても。どんなに驚くようなことがあっても、絶対に、絶対に成功させてよ。──楽しもうね」


 千冬の言葉は、何かが起きることを予感しているようだった。何かを予感していて、そのうえで俺に声をかけたのかもしれない。その何かが何なのかは分からないが、きっと今日のライブが失敗に終わってしまうかもしれないと心配になるような何かなのだろう。

 そして、その中身を俺に告げないということは、告げても意味がないと最終的に千冬が判断したからなのだと思う。知ったところで、どうしようもないことなのかもしれない。

 例えば、音響機材に不具合があって、俺たちの演奏に何かしらの支障をきたすとか、思いのほか客が入るらしいという噂を誰かから聞きつけてきて、どうあっても俺たちが緊張でガチガチになってしまうに違いないと確信しているとか。

 ──まぁ、後者はの部分が千冬にあっては考えにくいが、絶対ないとも言えない。


 だが、例えそうだとしても俺の考えは変わらない。俺たちの成功条件は、ライブを楽しむだけなのだから。どんな邪魔が入ろうと、例え演奏で盛大にトチろうと、怖気づくほどの観客がいようと、そんなものは何も影響しない。そんなハプニングすら楽しめると本気で思っている。

 だから、やっぱり自信をもって応える。


「当たり前だろ?」


 千冬は、ようやく本当に安心したように笑った。

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