第59話 軽音部に勝つための勝算は、ない

「えっと……。そろそろ行くか? 部室。久々だろ? きっと、みんな待ってる」


 言ってしまったことを誤魔化すように、それから千冬ちふゆの反応をなかったことにしようと思って、そう促す。千冬は「──だといいけど」と何事もなかったように呟いた。


 二人並んで部室へと向かう。

 途中、窓ガラスに映る自分の姿を見て、顔が真っ赤になっていることを知った。それを千冬に見られていると思うと、また顔に血が巡る。耳の先が熱くなる。

 チラリと横目で盗み見ると、千冬は俯き加減に歩いていた。この情けない真っ赤な顔は見られていないのかもしれない。長い黒髪が、歩調に合わせてわずかな風に乗り、さらさらと揺れていた。


 千冬は、さっきの俺の言葉をどう受け取ったのだろうか。分からなかった。自ら発した言葉だというのに、俺自身どういう意味で言った言葉なのか瞬時には理解できなかった。

 思い返すとますます顔が赤くなる。あれは、だれがどう聞いたって愛の告白以外のなにものでもない。少し歩いていくらか冷静になったところで、その結論からはどう足掻いても逃れられないと悟った。


 ──あぁ。俺は千冬のことが好きなんだ。


 かなり遅れて、無意識下ではとっくに気が付いていたそれにようやく気がつく。

 気がつくと、不思議なことに耳の先にあった熱は、自然と引いていった。きっともう顔は赤くない。

 残る疑問。千冬の言った「ありがとう」とは、どういう意味だったのだろうか。気になったが、尋ねてみる勇気はなかった。


 部室の扉を開けると、フリーとタム、そしてシラサギが揃っていた。三人は一斉に顔をこちらへ向ける。久々に千冬が現れたからか、それとも俺と千冬が二人で並んで現れたからか、あるいはその両方か。全員判を押したように驚いた顔をしている。


「ちぃ。やっと来たんやな。うち、ベースのことで、たくさん訊きたいことあってんで? 『放課後ボカロッカー』。難しいねん。せやから色々教えて欲しかったんに。せやのに、大事な時におらんのやから。ちぃは……」


「まぁ、まぁ。フリー。結局はこうして来てくれたんだしさ」


 次々と言葉が溢れ出すフリーをタムが優しくなだめる。とはいえ、当然だがフリーは怒っているわけではない。ただ、「寂しかった」と、その一言で片付けてしまえるはずの感情をこねくり回して、誤魔化しているように見えた。


「勝手に来なくなって、ごめんね」


 千冬はフリーの文句をひととおり受け止めたあとで、謝った。


「タムも。メッセージ、無視しちゃったし……。本当にごめん」


 もう一度。今度は頭を下げる。

 千冬は、違和感なく二人をあだ名で呼んでいた。おそらく今は『音楽モード』ではないはずだ。


「ううん。全然いいの。きっと事情があるんだろうなって思ってたし、絶対に戻ってくるって信じてたから」


 タムは根拠もないだろうに、それでも嘘偽りなく本心からそう思っていたのだろう。その証拠に部室の扉を開けた瞬間こそ驚いてみせたが、すぐに「やっぱりね」という顔になっていた。

 フリーにしたって同じだ。

 シラサギについてはよく分からないが、きっと深刻には考えていなかっただろう。


 俺だって、信じてはいた。けれど、それ以上に心配でもあった。寂しくもあったし、なんともいえない喪失感もあった。

 もう誤魔化しはしない。俺は、千冬のいない部室がたまらなく嫌だったのだ。いつかは戻ってくるだろうと思っていたが、そのが待てなかったのだ。


「──ほんで。何があったんや?」


 中庭で俺が訊くのをためらったこと。それをフリーは無遠慮に尋ねる。


「ちょっと自信なくしちゃってた。軽音部の──、デス・サスペンデッドの演奏。あれは本物だったから。ちょっと勝てないかもなぁ。どうしたもんかなぁって」


「なんやそれ。あれくらいチョロいみたいなこと言うてたやん」


「それは、見学に行ったときの話でしょ? 公開オーディションのときとは、ボーカルが完全に別ものだったよ。見学のときは仮面を被ってたけど、絶対に別人。あのときは、楽器隊が引っ張ってるバンドだと思ってたけど、全然違った。公開オーディションのときのデス・サスペンデッドはボーカルが主役のバンドだった」


「そ、そうなんか? それで自信をなくしたん?」


 語るうちに熱がこもる千冬に、フリーは若干引き気味に尋ねる。


「……そう。月華の歌じゃ、あのボーカルには太刀打ちできないと思ったから。私の曲には、月華の歌には、あのボーカルとの差をひっくり返すほどの力はないと思ったから」


「そんなことないよ」


 すかさずタムのフォローが入る。けれど、千冬は首を横に振って「いいの。事実だから」と言った。


「それで、どうするつもりなんや? うちは正直、音楽のことはよう分かれへん。デス・サスペンデッドがすごいのはなんとなく分かるけど、ほな、『放課後ボカロッカー』がそれに負けてるんか? 言われたら、そんなことはないと思う。けど、音楽のことをよう分かってて、『放課後ボカロッカー』を創った本人がそう言うんやったら、そうなんやろな。でも、ちぃはそれが分かったうえで戻ってきてくれたんやろ? ということは、や。なにか勝算があるんやとうちは睨んどる」


「うん。でも勝算とはちょっと違うかも」


「ちぃちゃん。どういうこと?」


 フリーの隣でタムが首を傾げる。会話には参加していないが、シラサギも話の成り行きを聞いてはいるようだった。


「別に勝つ必要なんかないんだなって思って。勝ち負けなんかどうでもよくて、みんなで音楽を共有できてるってだけで、もう充分満たされてるんだって、如月きさらぎくんのおかげで気がついたの」


「陽太のおかげぇ〜?」


 怪訝な目で俺を見るフリー。心底意外だとでも言いたげな顔しやがって。失礼なやつめ。

 けれど、はっきりと「おかげだ」と言われると照れ臭いものがあった。


「明確に根拠があるわけじゃないけど、みんなで『放課後ボカロッカー』を披露するだけで理事長先生を納得させられるんじゃないかって。だから、軽音部に勝つための勝算は、ない」


「つまり、軽音部のことは気にする必要はないってことだね? ふふっ。敵はいつも己の中にあり、か」


 突然、シラサギが知ったふうに口を挟む。


「うん。まぁ、そんなところかな。だから、みんな、文化祭は目一杯楽しんで『放課後ボカロッカー』を演奏してね!」


 千冬は、最後にそう言って満面の笑みを浮かべた。

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