第56話 デス・サスペンデッド

 ブレインスプラッシュは立て続けに、おそらく三曲を披露してステージから去っていった。おそらくというのは、曲と曲があまりに滑らかにつながっていたため、切れ間が分からなかったからだ。やたら長い曲を一曲やったと言われたら、納得してしまうかもしれない。

 去り際には割れんばかりの拍手が彼らを見送った。


「ありがとぉ~~う、ございまぁ~~すっ!!」


 ブレインスプラッシュの姿が見えなくなると、間髪入れず、見計らったかのように例の間伸びしたアナウンスが鳴り響く。


「いかがでしたかぁ~~? ブレインスプラッシュは、我が軽音部が誇るナンバーワンヒップホップグループでぇ~す! 最高にドープなフロウとビートにやられたんじゃないかぁ~~~い!? ……と、ニワカがちょっとだけイキってみましたぁぁ!」


 アナウンスがとぼけたことを言うと、公会堂は笑いと歓声に包まれた。

 ヒップホップミュージック特有の音にならない重低音にやられて、まだ耳の奥と腹の底が気持ち悪い。空気の大砲に打ち抜かれたような気分だった。


「さぁ〜てぇ〜〜。続いてはぁ~! ブレインスプラッシュとは、か~なりおもむきが変わって、この方たちでぇ〜〜〜すっ! それでは、演っていただきましょぉ〜う! デス・サスペンデッドですっっ!」


 アナウンスに呼び込まれて登場した面々には見覚えがあった。それもそのはずで、先頭でギターを持っているのはマリアだった。ベースの女もドラムの男も軽音部を見学しに行ったときに演奏していた面々だった。

 しかし、最後尾を歩く男だけは見覚えがなかった。並びを見るに、おそらくはボーカルなのだろう。見学のときは、仮面をかぶっていた。それもひたいに『仮』と書かれた奇妙な仮面だ。おかげであの時は顔を見ることができなかった。

 あんな顔をしていたんだ、とか仮面をしていたいた方がミステリアスな雰囲気だったな、とか呑気に考えていると、不意を突くようにスティックを打ち鳴らす音が聞こえた。


 と、間髪入れずにバシャーーーンと炸裂音が鳴る。窓ガラスが割れたのではないかと聴きまがうようなそれは、クラッシュシンバルを力いっぱい叩いた音だった。

 そして、それをスネアとバスドラムの音があっという間に追い越していく。さらに追いかけるようにズンズンズンズンとベースとミュートしたギターの重低音が鳴った。

 ヘヴィメタル、あるいはデスメタル調の曲は見学のときに聴いた曲だった。──とすれば、きっともうすぐボーカルが吠えるはずだ。

 顔を上げてステージ中央に目を移すと、まさにボーカルの男が咥えこもうとするがごとく、マイクを口に寄せているところだった。

 一瞬の後、予想どおりボーカルが吠える。その声は、見学のときに聴いた声とは明らかに違っていた。吠えた瞬間から、きっとそうだと思った感覚は、メロディを歌いだしたところで確信に変わる。

 自分の確信を確かめるように隣を見ると、千冬ちふゆは目を見開いて呆然と立ち尽くしていた。マリアたちの奏でる攻撃的な音を受けて思い思いに体を動かし、ときには激しくぶつかり合う観客の中で千冬の周りだけ時間が止まってしまったかのようだった。


「……千冬?」


 思わず漏らした声は、轟音に飲み込まれすぐ隣の千冬にはおそらく届かない。

 微動だにせずまっすぐにステージを見つめている千冬の顔から顔色と自信が消えていくのが分かった。困惑や動揺ではなく落胆あるいは諦観。


 ボーカルは、なおも歌い続けている。強烈な印象をともなって。ともすれば、あれだけ圧倒的に思えた楽器を後ろに従えてさえいた。一生忘れられないような存在感。目の前で歌うボーカルは、あのとき──見学のときのボーカルとは別人だ。

『仮』と書かれたお面を思い出す。と、同時に合点がいく。あのときのボーカルはお面に書かれていたとおり、仮のボーカルだったのだろう。どういう事情でそうだったのかまでは分からないが、仮のボーカルだったからあんなお面をかぶらされていたのだ。

 対して、目の前で素顔を晒して、顔をしわくちゃにしながら歌っているボーカルの歌声は、デスボイスからハイトーンボイスまで多彩で、まるで天使と悪魔が一つの声帯に同居しているかのようだった。確認するまでもない。正真正銘、彼が、このバンドの正規のボーカル──顔だ。


 デス・サスペンデッドは、一曲演り終えると「続きは文化祭のときに演るわ」と言い置いて去っていった。一曲だけで勝利を確信しているような振る舞いだ。不覚にもカッコいいと思ってしまう。

 会場からは「え~~~~!」という不満の声が上がった。その歓声の多さから、勝敗は決しているように思えた。


「はぁ~い! デス・サスペンデッドのみなさんでしたぁ~~! カッコいいですねぇ~。痺れますねぇ~。というわけで、二組の演奏は終わりでぇ~す! 少しだけ時間をあげますのでぇ~、どちらの演奏がよりよかったか。みなさん、お手元の用紙に書いてくださいねぇ~~。出口のところで回収しまぁ~す。本日はぁ~~……ありがとうございましたぁ~~!!」


 相変わらず独特のテンションを保ったままアナウンスは、会場を閉めた。

 ざわざわと喧騒が残った公会堂で、俺は千冬を見ていた。とっくに演奏は終わったというのに、まだ呆然とステージを見つめたまま立ち尽くしている。


「おい。どうした?」


 声をかけるとゆっくりとこちらに顔を向ける。


「……あ、あぁ。終わったね。──それじゃあ、行こうか」


 心ここにあらずといった様子の千冬は、真っ白い顔のまま言った。それは、ここ最近ではあまり見ない姿だった。


 そして、この日以来、千冬は俺たちロミ研の部室に来なくなってしまった。

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