第53話 いいタイトルでしょ?
タムの仲裁の甲斐あって、マイナスイオン満載のロケーションを存分に味わうことなくすぐにバンド練習に取り掛かることとなった。
外から見ても豪邸と言って差し支えないシラサギの別荘は、俺の家なんかよりも余裕で広かった。置いてある調度品は、何も分からない俺が見ても高価なものだと分かる。シラサギの家は並の金持ちではないらしい。
「こっちがスタジオになってるから、ここで練習するといいよ」
案内された部屋は、二十帖はあろうかという大部屋だった。
「遠慮することはないよ」
という言葉を間に受けることができずにオタオタしていると、
『あの曲』は、しっかりフルコーラス流れてから何事もなかったかのように止まった。
「うん。機材は揃ってるみたいだね。ていうか、一般家庭でここまで揃えてるって考えられないよ。シラサギくんちってなんなの?」
爆音で『あの曲』を鳴らした犯人は千冬だった。備え置かれた機材を前に目をキラキラさせている。スタジオに入った瞬間からすっかり『音楽モード』発動のようだ。
「普通の家だよ。父がちょっとばかり商売で成功しているだけさ」
シラサギは自慢する風でもなく、サラリと言ってのける。ちょっとばかりの成功でここまでの別荘を持てるのだろうか。元々常識はずれなやつだとは思っていたが、その根源が見えた気がした。
「なぁ、ちぃ。アンプってどれ
キラキラした目で機材をいじくっている千冬にフリーが声をかける。
一方の千冬は本来であれば、小さないざこざでも後に引きずるタイプなのだろうが、今は『音楽モード』ということもあってか、後腐れなく質問に応えている。
ひととおりシラサギの別荘にあるスタジオと機材に度肝を抜かれたあとで、俺たちは音を出してみることにした。
まずはいつものように各自が基礎的なトレーニングから始める。基礎トレーニングに対して、嫌な気持ちはない。理由は簡単で、基礎トレーニングの効果を実感しているからだ。効果を実感すると
「はい。そろそろいいかな? それじゃ、みんなで合わせてみようか」
千冬の掛け声で各々が基礎トレーニングをやめる。各自が鳴らしていた音が止むと、静寂が輪郭をともなって感じられた。
「よっしゃ! やったろうやないの!」
「うん、うん。やろうやろう!」
「ふっ……。美しいアンサンブル……。いいよね。ハーモニーとアンサンブル。言葉の響きも美しい」
みんな気合十分だった。
シラサギに関しては、言っていることはよく分からないが、やる気はあるみたいだから放っておく。
「それじゃあ、『あの曲』。やるよ! こっちで月華の歌入りの音源を流すから、頭ちゃんと合わせてね」
千冬は、俺たちに確認を取ると機材をいじって「再生したよ」と合図を送る。数秒後に月華のどこか機械的で無機質な声が流れだす。
二小節ほど月華の歌を聴いた後でタムのカウントが鳴る。それに合わせて俺たちは一斉に音を鳴らした。
ところどころ間違えながら、時に月華の歌を追い越したり、置いていかれたりしながら、どうにかフルコーラスを演奏し終える。
「うん。まぁ、最初はこんなもんでしょ」
俺たちの演奏を目を瞑って聴いていた千冬は、まだ残響の残る部屋で言った。満足していないことは、だれの耳にも明らかだった。かといって、不満を持っているわけではない。俺たちの現在地としては及第点。そういうニュアンスの含まれた言葉だった。
「ちぃちゃん。私たちの演奏、どう? 忖度ない意見を聴かせてほしい。客観的に聴いてるのは、ちぃちゃんだけだから。演奏してると自分のことで精いっぱいで、みんなとどれくらい調和がとれてるのかとか、月華ちゃんと上手く合わせられてるかとか、分からないの」
タムの言葉は、千冬を除く全員が訊きたいと思っていることだった。
「うん。完ぺきとは言い難い。でも、最初のころに比べたらだいぶ良くなってるから安心して。タムは演奏中周りのことが分からなくなるって言っているけど、よく周りを見ていると思うよ。ずれたテンポを修正してるのはいつもタムだもん。でも、他の人が悪いっていうわけじゃない。本来、生の演奏っていうのは、テンポがずれるものなの。プロのバンドだって、マニピュレーターなしじゃライブのときは原曲よりも速くなったり遅くなったりするから。むしろ問題は……」
千冬は饒舌だった口をそこで止めた。何か思うことがあるのだろう。なんとなく俺にも分かる。それはやはり、月華だ。月華はあらかじめ打ち込んだ音をスピーカーから機械的に再生しているに過ぎない。
千冬の作った『あの曲』は本来、イントロがあったのちにボーカルである月華の声が入るという構成だった。しかし、それだと俺たちの方で月華の歌い出しに合わせてイントロを演奏をしなければならない。タムはテンポキープを頑張ってくれてはいたが、さすがに機械のような正確さはない。何度やっても月華の歌いだしと俺たちの演奏を合わせることができなかった。
その結果、千冬によってボーカルのアカペラから始まるように編曲されていた。俺たちは月華に合わせるように演奏してはいるが、月華の方が俺たちに合わせることは決してない。一方通行のセッションなのだ。
生身のボーカルであればそんなことにはならない。ボーカルの方だって楽器に合わせようと意識して歌う。しかし、当たり前だが、月華にはそれがない。千冬は、そこを問題視しているのだろう。
「問題は……なんや?」
フリーが興味津々に尋ねると千冬は首を振って「なんでもない」と言った。問題視しても仕方のないことだと割り切ったようにも見える。
フリーはそれ以上追及しなかった。
「まぁええわ。それより、うちも気になってることがあんねん」
「気になってること? なに? ベースのフレーズでなにかおかしいところとか弾きにくいところでもあった?」
千冬は作曲する際に自分でベースを弾いているわけではない。つまり打ち込んでいるのだが、そうするとどうしても人間が弾くには無理があったり、無理とまではいかないまでも、かなり難しいフレーズになってしまうことがあるらしい。だから、俺もフリーもそう感じるフレーズがあったら指摘してくれと言われている。
千冬はフリーの気になることをそういう類のものだと思ったようだ。しかし、フリーはそれを「ちゃうんねん」と言って否定する。
「根本的なことなんやけど、うちらもちぃ本人も今の曲を『あの曲』って呼んでるやんか?」
「そうだけど……それが?」
「うちらが今演っとる曲って『あの曲』ってタイトルなん?」
フリーの質問にハッとする。
たしかに、当たり前のように『あの曲』と呼んでいるが、それがタイトルだとは思えない。なにしろ、俺が勝手にそう呼んでいただけだからだ。それがいつの間にか呼び名として定着していた。
初めて『あの曲』を聴いた日のことを思い出す。『あの曲』を再生していたスマホの画面には『オリジナル/月華』と表示されていた。オリジナルが曲名欄。おそらくは無題だったのだろう。
「違うよ」
千冬が短く応えた。
「ほな、なんてタイトルなん? ちゃんとしたタイトルがあるんやろ?」
「もちろん。あるよ」
意外な応えに視線が千冬へと集まる。どんなタイトルなのだろうと期待する自分がいた。千冬は、そんな期待を知ってか知らずか、勿体つけるようにスゥッと息を吸う。そして、吐き出すのと同時に告げた。
「──放課後ボカロッカー」
千冬の声が広いスタジオに響く。続けて千冬は照れ臭そうに
「いいタイトルでしょ?」
と言って笑った。
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