第52話 マイナスイオン万歳

「なんでやねん!! やっぱり、あんた頭おかしいんちゃうか!? ちょっとでも仲間やと思ったウチがアホやったわ!!」


「それはこっちのセリフ。だいたい、あなたはいつもそうやって周りの迷惑を考えないんだから。あなたが憧れるレッチリのFleaフリーは、確かに破天荒なベーシストだけれど、しっかりとした技術があってこそなの。あなたはどうなの? ちょっとはマシに弾けるようになったわけ?」


「うっさいわ!! ボケェ! カス! ちぃの……アホッ。別にちょっとくらいええやんか! 真面目か!」


「アホはあなたでしょ? ちょっとじゃないから言ってるの! だいたい私たちがここに何しに来たか分かってるの!?」


「ちょっと二人とも落ち着いて……」


 俺は今、千冬ちふゆとフリーの子供じみた喧嘩と、それを仲裁するタムの姿を眺めている。一つになれた気がしたのは、気のせいだったのかもしれない。

 目の前の三人の頭上には木々の隙間を縫って、青い空が見える。緑と青のコントラスト。実に清々しい。マイナスイオン万歳。

 俺たちは、いわゆる合宿というものに来ている。ことの発端は、リサさんの


「今度の土日なんだけど……急なイベントの予約が入っちゃって……。スタジオ貸せないの。ごめんっ!! 一見いちげんのお客だったら問答無用で断るんだけど、そういうわけにもいかないお客さんでさ。本当にごめんね!」


 という言葉だった。

 無理を言って借りている立場の俺たちに文句を言う資格はない。貸せないと言われてしまえば従うしかなかった。練習時間に制約が生まれはするが、学校で練習できないこともない。そこまで悲観的に考えていたわけではなかったが、続くシラサギの言葉で事態は好転した。

 それは「それなら僕の別荘を使うかい?」という言葉だった。


 真っ先に食いついたのはフリーだった。


「なんや!? あんたんちは別荘なんてリッチなもん持っとるんか!? っちゅーか、今って言わへんかった!?」


「うん。僕のだよ。リッチとは言えない粗末なものだけど、僕個人のものだね」


「いやいやいや。別荘持っとるだけで十分リッチやのに、僕のって……」


 肩をすくめるシラサギ。

 こいつのすごいところは、個人的に別荘を持っていたとしても、全く違和感がないところだ。そして、それを自慢する風でもなく、当たり前のことを話すように語る。


「シラサギくん。私たちの現状は分かっているんだよね? あなたのその別荘っていうのは、楽器を演奏しても問題はないの?」


 フリーがあわあわ言っている間に、千冬が尋ねる。


「問題ないよ。スタジオは防音室になっているからね」


 シラサギはサラリと応えた。


「ス……スタジオ? ぼ、防音……室ぅ? それって普通の家に設置できるもんなんっ!?」


 ただでさえ面食らっているフリーは、さらに驚いたといった具合に大きな声を上げる。


「施工からそうしているからね。まぁ、大したものではないよ」


 シラサギはやはり、特別なことはなにもなさそうに応えた。


「機材とかは? いくら防音室完備でも私たちでは持ち込めないよ」


「機材というのは、アンプやミキサーのことかな?」


「え、えぇ……。その……もしかして、あるの?」


「あるよ。スタジオだから当然さ。まぁ、それも大したものではないけどね。少し物足りないかもしれないけど、練習はできる」


 淡々と質問を繰り返していた千冬も、最後にはフリーと同じように驚愕の表情で固まってしまう。対するシラサギは終始、いつもどおりだった。


「それじゃあさ、シラサギくんの別荘にお邪魔してみっちり練習しちゃおうよ!」


 最後にはタムのふんわりとした言葉で土日の予定が決まる。

 こうして俺たちは、合宿をすることとなったわけなのだが……。


 シラサギの家の執事だという初老の男性が運転する高級感あふれるミニバンで、山奥の別荘まで来たまではよかった。だが、別荘に着くなり、千冬とフリーが揉めた。


 始まりは思い出すだけでもため息が出るようなしょうもないことだ。

 結論および俺の見解を言えば、フリーが全面的に悪い。フリーは、マイナスイオンが爆散する山深いロッジのようなシラサギの別荘を見るやいなや、テンションが上がりきってしまった。そして、当初の目的──文化祭に向けての練習──を忘れてキャンプをしようだの、川魚を吊り上げようだの、BBQバーベキューをしようだの、キャンプファイヤーの設置場所はどうするだの……。およそ音楽とは関係なく、かつ、千冬が嫌うであろう陽キャ感満載の提案を文字通りマシンガンのごとく口から発し続けた。

 最初のうちこそ呆れ半分に聞いていた千冬だったが、一向に収まる気配を見せないフリーのマシンガンに、ついにキレてしまった。

 俺もそろそろなんとかしないととは思っていたタイミングではあったのだが、どうすることもできなかった。


 そして、今──。尚も二人の言い争う声とそれを執り成そうとするタムの声は続いている。


「本当、二人とも……。ね? フリーの気持ちは分かるけど、ちぃちゃんの言ってることはもっともだよ」


「せやけど、こんな最高のロケーションなんやで? せやのにずっと部屋にこもって練習やなんて……。つまらんやん」


「つまるもつまらないもない! 私たちは、ここに練習をしに来てるの。遊びに来てるわけじゃないんだから」


「なんやねん。練習は練習でするけど、うちは息抜きも必要やって言うてるんや」


「あなたの提案を全部採用していたら、ずっと息抜きしてることになりそうだけど?」


「うっさいわ、ボケェ!! そんなんやから、陰キャのぼっちとか陽太ようたにまで言われるんや!」


 ちょっと待て、言ってないぞ。傍観者に徹しているのに巻き込まないでほしい。

 千冬の鋭い視線がこちらを向く。お前には後で話を聞くと言わんばかりに一瞥いちべつをくれると、その視線はすぐにまたフリーへと戻った。


「陰キャとかぼっちとか、今は関係ないでしょ? だいたいあなただって、本当のところは……」


 言いかけてすんでのところで留まる。その先は言ってはいけないと思ったのだろう。


「なんやっちゅーんや? ハッキリ言うたらええやん!」


「うるさいわね! そんなにバーベキューだのキャンプファイヤーだのがしたかったら一人でしたらいいでしょ? 止めないから」


「一人でやって何が楽しいねん! こういうのはみんなでやるから楽しいんや! これだから陰キャっちゅーやつは……」


「だから!! 陰キャは関係ないって!!」


 二人がヒートアップすればするほどタムは静かになっていった。二人は気がついていない。静かになったタムのその腕が、体が、小刻みに震えている。


「はん! どうせ、陰キャやからバーベキューとかでけへんのやろ? せやったら最初からそう言うたらええねん」


 お前ら、もうその辺にしておいた方がいいぞ。なんでか分からないが、ものすごく嫌な予感がする。口には出さないが、目で二人に訴える。たが、気づいてもらえるはずもない。


「違うっていうのに! 全然人の話を聞かないんだから。私は練習をしようって言ってるだけで……えっ?」


 音もなく二人に接近したタムに千冬がいち早く気づく。フリーも遅れて気がついたようだが、タムを見とめるなりその目を大きく見開いた。ほぼ同時に千冬もフリーと同じような表情になる。二人とも青ざめているように見えた。


「二人とも。いい加減にしようね?」


 タムは千冬とフリーの手首をそれぞれ握ると不自然なくらい優しい声で言った。一瞬の間の後、千冬とフリーはガクガクと壊れたおもちゃのように首を縦に振る。


「それからフリー?」


 名指しされたフリーはビクッと跳ねるように姿勢を正す。


「どちらかというとちぃちゃんが正しいよ。私たちは部活の合宿でここに来てるんだから。……ね?」


 言われたフリーは「はいっ!」と声を裏返しながら返事をする。


「分かったならよろしい。じゃ、二人とも。握手。しよっか?」


 タムは握りっぱなしだった二人の手をおもむろに近づける。千冬もフリーもなすがままに言われたとおり握手をした。


「うん。よろしい。それじゃ、練習しようか」


 そう言って振り返ったタムは、いつもどおりのタムだった。

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