第51話 『あの曲』に挑戦してみない?
勝機はあると断言した
「でも、人の心を揺さぶる音楽を届けようと思ったら、大前提として一定レベルの演奏技術が必要だよ。どんなに優れた曲だって、演奏が下手だったらきっとその半分も届かないからね」
と釘を刺した。
要は、聴かせられる程度には上手くなれ。上手くなるためには練習をしろ、ということだ。その言葉を聞いたフリーは、ゲンナリしつつも「やったるわ!」と意気込んだ。元々ハードな練習には慣れっこなのかタムもニコニコしながらそれに頷いていたし、シラサギも珍しく目に力を込めて同意していた。
だが、そんな俺たちのモチベーションを邪魔するものがあった。
絶対厳守の下校時刻である。
俺たちの技量と文化祭までに残された時間を考えれば、いちいち守っていたんじゃ練習時間が足りない。そこで思いついたのが、アナーキーを借りることだった。あそこならば、時間に制約がないのではないか。俺とフリーが使わせてもらっているのだから、そこにタムやシラサギ、千冬が加わっても問題ないのではないか、と考えた。
急なお願いだったにも関わらず、リサさんは実にあっさり、そして快く了承してくれた。
それでも、いつでも好きなだけ自由に、というわけにはいかないだろうと思っていた。当たり前だが、アナーキーは現役で営業しているライブハウスである。俺たちが使える時間も、限られているのではないかと思ったのだ。
しかし、リサさんはこれまたあっさり「ライブ? 今月はあんまりないから大丈夫だよ」と言ってのけた。そして、「だから思う存分練習しな」とも。
ありがたい話だが、経営的に大丈夫なのか、と心配になる。俺が心配する筋合いは全くないのだが。
そんなわけで、俺たちは文化祭までの間、アナーキーに活動の場を移していた。
アナーキーを使える利点はもう一つあった。リサさんの存在だ。リサさんは、元々バンドマンで、ほとんどプロみたいなものだったらしい。オマケにギターもドラムもベースもそれなりに演奏できる。千冬だけだった指導者に、協力な助っ人が加わったのだ。しかも、千冬のようにスパルタではない。
「
ふいにジロリという視線と共に棘のある声が聞こえてくる。まるで俺の心の中を見透かしたようなタイミングだった。
クロマチックトレーニングというのは、基礎練習の一つだ。クリック――メトロノームともいう――に合わせて人差し指から中指、薬指、小指と順番に弦を押さえて、音を鳴らす。
最初のうちは全く指がいうことを聞いてくれず、歯痒かったのだが、毎日繰り返すうちに少しずつできるようになった。その感覚が楽しくて、できるようになればなるほどやりたくなる練習だった。
「あ、あぁ。終わったぞ。だいぶ動くようになってきたと思うんだが、──どうだ?」
そう言って人差し指から順番に小指まで動かして弦を弾く。うん。我ながらだいぶ上手くなった。
「うん。オッケー。じゃあ、次は一段階テンポ上げようか」
自分でも自覚するほどの俺のドヤ顔を無視して、千冬はこちらを見ずに淡々と次の課題を突きつける。──鬼か。
向かい側では、フリーが俺と同じようにクロマチックトレーニングを行なっていた。早くからアナーキーで練習していたためか、俺よりも早くスムーズに指が動いていて、クリックのテンポも速い。少し悔しい。
「それじゃあ、基礎練習はこの辺にして、そろそろ具体的な曲の練習に入ろうか」
しばらく基礎練習に勤しんでいると、パンと手を叩く音とともに千冬の号令がかかる。
アナーキーに練習の場を移してからは、ずっと地味な基礎トレーニングばかりやらされていた。実際の曲を演奏するのは久しぶりだ。フリーやタムは千冬の号令に目を輝かせていた。一応付け加えると、シラサギはいつもどおりだ。
「ちぃちゃん、曲って何やるの? ちぃちゃんが一日で作った曲?」
タムの問いに千冬は人差し指をアゴに当てて、意味深に笑う。意図が読み取れなかったのか、タムは俺やフリーに助けを求めるよに視線を泳がせた。
千冬は俺たちの反応を楽しむようにゆったりと間をとって、
「『あの曲』に挑戦してみない?」
と言った。風もないのに黒い髪がふわりと揺れる。
「あの曲……って、『あの曲』か?」
俺が問うと、千冬は「そう」と短く応える。意外だった。今まで千冬はそんなこと一言も言わなかった。タムの言うとおり、てっきり女子サッカー部を納得させるために作った曲の方を演るものだとばかり思っていた。
「……おぉ。『あの曲』って、あのめっちゃカッチョイイ曲やんな」
フリーが感嘆とも困惑とも取れる声を漏らす。その声にも千冬は「そうだよ」と短く応えた。
「文化祭までそんなに時間はないけれど、今のみんなを見ていたらできるんじゃないかなって思う」
千冬は続けて言った。
「もちろん、今までどおり基礎練習は続けた上に、追加で一から曲の練習をすることにはなるけど。でも、みんなならできるって信じてる」
そうまで言われてしまうと、できないとは言えない。
「うん、やろう! 『あの曲』ができたら、きっと理事長も納得するよね。『あの曲』にはそれくらいパワーがあると思うよ」
タムはやや興奮気味に言った後、「音楽のことはよく分からないけど」と付け加えて照れ臭そうに頬をかいた。
感化されたわけではないが、千冬の言うとおり今の俺たちならできる気がした。根拠など何もない。聴いた限りでは、かなり難しい曲だということも分かっている。
それでも俺たちならできる。なぜか確信できた。
「あの美しい曲か。悪くないね。部長。いい選択だと思うよ」
どこから目線で言ってるのかは不明だが、シラサギも同調する。フリーも異論はないようだ。
「みんな、ありがとう」
千冬は全員の承諾を得て、安心したように笑う。フリーが代表して「どういたしまして」と冗談めかして言った。
初めて、俺たちロックミュージック研究会が一つになれたような気がした。
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