第50話 誠心誠意演奏させてもらうよ

 軽音部の人たちにひととおり礼を言って、足早に自分たちの部室へと戻ると、千冬ちふゆがノートパソコンに向かっていた。長い髪の隙間から僅かに見える顔は相変わらず何を考えているのか分からないが、機嫌は良さそうに見える。


「ちぃ! 勝手に出て行ってどないしたん?」


 先陣を切ってフリーが尋ねる。怒っているというよりは、困惑しているようだ。


「ごめん。でも、だいたい分かったから。あれ以上あそこにいてもしょうがないと思って」


 千冬はフリーの顔も見ずに応える。僅かに肩が震えている。ノートパソコンに向かう手は止まっていた。

 フリーは無言で振り返って、表情と仕草だけで「どういうことや?」と訴える。続けてこめかみの辺りに人差し指を当てて、手をパッと開いた。「イカれてもうたんか?」とでも言いたいらしい。流石に失礼だろ。

 しかし、俺にもさっぱり分からない。隣のタムに応えを委ねる。俺と目が合うと、タムは困ったように首を傾げ、シラサギへと視線のバトンを渡した。受け取ったシラサギは、芝居がかったように肩をすくめる。


「ちぃ……? だ、大丈夫か?」


 結局、フリーが代表して尋ねた。千冬はそこでようやく顔を上げる。

 次の瞬間、千冬は吹き出して、そしてすぐに笑い声を上げた。俺たちは、その姿を困惑と共にただ黙って見ていることしかできなかった。フリーの予想どおりイカれてしまったのだろうか。

 正直、怖い。普段おとなしい人が怒るとめちゃくちゃ怖いというやつに似ている。あまりにも似合わない大笑いは、しばらくの間続いた。

 千冬はひとしきり笑うと「はぁ、はぁ……」と呼吸を整え、そして、謝った。


「ごめん、ごめん。あまりにも……ふふっ……おかしかったから」


 まだ笑い足りないのか、腹が痙攣するような声を時折漏らす。


「オモロいって何が?」


 千冬以外はだれも笑っていなかった。何がおかしくて笑っているのかさえ理解できていない。


「さっきの演奏だよ。大丈夫。安心していいよ。軽音部は思ってたほどじゃない。そんなに大したことはない」


「──はぁっ?」


 思わず間抜けな声が漏れる。

 あの演奏が大したことない? めちゃくちゃ上手かったと思うのだが、千冬にはそう映らなかったということなのだろうか。


「もちろん、上手かったよ。今の私たちのままじゃ、勝ち目はないかもしれない。でも、絶対越えられないってレベルじゃない」


 本気で言っているのだろうか。

 マリアたちがやった曲は、メタルだった。ギター、ベース、ドラムともに高等テクニックがふんだんに使われていたように思う。そのテクニックを味わうのも醍醐味の一つとされるジャンルの音楽だ。アレを文化祭までにできるようになれ、と言われたら絶対に無理だと断言できる。


「ボーカルのこと、どう思った?」


 ふいに千冬はだれにともなくそう尋ねた。

 演奏を聞いた直後のことを思い出す。ボーカルの印象が消えてしまっていたことを。


「正直に言うと、覚えてない」


 そう応えると、千冬は算数の問題に正答した小学生へ向けてするように「よくできました」とばかりに頷きながら人差し指を向けてきた。


「それ! 上手いとか下手とかじゃなくて、。……でしょ?」


 訳が分からないが、とりあえずうなずいておく。


「致命的だよね。おかげで、私の心配は解消された。月華でも大丈夫ってこと。ボーカロイドの月華でも太刀打ちできると思う、きっと。あとはみんなの演奏がもう少しよくなったら、十分戦える」


 初めから俺たちの演奏技術を不安材料としていなかったような口ぶりに少しだけ嬉しくなる。と同時に、千冬が月華の歌のことでそこまで思い詰めていたのかと驚いた。


「だから……自分勝手なことを言ってるのは分かってるけど、やっぱり、私の曲で文化祭ライブに出てほしい」


 千冬はそう言って頭を下げた。突然の方向転換に面食らう。


「全然ええねんけど……っちゅーか、他にやる曲のあてもないし。元々はちぃの曲やし。やるな言われたら、それは作者の意向やから強く反対できるわけでもなかったし……。やってくれ言われたら喜んでやるだけやけど。けど、なんや、不気味やわ。どないしたん?」


 フリーの物言いは相変わらずストレートだ。

 不気味、か。分からなくもない。そして、直情型だと思っていたフリーが意外と色々と考えていることに驚く。


「そうだよね。ごめん。私、不安だったんだ。私の曲は、月華の歌は、不自然で不完全だから。そんな曲をみんなが演奏して、それで軽音部に負けちゃったら──。それは私のせい。私のせいなのに負けたのはみんなの結果になっちゃうでしょ? それが耐えられなくて……」


 さっきまで大笑いしてたとは思えないほど、沈痛な面持ちだった。

 いつもの千冬は、あまり感情を外に出すタイプではない。かと言って、感情の薄い人間でもないと思う。内側にはさまざまな感情を秘めているのに、それを必死で隠すように、分厚い膜で覆ってしまっているような印象を千冬には抱いていた。

 そして今の千冬は、その分厚い膜がなくなってしまったようだった。


「これは、私なりのケジメでもあるの。一度やらないでほしいなんて言ってたくせに、やっぱりやってもいいよとか、私の曲をやりたかったらどうぞとか、他に候補がないならやってもいいよとか──。それはおかしいと思って。そうじゃなくて、やってもらうからには、やってください、みんなであの曲を完成させてください、ってちゃんとお願いしたかった」


 あまり相性が良いとは思えないフリーに対しても、千冬は毅然としていた。どこか節目がちないつもの様子とは違う。


「よう分からんけど、やってええのやったらうちらは大歓迎やで。な?」


「もちろん! 誠心誠意演奏させてもらうよ」


 嬉しそうなタムの声がフリーの声に続く。誠心誠意演奏するという言葉に思わず笑ってしまう。

 だが、声の感じからは、死に物狂いでモノにしてやるという気概を感じる。流石は体育会系といったところだ。


「ふふっ。部長たっての願いとあれば、聞かないわけにはいかないだろう? 大丈夫さ。この僕がいれば、全てうまくいくよ」


 いつもどおり全く根拠の見えない自信に溢れているシラサギは、いつものように長い前髪をかきあげる。

 こいつの自信家な側面がもしかしたら俺たちには必要なのかもしれないな、とふと思ったが、すぐに打ち消した。いくら自信を持つことが大事だとはいえ、こんな変態にはやっぱりなる必要がない。俺たちの中で一番上手く演奏できるのがこいつだというのがなんだか悔しい。


「みんな、ありがとう」


 それぞれから声をかけられた千冬は、短く言って再度頭を下げた。


「でも、今日のちぃちゃんはいつもと違うね」


 タムが言うと一瞬で空気が緩む。タムの声にはそんな力がある。


「そうかな?」


「そうだよ。いつものちぃちゃんも可愛くていいけど、今日のちぃちゃんはなんだか頼もしくてカッコいいよ。部長さんが板についてきた感じ」


 千冬は照れ臭そうに少し視線を落とす。それを見てタムはにこやかに笑った。


「ほんで、確認なんやけど」


 頃合いをみて、フリーが話題の転換を図る。全員がフリーに注目する。


「ぶっちゃけた話や。軽音部にホンマに勝てるんか?」


 フリーの視線は、千冬に向けられている。千冬もそれを感じ取ったようだ。真っ先に口を開く。


「もちろん。さっきも言ったけど、ボーカルが印象に残らないっていうのは致命的。普通の人は、音楽を聴いて楽器の演奏スキルになんかそれほど注目しないよ。そんなことよりもアンサンブルとしてのまとまりとか、曲のコード構成だったり、メロディから感じる印象──エモさとかの方がずっと大事だもの」


「よう分からんけど、つまり?」


「つまり、いっぱい練習しなさいってこと」


「なんや? めっちゃ話が飛躍してへんか?」


 応えるフリーはため息をつきながらもどこか嬉しそうだった。

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