第49話 これが……軽音部随一だというバンドのオリジナル曲だっていうの?

「オリジナルかぁ~!! いやいや、想定外だよ」


 ギターの女は、千冬ちふゆの言葉に大きなリアクションで驚いて見せた。


「できなければ大丈夫です」


 対する千冬は、いつもどおりだった。声のトーンを上げることなく告げる。ある意味では、神経が図太いのかもしれない。


「できないなんて言ってないよ。もちろん、できるさ。カワイイ後輩ちゃん──えっと……」


 すぐに真剣な眼差しになったギターの女は、一度言葉を切ると千冬の顔を覗き込む。そして思い出したように言った。


「……ところで君、名前は?」


神城こうじろです」


「神城……。どこかで聞いたことがあるような……えっと……」


「うちが養蜂園とハニーショップをやっているから。それで知ってるんじゃないですか?」


 コミュ障の千冬にしては、やけに反応が早い。女の言葉をやや遮っていた。


「おぉっ、そうか!! でも、アタシそんなとこ行ったっけなぁ~。……まぁ、いいや。アタシは、マリア。よろしくね。神城ちゃん」


 ギターの女は当たり前のようにファーストネームを名乗る。


「神城ちゃんのリクエストは、オリジナル曲ってことだけど、いいかな?」


 マリアは千冬の反応を待たずに残りの三人を振り返る。三人とも誰一人として躊躇することなく、うなずいた。オリジナル曲を披露することに微塵も抵抗がないようだ。


「いいけど、オリジナルってさ、結局なにやるのよ」


 応えたのはベースの女だった。その口ぶりから、いくつもオリジナル曲があるのだろうと推測できる。


「そうだなぁ~。じゃあ、アレは? うちらの曲で一番ロックなやつ」


 マリアは少し悩んでからそう応えた。

 一番なやつ。敵情視察的な趣旨でわざわざ軽音部まで見学に来ているが、不覚にも『ロック』という言葉を聞いて心が躍る。ロックならなんでもいいのかと問われれば、上質であればなんでもいいと胸を張って応えたい。


「マジかぁ……。あれやんの? お前、ウォーミングアップを兼ねてとか言ってなかったか? あれはウォーミングアップにはそぐわないだろ。……でも、まぁ……いいよ。本番でも演るつもりだし、ちょうどいいや。それでいこう」


 ベースの女は、言葉ほど異論があるわけでもないらしく、口調は平坦だった。ニヤリと片側だけ口角を上げる。


「ほら、じゃあジュンヤ。いける?」


 ジュンヤと呼ばれたドラムの男は、深めにうなずき「余裕」と応えると前に陣取る三人へと目配せをしていく。そして全員の意思が確認できたところで、顔の前に掲げたスティックをバツ印に構えた。


 カッカッカッカッ──


 構えたスティックを打ち鳴らした音は、予想していたものよりもかなり速かった。ドラムのジュンヤは、打ち鳴らすやいなや、すぐにスティックを左右のクラッシュシンバルに打ち付ける。


 その瞬間、バシャーーーンという耳をつんざく炸裂音が響き渡った。


 タムが叩く音よりもずっと大きく、そして迫力があった。それからジュンヤはクラッシュシンバルの音を置き去りにして、今度はスネアとハイハットに向けてスティックを打ち付けていく。

 間髪入れずにひずんだ音が、スネアとハイハットの音とともにクラッシュシンバルの音を追い越していく。ズンズンズンズンと歪んだ音が、さっきのカッカッカッカッ──という音と同じ速度で駆け抜けていく。さらにそれに合わせて、ドコドコドコドコと体の芯を食い荒らすような音も鳴っている。


 圧倒された。

 三つの楽器が一つの生き物のように音をかなで、混じりあう。そして、それが容赦なく俺の体の中枢を貫いていく。体をかき回すような音圧は、けれど、心地よかった。

 しばらくの間それを受け止めていると、マイクを握りしめた仮面のボーカルが、突如として吠えた。ボーカルが加わった途端、違和感に襲われる。その違和感は、しかし、つかもうとすると爆音の向こう側へと姿を消してしまった。一瞬だけ現れた違和感は消えてしまうと元々なかったように感じられる。わずかな違和感などは錯覚だったと思わされるほど、目の前の音楽は激しかった。


 マリアたちが演奏している楽曲は、ロックの中でも最も攻撃的な部類のジャンル、ヘヴィメタルあるいはデスメタルだった。

 見回してみると、軽音部の部員たちは、頭を振ってヘッドバンキングをしている。練習でこの様子だと、ライブになればもっと凄まじくなるのだろう。

 ロミ研のメンバーを振り返ってみると、あっけにとられている。唯一耐性がありそうな千冬は、いつもどおりの表情だった。驚いている様子はない。

 千冬が何を考えているのか気になってしまう。ロックは死んだと言った千冬。けれど、ロックが好きなはずの千冬。そんな千冬に目の前のこの音楽はどう聞こえているのだろう。


 巨大な蛇が室内をのたうち回っているかのような音楽は、最初から最後まで俺の体の中枢を貫き続けていた。演奏が終わっても、まだ体の芯が震えている。もう鳴りやんだはずのビート。ドラムの、ギターの、そしてベースの音。音圧。それらが耳に、そして体に残っていた。

 けれど、圧倒的な音楽の中で、ボーカルの声だけが思い出せなかった。今の今まで聞いていた声なのにもう思い出せない。他の楽器の音にかき消されてしまったかのように俺の脳内から霧散してしまっていた。


「す、すごい……」


 おそらく生でライブを観るのは初めてであろうタムが思わずそうこぼす。お腹のあたりを両手で押さえているので、やはり俺と同じようにしびれのようなものを感じているのだろう。


「なんやねん、これ……。生の演奏ってこんなんなんか? うちらの演奏はなんやってん……」


 フリーは見るからに愕然としていた。


「ふっ……。あまり美しいとはいえないね。けれど、まぁ演奏は上手いね」


 誰一人としてボーカルの声には触れなかった。

 シラサギの言うとおり、マリアたちは上手かった。俺たちと比べること自体がおこがましいほどに上手かった。

 しかし──、


「これが……軽音部随一だというバンドのオリジナル曲だっていうの?」


 俺の思考を遮るように聞こえてきた千冬の声は、他の三人と違って、ポジティブな感想ではなかった。


「──と、まぁこんな感じだけど。どうだったかなぁ~。ねぇ? 神城ちゃん?」


 訊かれた千冬は無言のままクルリと背を向ける。


「特に言うことは何もありません。ありがとうございました」


 背中越しにそう言うとスタスタと軽音部の部室から出て行ってしまう。

 残された俺たちにマリアは、


「あれぇ~? アタシなんかまずいことした?」


 と気だるそうに尋ねたが、だれもそれに応えることはできなかった。

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