第30話 本心を曲げないでと言いたい
翌日、いつものように部室に行くと、そこにはいつもと変わらないフリーがいた。昨日の出来事がなければ、何も変わらないいつもどおりの部室での風景なのだが、俺も
「なんや、あんたら。今日は一段と静かやないの。まぁ、ちぃはいつも静かやけど……。それにしたって、なんかおかしいで。どないしたん?」
意外にもフリーは、俺たちの異変をすぐに察知しようだった。
俺たちが昨日あの場所で聴いてしまったことを知っているのではないだろうか。そんな気がしてしまう。そう思うと、まともにフリーと目を合わせることができなかった。
「おぱんつちゃんは、クラスに友達と呼べる人はいるのかい?」
俺の頭越しに唐突にあまりにも直接的でデリカシーのない質問をしたのは、シラサギだった。一瞬ギョッとしたような顔を見せたフリーだったが、すぐに表情を隠す。
「なんや、あんた。失礼やな!!」
「昨日、君とクラスメイトらしきレディが話しているのを偶然聞いてしまってね」
驚いたことにシラサギも昨日あの場所にいたらしい。帰るタイミングは俺たちとほぼ同じだったから、いたとしても不思議ではない。この男は、あれを聞いてしまったうえで、なんという質問を投げかけるのだろう。
フリーは、しばらく硬い表情のまま黙っていたが、ふいに「ふっ」と緊張を解いた。
「なんや……。見られてたんかいな。せやで。クラスに友達なんかおらんで。別におらんでも困らんしな」
クラスにとわざわざ付けたことがせめてもの抵抗のように映る。言いながらフリーはまた何かを察したように顔をしかめていた。
あの場所に俺もいたとは言えなかった。俺はシラサギのようにはなれない。開きかけた口を中途半端にだらしなくぶら下げていると、フリーはかすかに微笑んだ。
「別に気ぃ使わんでも、ええんやで」
強がりだということはすぐに分かった。笑ってはいるが、ぎこちない。こんなフリーを見るのは初めてのことだった。
「……お前。少し前にいい年して友達もいないなんてヤバいって言ってなかったか……?」
「うち、そんなこと言うたか?」
「言ってただろ。だいたいお前、陽キャじゃなかったのかよ」
「そんなん知らんわ。陽キャとか陰キャとかよう分からんねん。うちにはそんなん教えてくれる友達がおらんからな。なんで陽太は友達おらんのに分かるんや?」
「いや、そんなもん漫画とかアニメとかでいくらでも分かるだろ」
「うち、漫画もアニメも見んからなぁ」
「そうか。それなら……まぁ、仕方ない」
「なんや? なんでそんな辛気臭い顔しとんねん」
わざとらしいくらいの空元気を続けるフリー。知り合ってから、今までのことが思い出される。
「おぱんつちゃん、ちょっといいかい?」
シラサギが口をはさむ。正直ありがたかった。
「そのおぱんつちゃんいうの、やめてくれへん?」
「どうしてだい? せっかく僕が君につけてあげたあだ名、プレゼントじゃないか。大切にして欲しいものだよ」
「頼んでへんし……」
ため息をつくフリー。
「まぁ、ええわ。ほんで、なんや? まだ何かあるんか?」
「君の気持ちは分かると伝えたくてね」
「はぁ? 訳わからん。あんたにうちのなにが分かんねん」
「分かるさ。君は自分の気持ちに素直に生きているのだろう?」
シラサギは、いきなり核心をつくようなことを言った。言われたフリーは黙ってしまう。おかまいなしにシラサギは続けた。
「それはとても美しいことだよ。誇っていい。何を隠そう、この僕もその哲学のもとに今日まで生きてきて、これからも生きていくつもりだからね」
言われてみれば……なんてレベルじゃなく、そうなのだろうと深く納得できる。
「だから、君は無理に自分を変える必要はない」
「なんやねん。気持ち悪いな。あんたと一緒にされるとか最悪やわ」
フリーは悪気なくこういうことを言う。言ってしまう。そういうやつなのだ。それで空気を読めないと思われてしまうこともあるのだろう。
「──でも、ありがとうな」
しかし──、それは、やはり間違っている。フリーは、しっかりと躊躇なく自分の気持ちを伝えることができる。いいことも悪いことも関係ない。恥ずかしげもなく、言えてしまう。相手がだれであろうと──、例え変なあだ名で呼ぶ変態が相手であろうと、素直に「ありがとう」と言えるのだ。
フリーと知り合って、それほど長い時間を過ごしたわけではないが、俺はフリーが情に篤くて、実は思いやりのあるいいやつなんだということを知っている。
けれど、フリーの第一印象は、空気が読めなくて声のデカいガサツな女。フリーのクラスには、そんな女を受け入れる土壌はきっとなかったのだと思う。だから、フリーはクラスで浮いてしまったのだ。
そりゃそうだ、と思わないでもない。なにせフリーの個性は強烈だ。昨日の様子から察するに、正直でありたい自分とそれを受け入れない他人。その間でフリーは完全に委縮してしまったのだろう。クラスでのフリーは、委縮しながらも必死で読めない空気を読もうとしている。そのくせ自分に正直でありたいがためにやっぱり空気が読めない。その結果クラスで出来上がった認識は、本物の
だが、良くも悪くもフリーが本領を発揮するには自分に正直に過ごさなければならない。フリーは、ロミ研では自分に正直でいようと決めているのかもしれない。わざとらしいくらいに。
自分に正直に生きてこそ、フリーなのだ。そして、正直に生きようとするフリーが俺はたまらなく羨ましい。
「ふっ……。構わないよ」
シラサギは、前髪を吹き上げると壁にもたれかかって遠くを見つめるような目をした。そっちの方には、汚い壁があるだけなのだが……。
「でも……、
ひと段落つくかと思った時、それまで黙っていた千冬が口を開いた。
「なにがや?」
「友達。いなくてもいいの?」
「別にええわ。うちは生きたいように生きんねん!
「振角さんの生きたい生き方に、他人の存在──、友達の存在は、不要ということ? フリーだってレッチリというバンドに所属している。他者との関わりを絶っている訳ではないのに?」
「それは……」
自分に素直だからこそ、咄嗟に嘘をつくことができないのかもしれない。フリーは言葉に詰まってしまった。
「そんなん当たり前やないか!! うちの人生や! うちの生き方に、他人は関係あれへん!」
フリーの身体は小刻みに震えていた。よく見なければ分からないくらい小刻みに。
「──嘘つき」
千冬は小さくつぶやいた。そして、声のボリュームを上げる。
「友達が欲しかったら、欲しいって言えばいい。どうして、言えないの? あなたは、そういうことを恥ずかしげもなく言えてしまうはずでしょう? 素直でバカ正直なんだから。私は言いたくても言えないのに……」
千冬も自分に正直なフリーが羨ましいのかもしれない。そんな本音が最後にこぼれ出ているように思えた。
「でも、一度だけ言う。あなたは、
唐突だった。どうして、そこでタムが出てくるのか理解できなかった。それはフリーも同じようだった。
「いきなりなんやねん! 別に友達がおらんくてもかまへんのはホンマや! 嘘なんかついてへん。あんたが言いたいこと言われへんのも、うちには関係ないわ!!」
タムのことには触れなかった。意図的に避けたのかもしれない。逃げようとしている。
千冬の本意は分からないが、ここでフリーを逃がしてはいけない気がした。だから、千冬に加勢して捕まえにかかる。
「フリー。本当のところどうなんだ? 友達がいらないってのは、分かったけど。タムのことはどうなんだ? 後悔は本当にないのか? タムは、お前にとって友達じゃないのか? タムもいらないのか?」
「──いらない……ことあれへんけど……。でも、うちは間違ったことは言うてへんし」
確かな手応えがある。
「間違ってるか間違ってないかは、この際どうでもいい。お前の気持ちはどうなんだ?」
「……ちょっと、言いすぎたかもしれへん……とは思うとる……。タムタムは、うちらの大事な仲間やし……」
ようやく本音が聞けたような気がした。
フリーはタムを「うち《ら》の仲間」だとは言った。《ら》とはロミ研のことだろう。フリーは、タムはロミ研全員の仲間だ、とそう言った。フリーがどこでなにを言われていたって、関係ない。俺もフリーの仲間でいよう。そこにはタムもいなければならない。根拠なんてないのに強く思う。
それはこの場にいる全員の共通認識だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます