第29話 新しいタイプの陰キャ

 新たにシラサギが加わっても、俺たちロックミュージック研究会のなにかが大きく変わるということはなかった。放課後になれば、部室に集まってだらだらと各々が好き勝手に過ごす。当たり前になってしまった光景が、相変わらず部室に広がっている。


 おかしいな。バンドをやるはずじゃなかったか?


 そんな部室の中で『ロックミュージック研究会』っぽいことをしているのは、千冬ちふゆだけだった。さすがは我らが部長。進んで引き受けただけのことはある。

 千冬は真剣な眼差しでノートパソコンに向かっていた。画面には、例のDAWダウとかいう洗剤みたいな名前のソフトが、立ち上がっている。


 俺と千冬のほかに皆勤賞で部室に来るのは、シラサギだった。シラサギは、毎日しっかり部室に来る。部室には来るが、来ても何をするでもなくずっと鏡を見ている。まれに、不気味な声を上げて千冬から軽蔑の目を向けられたり、フリーに怒鳴られたりしている。奇人部でもあればピッタリな人材だろう。

 フリーは来たり来なかったり、ムラがあった。

 今日も、もうすぐ下校時刻になるというのに姿を見せない。この様子だと、おそらく今日はもう来ることはないだろう。


 そして、タムは、一度も部室に顔を出さないままだった。


 今日も今日とて、何もせずにだらだらと過ごしているとあっという間に、下校時刻となった。

 時間になると、まるで機械仕掛けのおもちゃのように各々が帰り支度を始める。フリーがいる日は、あいつの一声でみんなで仲良く(?)下校するのだが、いないとそうはならない。陰キャ二名と変態一名だと、お互いにほとんど口を開くことはなく、好き勝手に部室を後にする。

 一番最後になるのは、決まって千冬だった。何もしていない俺たちと違って、千冬には片づける物がある。いつもは帰り際に声をかけたりしないのに、どういうわけか、今日は千冬と話がしたいと思った。


「手伝おうか?」


 千冬は、まさか俺が声をかけるとは思っていなかったのか、ビクッと体を震わせて動きを止めた。そして、ゆっくりと顔を上げる。


「手伝うって……なにを?」


「なぜそんなに怯える。まぁいい。大変そうだから。それ……」


 慣れないことをしているものだから、言葉がすんなり出てこない。ぎこちなくノートパソコンを指さすと、千冬は俺の指先に沿って視線を動かした。


「あぁ……。それじゃあ、アイデアをもらおうかな。如月きさらぎくんは、ロックの造詣は深いみたいだから」


 とはなんだ。とは。

 それはともかくとして、アイデアとはどういうことだろう。帰り支度にアイデアがいるのか? 俺は片づけ名人ではないぞ。


「アイデアってなんだ? それをしまうの、手こずってるみたいだから。だから、手伝おうって言ってるんだが……」


「──えっ……?」


 千冬のもともと白い肌がいつかのように赤鬼みたいに真っ赤に染まる。


「紛らわしいこと言わないでよ!!」


 珍しく大声を出す千冬。


「紛らわしいってなんだよ。意味が分からん」


「手伝ってもらわなくても結構。如月きさらぎくんが触ったら壊れちゃいそうだし」


「どういう意味だよ……」


 非常に失礼なことを言われている気がする。それはまぁいつものことではあるが。


「まぁ、手助けがいらんなら無理にとは言わないが。なら、終わるの待っててやるよ。カギは俺が返してくる」


 俺たちロミ研の部室は、最後に部室を離れる者が施錠をし、カギを職員室に返却することになっている。フリーがいると半ば無理矢理にみんなで返しに行くことになる。フリーがいない日は、帰り支度に時間がかかる千冬がいつも一人でその役を担っていた。

 その分帰るのが遅くなるから、申し訳ないと思っていた。そんな俺のささやかな善意まで千冬は、どういうわけか拒絶した。


「いいよ、別に。ちょっと職員室によるだけだし」


 拒絶されると俺も意地になる。


「いやいや、遠慮するなよ」


「遠慮なんてしてない。本当に大丈夫だから」


「俺、職員室に用があるんだよ」


 嘘だ。けれど、何故かもう後には引けなくなっていた。

 意地と意地のぶつかり合いの結果、千冬と並んで職員室に向かうことになった。


 職員室に向けて千冬と肩を並べて歩いている最中、それに気が付いたのは、本当に偶然だった。


振角ふりかどさんってさ、明るくて楽しい子だけど……正直ずっと一緒にいるのはしんどい』


 俺たちの横を通り抜けた声は、確かにそう言っていた。薄い善意でコーティングされた内側の、ほんのわずかな悪意が透けていた。本人も気が付いていない程度のわずかな悪意だが、俺と千冬が気が付くには十分だった。

 反射的に声の主を探す。千冬も黙って俺に従った。

 声の主は、だれかと話しているようだった。そのだれかは柱の陰になっていて、こちらからは見えない。相手の反応を待つことなく声は続く。


「空気読めてないじゃん? 自覚ある? 悪い子じゃないとは思うんだけど、正直言って絡みにくいんだよね。声も大きいし。あと関西弁も。なんか、わざとらしくない?」


「…………いややな。わざとでは……ない……で」


 小さな声が応える。その声は俺たちがよく知る声なのに、まるでその実感が湧かなかった。


「あなたのためを思って言うけど、クラスでも結構浮いちゃってるよ? 嫌われてるとまではいかないけど。自己紹介のときなんかさ、空気凍ったもん」


 自己紹介で空気が凍った……。どこかで聴いたことのあるトラウマを抉るエピソードだ。けれど、心臓のあたりがチクリと痛むのは、それだけが理由ではない。

 さらに声は決定的なことを告げた。


「うちのクラスで友達いないのって振角さんだけでしょ?」


 のって振角さんだけでしょ?

 聞こえてきた言葉を脳内で復唱する。

 振角さんって……? フリーのことだよな? 関西弁。空気が読めない。矢継ぎ早にフリーの特徴を指摘する声に応えるもう一つの声。独特のイントネーション。関西弁。なのにいつもと違う声。違うのに聴いたことのある声。フリーの、声。

 だが、おかしい。そんなはずはない。俺の知るフリーは、こんな風に言われて黙っていられるやつじゃない。それに、陽キャなはずだ。友達のいない陽キャなど存在するだろうか。そんなもの存在するはずがない。


「振角さんってさ、新しいタイプの陰キャ?」


 悪意のある声が、大発見かのように発表する。


 新しいタイプの陰キャ。


 それまでの認識と正反対のフリーの姿。フリーは、陰キャなのか? そんなわけないと思いたいのに、何故か俺の頭には「そうかもしれないな」という俺自身の声が浮かんで消えなかった。

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