第26話 良くも悪くも自分に素直

 翌日の土曜日は、タムのことと、帰り道に聞いてしまったフリーのこと、その二つのせいで憂鬱な気分でロミ研の部室に向かうことになった。休日だから、別に無理に行かなくてもいいのだが、なぜかその選択肢は初めからなかった。


 平日よりも静かな校内の外れにある部室には、俺が着いた時にはすでに千冬ちふゆとフリーがそろっていた。

 そうしようと決めたわけではないのに、自然と集まるようになっている。だれも歓迎の言葉をかけてくれたりはしないが、居場所ができたようで嬉しかった。その反面、やはり昨日のことが頭をよぎる。

 いつもよりおとなしいフリーと、いつもどおりおとなしい千冬。フリーはまだ昨日、タムに言ったことの負い目が抜けていないようだ。


 そして、千冬は──。


 あのあと──、あの女の子たちの会話を聞いたあと、千冬は何も言わなかった。俺も何も言えなかった。

 千冬だって、同じものを聞いたはずなのに。


 何とも言えない気まずさが、埃臭い部室を包んでいる。


「なぁ、またあの曲聴かせてくれよ」


 何か言わなければと思って、咄嗟に出てきた言葉がそれだった。静かな部室の雰囲気を変えたいという思いと、純粋にもう一度聴きたいという思い、両方あった。


「突然、なに?」


 聞こえていなくてもかまわないと思っていたが、千冬は振り返ってトレードマークになりつつあるごついヘッドホンを外した。


「聞こえてたのか?」


 俺がヘッドホンを指さすと、千冬は露骨に慌てだす。


「べ……、べ、別にいいじゃない。それとも、なに? 普段は聞こえていないことをいいことに、聞かれたらまずいことでも言っているの? 最低だね」


 動揺しているところを見ると、いつもと違って初めから外界との接続を断つつもりはなかったのだろう。


「言ってねぇよ。というか、聞かれたらまずいことってなんだよ」


「そうね……。私のかげぐ……」


 言いかけて、千冬の口が止まる。

 千冬がそんなところで言葉を止めるもんだから、冷や冷やしてフリーの様子をうかがうが、特に気にしている様子はない。当たり前と言えば当たり前だ。だって、フリーは昨日のことを知らないのだから──、と思って、ふと疑問に思う。

 昨日の女子たちは、たまたま昨日だけあんな風に言っているわけではないような気がする。なんというか、言い慣れていた。普段からあんな風にだれかの──、いや、フリーのことを言い合っているのではないだろうか。


 そして──、それをフリーは知っているのではないだろうか。だとしたら──。


 想像すると心臓がぎゅっと縮み上がった。

 しかし、普段の底抜けに明るいフリーを思い出す。ガサツで細かいことはあまり気にしないフリーが、知っているとは思えなかった。


「ちょいちょい!! あの曲ってなんのこと?」


 思った矢先にフリーのガサツで大きな声が飛んでくる。


「ま~た、あんたらうちの知らんところでいちゃいちゃしとるんかいな。気ぃ付かんと思ったら大間違いやで。うちはこう見えて小さいことによぉ気がつくんやから」


 直前の俺の疑問とフリーの言葉が絶妙にリンクする。バクンッとはねた心臓の音は、体の外に漏れ出たのではないかと思うほど大きかった。それほど大きく拍動したのだから、多くの血液を体中に送ったはずなのに、体温は一気に下がる。


「なんや? 図星なんか?」


 いきなりバシンと背中を叩かれる。本来、あまり歓迎できることではないが、今はそのおかげで正気を取り戻すことができた。


「いや、なんでもない。というか、いちゃいちゃなんかしてへんわ!!」


「せやから、その変な関西弁やめーや!! ──ほんで、あの曲ってなんなん?」


 フリーは本当にに興味があるようだった。


「あ~、それは……」


 俺の口から言ってしまっていいものか、判断に迷う。しかし、そんな心配をよそに千冬はあっさりと打ち明けた。


「たぶん、私が作った曲のことを言ってるんだと思う。ちょっと前に如月きさらぎくんに聴いてもらったの」


 最後に「でしょ?」と俺に確認を求める。


「おう。こういうとき、俺がお前にあの曲をあれしろって言ったら、それはあの曲しかないからな」


「だから、お前って呼ぶのはやめてってば。それに、指示語が多すぎて何言ってるのか分からなくなってるよ」


「いや、でも俺あの曲のタイトル知らねーし。というか、タイトルあるのか?」


「えっ? タイトル? タイトルは……」


「ちょいちょいちょいちょい!! 盛り上がってるところ悪いけど、ちぃ!! あんた曲作れんの!?」


 どのへんが盛り上がっているように見えたのかは大いに疑問だが、フリーが驚くのも無理はない。俺だって最初に聞かされたときは、驚きで鯉みたいに口をパクパクさせていた──、と後日千冬から聞いた。金魚じゃなくて鯉。気持ち悪いと言うニュアンスが多分に含まれている。


「えっ? うん。一応……作れるよ」


「マジで!? バリすごいやん!! うちも聴きたい!! 聴かせてや!!」


 フリーにせがまれた千冬は、まんざらでもないのか素直に「分かった」と言うと、ヘッドホンをノートパソコンから抜き取った。


「如月くんも聴くんでしょ? じゃあ、パソコンから直で流すね」


 千冬は、慣れた手つきでキーボードをいじり、前にリサさんのカフェ──、『アナーキー』で見せてもらったのと同じ画面を表示する。そして、再生マークにカーソルを合わせると、遠慮がちにエンターキーを叩いた。

 すぐにあの曲が流れ始める。

 聴くのは、これで三回目だ。けれど、初めて聴いたときと同じ感動が頭から足の先まで駆け抜けていく。


「こ、これを……ちぃが作ったんか……?」


 曲が終わるのとほぼ同時にフリーが呟く。こいつの場合、本当に驚くと声が小さくなるらしい。普通は逆だと思うが。


「そ、そうだけど……」


「すごすぎるやろ……。いつもパソコンいじいじしてたんは、曲を作ってたからなんか?」


「えっと……まぁ、うん。おもには……そう」


「あんた、天才やわ。間違いなく天才や!!」


「えっ!? えぇ……? いや、そんなに大したことは……」


 千冬は、あまり他人から褒められることに慣れていないのか、まるで怒られているかのような反応を見せる。

 俺もフリーの意見には完全同意だ。俺も千冬は天才だと思う。プロの楽曲に並んでいても決して劣らないどころか、秀でてさえいる。

 しかし、俺はフリーみたいにそれを直接言葉にすることはできない。恥ずかしいからだ。フリーが少し羨ましかった。

 しかし、まぁ……羨ましいのも、余計なことまで言わなければ、だ。


「いや、間違いあれへん。あんたは天才や。まさか、こんなもの作っとるとはなぁ。なんで早く言わんの? そうと知ってたら、陰キャなオタク女子やなんて思わんかったで?」


 オタク女子だと思っていたことを暴露したフリーは、それでも悪びれた様子はない。フリーは、良くも悪くも自分に素直なのだ。

 空気が読めないのとは違う。思ったことを素直に口にできるだけだ。何故か昨日の女子たちに言い訳をしたくなる。


「別にこちらからひけらかすようなものではないし、それに大したものじゃないというのは本当。私なんて、全然天才じゃないよ。アマチュアの中にだって、私よりすぐれた音楽家はたくさんいる」


 千冬は、フリーの暴露を無視して、淡々と語る。それは、謙遜でも遠慮でもなく千冬の本心のようだ。


 千冬とフリーがじゃれあっている中、部室のドアが開く。目を向けると、白衣姿の佐々木ささき先生が、立っていた。


「悪い知らせ。田村真莉たむらまりが退部届を持ってきた」


 それは、せっかく持ち直しつつあった部室の雰囲気を、もう一度ぶち壊すには十分すぎる知らせだった。

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