第24話 それなら、ロックミュージック研究会には、来なくても大丈夫

 タムが再び俺たちの前に姿を見せたのは、あたりが薄暗くなってきたころだった。


「待たせちゃってごめんねぇ~」


 制服に着替えたタムは、駆け寄ってくるなり、ペコリと頭を下げる。ゴーグルは、いつもの丸眼鏡に戻っていた。

 タムが謝る必要はない。勝手に押しかけて、勝手に待っていたのは俺たちのほうだ。ボーっと見ていても飽きなかったから、待っていたという自覚もあまりない。


 サッカーのことはほとんど分からない。が、分からない俺が見ても分かるほど、タムは上手かった。そういえば、うちの女子サッカー部は特待生を取るほど強いと聞いたことがある。タム自身が特待生だという話を聞いたことはないが、そうだとしても不思議じゃないくらいに上手かった。

 ボールを追いかけているときのタムは、普段のふわふわした雰囲気と違い、真剣そのものだった。遊びでやっているわけではないことくらい俺にも分かる。

 だから──、


「タムは、サッカーが好きなのか?」


 思わずそんな言葉を投げかけていた。


「う~ん……。好きといえば……好き……かな?」


 最後に「えへへ……」と、どこか気まずそうに笑う。


「あんだけ上手けりゃそりゃ好きやろな。それは分かったんやけど。掛け持ちって、あんた大丈夫なん? ちゅーか、テニス部って話はどこいったん?」


 フリーは、チラリと千冬ちふゆを見ながら、腕を組んで訝しむ。フリーの言う『大丈夫』は、『ロミ研の活動に支障はないのか』という意味だ。

 タムの方も、そんなフリーの意図をしっかり汲み取ったようだ。


「ごめんね。迷惑かけちゃうと思うけど、ちゃんと参加するから」


「ちゃんと参加するって? ほな、明日は来られるんやろな?」


「えっと……。それは……」


 問い詰めるような口調に、タムは口ごもった。


「なんやねん。明日もサッカーかいな。たしかに、本腰入れてやってそうやったし──、」


「──違うの」


「なんや? 何が違うんや? めっちゃ上手かったし、あれなら練習に熱上げるのもうなずけるで。せやから、うちは──、」


「だから、違うの。明日は……サッカー部には、行かない……行けないの」


「行けないぃ~? どういうこっちゃねん」


 大げさな声を上げる。相変わらずデリカシーのない奴だなぁと思いつつ、俺もタムの煮え切らない態度は気になった。


「フリー。ちょっと落ち着け」


 放っておいて喧嘩──おそらくはフリーの一方的な口撃こうげきになるだろうが──になっても困る。ひとまず、やや興奮しつつあるフリーを早めに落ち着かせようと思った。俺の言葉を素直に聞くかは疑問だったが、意外にもフリーはあっさりと黙った。


「タム。別に俺たちは、無理やりお前をロミ研に引っ張っていこうなんて思ってない。サッカー部と比べるまでもなく、俺たちはまともに活動しているとは言えないからな。あんなに真剣に打ち込んでるお前を見て、なにがなんでもロミ研に参加してくれ! なんて言えた立場じゃないってのも痛感した」


 一度口を開きかけたタムは、言いかけた何かを飲み込んで、黙って俺の話を聞いていた。


「でも……だ。俺たちは一応、ロミ研の仲間だ。これからどういう活動をしていくかはちゃんと考える。それが固まったら、そのときは参加してくれるか?」


陽太ようたくん。違うの……。そうじゃないんだよ」


「嫌やっちゅーんか!? あんた、ほならなんでロミ研に入るなんて言うたんや!! 無責任にもほどがあるで!!」


 タムの言葉でフリーの我慢は、限界を迎えてしまった。

 正直に打ち明けると、フリーがロミ研のためにこれほど怒っているというのが意外だった。フリーにとって、ロミ研がそれほど大事なものだということが意外だった。陽キャなフリーなら、他にいくらでも大切にするコミュニティがありそうなものだが。

 ──と、そんなことを考えている場合ではない。放っておいたら、殴りかかってしまいそうなフリーを手で制する。


「落ち着けよ!」


 自分でも予想に反して大きな声が出た。

 それが功を奏したのか、フリーは手にこめていた力をゆっくりと解いた。「ふー、ふー」と闘牛のような息を吐き出してはいるが、とりあえずのところ、殴りかかる恐れはなくなった。


「なぁ、タム。さっきも言ったとおり、無理矢理参加させるつもりは毛頭ない。でも、参加できない事情があるなら、きちんと説明してくれないか? 仲間だろ? フリーの気持ち、分からないわけではないぞ。まぁ、怒りすぎだとは思うが」


「うっさいねん」というフリーの悪態が聞こえた。多少落ち着いたとはいえ、機嫌はすこぶる悪い。

 なるべく優しく言ったつもりだ。フリーにも、そして、タムにも。最大限配慮したつもりだった。

 けれど、それでもタムは黙っていた。今度は、フリーも辛抱強く待っている。いつ溶けるかも分からない沈黙が、俺たち四人を覆う。


 そういえば千冬は? と思ったとき、それまで黙っていた千冬が「仲間……」という呟きのあと


「田村さん。他の部活も忙しいの?」


「えっと……。ごめんね──」


 それまで存在を忘れるほど気配のなかった千冬の声は、怒っているわけでも呆れているわけでもなく期待するでもなく、ただ平坦だった。

 対するタムの声は弱々しい。タムの謝罪の言葉は、肯定を意味しているように思えた。


「ちょい待ち!! 他の部活って、サッカー部以外にもあるような言い方やんか!!」


 途中でタムに声をかけられたからうやむやになったが、元々俺たちはテニス部に向かっていたはずだ。


「そうだけど?」


 気まずそうにうつむくくタムに代わって、千冬が応える。まさか、全く悪びれることもなく肯定されるとは思っていなかったのか、フリーはわずかに怯んだ。


「事情は分かった。それなら、田村さん。ロックミュージック研究会には、来なくても大丈夫だよ」


 その隙を付くように、千冬はタムに告げた。その少し足りていない言葉を聞いて、フリーが大きな勘違いをしてしまう。


「せやせや!! もう来んでええわ!! そんな中途半端な感じで参加されても迷惑や!!」


 大声で千冬の言葉を引用した。しかし、フリーの言葉は、千冬の意図したものとは大きく違う。千冬は、「ちょっと……そういう意味じゃ……」と言いかけたが、その言葉が届く前にタムは


「分かった。ロミ研には……行かないよ。迷惑かけて本当にごめんね」


 と応えてしまう。

 そして、ペコリと腰を九十度に折ってお辞儀をすると、そのまま駆け出してしまった。あまりの速さに誰も引き留めることができない。

 俺の前を横切っていく刹那、タムの目には涙が滲んでいるように見えた。

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