第19話 俺はあの日、ロックが好きになった
「どういうことですか!?」と訊く前に、
「準備オーケーです。 会長」
という佐々木先生の呑気な声が、スピーカー越しに聞こえた。
先生は、機材のあるスペースから出てくることなく、マイク越しに話している。そのせいか、こちらの状況が分かっていないようだ。引率する顧問の先生として、それはどうなのだ? と思うが、そんなところが実に先生らしい。
先生の声を合図に、ステージ隠すように天井からスクリーンが下りる。遅れて音楽がかかった。誰かと会話することなどできないほどの爆音。ステージ脇に二つ設置された巨大なスピーカーが、大きな生き物の心臓のように拍動している。
これほどの爆音を浴びたのは生まれて初めてだった。
スクリーンに映し出されたのは、ライブの映像だ。あまりの迫力に、実際にそこでライブが行われているかのように錯覚する。
腹の底に重く響く、バスドラム——。
思わず体を動かしたくなるような、スネアとハイハット——。
それから時折雷鳴のごとく鳴り響く、クラッシュシンバル——。
大地を割って流れる大河のうねりを思わせる、ベース——。
銃弾を放つように攻撃的かと思えば、全身を優しく撫で?ように響く、ギター——。
そして──。完璧にお膳立てされた土台の上に乗ったボーカルが、自分こそが主役であると主張していた。
音だけではない。
三人で構成されたバンドのメンバーは、それぞれが全身を使って、音楽を表現している。高く飛び上がったり、ほんの一瞬の間にドラムを叩くスティックを指先でクルリと回したり。終いには、観客席にダイブまでしてみせた。
まさに、ロックミュージックだ。
しばらく、音と映像に身をゆだねていると演奏がやんだ。
「今日は、どうもありがとなっ!! トレウンラインでしたっ!! お前ら、絶対また遊びに来いよ!!!! 死ぬ気でむかえうってやっから!!」
ボーカルが、その見た目からは想像できないほど乱暴な言葉で観客を煽ると、客席からは演奏時に負けないくらいの音量で歓声があがる。
そこで一度、映像と音が完全に途切れた。スクリーンは真っ白に戻り、スピーカーは元の大きな四角い塊になった。
網膜と鼓膜だけはすぐに元どおりというわけにはいかず、目はちかちかするし、耳には「コーー……」と耳鳴りのように重たい感触が残っている。
「今のって……。もしかして、トレウラですかっ!?」
普段あまり大きな声を出さないタムが大声を出す。さっきまでの爆音のせいで、声のボリューム調節機能がおかしくなっているのかもしれない。
「トレウラってなんや!?」
元々大きなフリーの声は、さらに大きくなっていた。それに呼応するように、タムが声のボリュームをさらに上げて答える。
「うちの高校出身でプロになったバンドだよ!! とはいっても、だいぶ昔のバンドだから、フリーが知らなくても不思議じゃないかも」
「嘘やんっ!? 有名なバンドなん? いうても、うち、バンドはレッチリしか知らんからなぁ」
レッチリしか知らないとは、なかなかに極端である。だが、そこにフリーという人物が見事に反映されている気がした。
そういえば、レッチリの
「もちろん、有名。日本一のバンド。知らないなんて、
スピーカー越しに先生の声が聞こえる。なぜか誇らしそうだ。
「次。トレウラに負けないくらい、すごいバンド。いくよ。準備はいい?」
先生が言い終わるのとほぼ同時に再びスクリーンに映像が映し出され、爆音がスピーカーを震わせる。
続いて披露されたのも、ライブ映像だった。今度は四人組のバンド。そのセンターに映るボーカルに見覚えがあった。
リサさんだ。
スクリーン上で気持ちよさそうに歌うリサさんは、今この同じ空間にいるリサさんよりもいくらか若い。驚いてリサさんの方を見ると、照れくさそうに笑っている。
リサさんがボーカルを務めるバンドは、スクリーンの中でさまざまなジャンルの曲を披露していく。テンポの速い曲から、ゴリッとしたギターを前面に押し出した曲。そして、ややポップでキャッチ―な曲まで、実に幅広い。
立て続けに数曲演奏して、リサさんのライブ映像は終わった。
「ちょっと、ちょっと!! 今のってリサさんとちゃう?!」
第一声は、興奮したフリーだった。
「そうだよ~。私も昔はバンドやってたの。どう? すごい? 尊敬した?」
「むっっっちゃ、すごいですよ!! なんなんですか? 今の。リサさんもプロやったんですか?」
「いやいや、アタシはプロじゃないよ。プロ一歩手前のセミプロってところが精々かな」
あのレベルでプロではないのかと驚く。
さっきの映像を見る限り、演奏のクオリティはもちろん、曲の魅力やパフォーマンスまで完璧に思えた。リサさんの言葉は、謙遜としか思えない。
「リサさんは、カリスマ性抜群のシンガー。フロントウーマン」
先生がまたしてもマイク越しに、今度はリサさんを褒める。そして、やっぱりなぜだか自分のことのように誇らしげだ。
リサさんも、トレウンラインと同じようにロミ研のOGだったはずだ。ということは──。だいたいの流れに察しがつく。
先生は、ロミ研出身バンドのライブ映像を流しているのだろう。
となると、次のバンドは『ロックミュージック研究会』のはずだ。ロミ研で活動したことのあるバンド。しっかり曲を聴いたことはない。地元出身のバンドということで、多少の親近感があり、なんとなく記憶に残っているだけだ。
恥ずかしながら打ち明けると、俺は海外のバンドばかり追いかけている、いわゆる海外厨というやつだ。日本のバンドには疎い。それでも、ロックに全く興味がないやつに比べたら知っている方だとは思う。
「次。いくよ。次のバンドには、本格的に私も関わってる。カッコいいからしっかり聴くように。間違いなく、カッコいいから!!」
先生は、そう高らかに宣言すると、すぐに音楽と映像を再生する。なんとなく前の二つよりも熱がこもっているような気がした。
間髪入れずに映像が映し出されたはずのスクリーンには、変化がない。そこには、隠されたはずのステージが映し出されていた。
観客の後頭部が見え、スタンドに立てかけられたギターやベースが見えることで、過去にここで行われたライブの映像だと分かる。
映像が始まってすぐ、ギターを持った男を先頭に四人の男女がステージ袖から現れた。
先頭のギターを持った男に見覚えがある。その服装とギター。どこかで見たことがある。
ザワザワした会場に突如「おかえりーー!!」という黄色い声が飛ぶ。それを合図に、いたるところから「おかえり」の掛け声が響いた。ギターを持った男が「ただいま!!」と大声で応える。
どういう意味なのか、いまいちよく分からない。このバンド独特のノリなのかもしれない。
四人が所定の位置につくと、ベースを取った背の高い綺麗な女の人が話し始めた。どうやら、アンコールに応えての再登場らしい。なるほど、だから「おかえり」なのかと納得する。
ベースの人は、他のメンバーに一言ずつ挨拶の言葉を述べるように促した。それぞれが短く挨拶をすると、ようやく演奏が始まる。
披露された曲は、先の二つのバンドが演った激しめの曲と違い、ゆったりとしたバラードだった。激しさこそロックの真髄と思っている俺だが、なぜだかこの曲が一番響く。心に直接訴えかけるような音と映像に涙さえこぼしそうになった。
半ば放心状態の中、曲が終わる。ロックミュージック研究会の演奏はその一曲のみだった。
「やっぱりロミ研は、ケイがいないとね〜」
「今のが……ロミ研? お姉ちゃんの……」
千冬の声で我に返る。
「そうだよ〜。千冬、あんたもしかして初めて見た?
リサさんは、自分のことのように誇らしげに胸を張った。
「七夏ってあのフリー様と同じベース
「そうだよ。千冬のお姉ちゃん。……ね?」
千冬が小さくうなずいてそれに応える。
「「なっ!!!」」
俺とフリーの声が見事に重なる。タムだけは知っていたらしく、優しくうなずいていた。
「あんたのお姉、めっちゃカッコエエやん。なんで、もっと早く言わへんの? もったいないで!!」
「そうね……。もったいなかった……かもね」
どこか寂しげな千冬は、珍しく素直にフリーの言葉を肯定する。
「あの日はさぁ~、肝心のケイが遅れてきたんだよね? ねっ?
「そうですね。あの日は、本当に焦りました。必ず来るって約束なのに、全然来ませんでしたから……。ようやく来たと思ったら、もうアンコール直前で。訳を訊けば、道でぶつかった子供を病院に送ってたとかなんとか……。嘘が本当か。まぁ、
あれ? 先生ってば、リサさんと話す時は普通に話せるんだ、という、どうでもいい感想は「道でぶつかった子供を病院に送った」という言葉で消し飛んだ。
不意に閃光が走る。
その子供とは、おそらく俺のことだ。忘れていた記憶が呼び起こされる。今まで漠然としていたロックへの強い想いが、輪郭を持った形になっていく。
俺は、幼い頃ギターを持った“お兄ちゃん“にぶつかられたことがある。頭を打って、救急車で病院に担ぎ込まれた。
あの時の“お兄ちゃん“。それが、さっきまでスクリーンの中で『おかえり』という観客の声に『ただいま』と応えていた彼。中央でギターを弾きながら歌っていた『ロックミュージック研究会』のボーカルの男だった。
——俺はあの日、ロックが好きになった。
思い出すと同時に抑えきれない何かが体の底から湧き上がる。
「なぁ、みんな。俺たちでバンド、やらないか? フリーがベースを弾いて、タムがドラムを叩く。俺はギターを弾く。千冬が歌って、しかも曲を作ってくれれば……。どうだ? できそうだろ?」
思わずそう口走っていた。
「歌うのは嫌だけど……いいよ。バンドやってみても」
意外にも一番最初に賛成したのは、千冬だった。遅れてフリーとタム二人も賛成する。
勢い任せに口にしたことが、あっという間に、しかも簡単に形になる。嬉しいというよりは、ようやくスタートラインに立った。そんな気持ちだった。
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