第18話 さすがは、我らがロックミュージック研究会の部長や

 地下のライブハウスは、想像していたよりも広かった。


 ドアを開けると真っ先に目に飛び込んでくるのは、ステージ中央の最後部でどっしりと構えるドラムセットだ。その他に楽器は見当たらない。ドラムセットだけは、ライブハウスに備え置かれているものらしい。


「二人とも遅かったやん。何してたん? ホンマもんのライブハウスやで? お洒落なカフェの地下がライブハウスになってるなんて、外国みたいやんな? 感動するやろ?」


 自分の持ち物を自慢するような興奮した声が聞こえてくる。フリーが万歳するような恰好で両手を挙げていた。


「たしかに、すげーな。俺、ライブハウスに来るのは、初めてだ……」


「なんやぁ? あんだけロックに詳しいみたいに言うてて、ライブハウス童貞かいな。……まぁ、うちもやけど」


「どっ、どどっ、童貞……って、そういうこと言うなよ。つか、お前もなんじゃねーか。それより、先生はどこに行ったんだ?」


 先に降りたはずの先生の姿が見当たらない。あたりを見回しながら尋ねると、フリーはピコピコと、光る機材のある方を指さした。


「あそこにおるで。よう見てみ」


 言われるままよく見てみると、小柄な佐々木先生が機材に埋もれるようにして何か作業をしている。


「あのピカピカ光ってるのってなんやろな? 陽太に訊いてもしゃーないやろけど……」


「あれは、PA機材だよ。あそこでステージ上の各楽器の音をモニターして、ミキサーとか……もしかしたら、エフェクター類もあるのかな? とにかく、それぞれの楽器の音のバランスを調整をするの。ただ鳴らすだけだとハウリングを起こしたり、ボーカルが聞こえないってことになったりするんだよ。あ~、それから……。ステージを照らす証明の調整をしたりも……あそこでするのかな?」


 千冬ちふゆが、楽しそうに口を開く。自分から積極的に、しかも、饒舌に何かを話すのは珍しい。


「よう知ってるなぁ。さすがは、我らがロックミュージック研究会の部長や。ロックの研究のためには、必須の知識ってことなんか? ライブハウス童貞のくせに、イキっとった陽太とは、全然ちゃうな!! ちぃにとっては、ライブハウスもすでに馴染みの場所やん」


 大袈裟に思えるくらい手放しで褒められた千冬は、褒められているにもかかわらず突然ムッとして、さっきの饒舌が嘘のように押し黙る。

 その顔は、がっつりディスられた俺がするべき顔だろう。


「どないしたん? そんな怖い顔して……。急に黙らんといてよ」


 怪訝な顔のフリーをよそに、千冬はふいっとそっぽを向いてしまう。そして、何がそんなに気にくわないのか


「別に……詳しくなんかない。普通だよ」


 と、小さく、しかし、明確な拒絶の意思をこめてつぶやいた。それに対してフリーは、不貞腐れたように吐き捨てる。


「なんやねん!! なにを怒ってんねん。普通にすごいなって褒めただけやんか。ホンマになんやねん、急に。やっぱり、おかしな子やな」


 フリーが怒るのも無理はない。

 褒めたにもかかわらず、拒絶されて、気分を害さないわけがない。さっきのわざとらしい言葉はフリーなりの配慮だ。それくらいは俺にだって分かる。フリーは、フリーなりに千冬とコミュニケーションを取ろうと思ったのだろう。

 しかし、それは完全に裏目に出てしまったようだ。


 一方で陰キャな俺には、千冬の気持ちもある程度は分かる。

 フリーは、千冬が抱える触れられたくない地雷に触れてしまったのだ。地雷自体は誰もが抱えているものだろうが、俺たち陰キャは、意図せずそれに触れられてしまったときの上手な対処法を心得ていない。


 タムになだめられてはいるが、フリーの怒りはなかなか収まらないようだ。気まずい空気を変えたのは、リサさんの明るい声だった。


「どうだい? うちのライブハウスは。なかなかのもんだろ? 自慢じゃないけど、この辺じゃ一番のライブハウスだと思うよ」


 その声に反応する者はいない。

 リサさんは、すぐになんとなくの状況を察したようだ。どういうわけか、俺に向かってウインクして見せる。

 だれか、年上のお姉さんにウインクされたときの正しい反応を教えてください。非常に照れ臭い。その一発で千冬とフリーのことなどどうでもよくなる。俺のことを薄情者だと思うなら一度くらってみればいい。……飛ぶぞ?


「はい。カステラソーダ。それからマリちゃんは、ロイヤルミルクティね」


「あ、ありがとうございます」


 飛びそうな意識を必死でつなぎとめて、差し出されたカステラソーダを受け取る。冗談半分で適当に注文したのに本当に出てくるとは……。『だいたいのものは出せる』は、伊達じゃないらしい。

 お互いそっぽを向いたままの千冬とフリーを、オロオロと心配そうに見ていたタムにも、リサさんはグラスを手渡す。


 千冬が急に態度を硬化させた理由は、不明だ。それに対して、フリーは、怒ったというより、戸惑ったというほうが正しいのかもしれない。

 とはいえ、今も、昨日部室に現れたときも、それからアイドル研究会に絡んでいたときも、フリーの言動はいちいち軽率なように思う。千冬の地雷が何であるか、見当がつかないという意味では同情するが、遅かれ早かれこういう衝突は起こっていたのかもしれない。


「それで? みんな、いつまで黙ってるつもり?」


 飲み物を配り終えると、リサさんは仕切り直すように溌剌とした声で言った。

 陰キャの俺と千冬は、こういうとき、率先して話し出したりはしない。──いや、できない。話し出すとしたらその役目はフリーなのだが、フリーも黙ったままだった。

 だから、自然とタムが口を開く。


「あの……リサさん。ちぃちゃんは、いつからここに来てないんですか?」


 自分のことが話題に上がろうとしているのに千冬は変わらず、拗ねたように関係ない場所に視線を送っている。


「えぇっ? えっと……。いつからだっけなぁ……。千冬が中学校に上がってからは、来てないんじゃないかな。となると、四年くらいは来てない? かな」


 タムの質問に戸惑った様子を浮かべ、千冬に視線を送りながらも、リサさんは記憶をたどって、なるべく正確な時期を伝えようとする。訊いても答えが返ってこないことが分かっているのか、当の千冬に確認することはしなかった。


「そっかぁ。それなのに機材のこととかちゃんと覚えてて、ちぃちゃんは、やっぱりすごいね!! 音楽が大好きなんだね」


「すごくないよ。私なんて……。全然、すごくなんかないよ」


 タムに言われてようやく千冬が口を開く。


「ちょいちょいちょい!! なんでうちにはあんな感じやったのに、タムタムにはそんなに優しいねん!!」


 別に優しくはないと思うが、千冬のとった態度には確かに明らかな差があった。その差を作ったもの。それはおそらく『ロック』という地雷だろう。

 千冬の地雷の危うさは、俺も入学初日に身をもって体験している。


 今一度、思い出す。

 千冬は、ロックが嫌いなのだ。


「……たぶん、ロックってのがまずかったんだと思うぞ」


 貴重な情報だと思って、フリーに教えてやると困惑した声が返ってくる。


「は? なにがや? ロックの何がまずいねん」


「千冬は、ロックが嫌いなんだよ。この部の部長なのにな。お前は、地雷を踏んだんだ。かくいう俺も入学初日に踏んでいる」


「ロックが嫌いぃ!? ちぃ、そうなん!?」


 やはりというかなんというか、フリーは軽率だ。無遠慮で配慮に欠ける。この流れでそれを直接本人に訊けるやつは、そうそういないだろう。


「別に……。ていうか、如月くん。偉そうに人のこと勝手に解説しないでよ」


「別にってことはないやろ。陽太が偉そうなのは、元からなんやからどうでもええねん。ロックが嫌いなくせにロミ研の部長やってるんか?」


 うん。やっぱり、無遠慮で配慮に欠ける。俺ってそこまで偉そうだろうか。

 それはともかく、フリーの問い詰めるような口調は、千冬に逃げることを許さない。ただ、「イエス」と答えればいいのだから、千冬にとって特別困った質問ではないはずだ。そもそも逃げる必要がない。

 それなのに、そんな簡単な質問を前に千冬は何も答えない。


 その理由をリサさんが教えてくれた。


「あれ? 千冬は、別にロックが嫌いなわけじゃないでしょ?」


「えっ!?」という声は喉の奥にとどまったまま出てこない。案外、心底驚いた時は声が出ないものだ。


 千冬は、ロックが嫌いなわけじゃない……?


 それは思ってもみないことだった。

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