第16話 お前、ロックが嫌いなんだよな!?

「まさか、お前が……? 曲だけじゃなくて、その……ボーカロイド……まで……作った……のか?」


「お前って呼ばないでってば。なにかおかしい? 聴きたいって言うから、聴かせてあげたのに……」


 あの日、中庭で聴いたあの歌声は、ボーカロイドの歌声だったのだろうか? 機械的で抑揚のない歌唱法は、心奪われるほど美しかったあの歌声の唯一の欠点ともいえる。その欠点もボーカロイドだからだと言われれば納得だ。

 だが、そのボーカロイドを千冬が

 さらにそのボーカロイドが歌う曲も、千冬が作ったものだというのか?


 その証拠は? 


 千冬はボーカロイドの名前をだと言った。あの日見たスマホに表示されていたアーティスト名と同じ名前。


「ありえない……」


「どういう意味? 私なんかが、曲を作ったり、あまつさえボカロを作ったなんて、ありえないって言いたいの?」


「いや、いや……。そうじゃない。そうじゃないんだ。それは、誤解だ」


 しどろもどろになりつつも、頭の中では言葉のとおり、ありえないと思っていた。


 ボカロのことは、正直よく分からない。ボカロを作るというのは、おそらくすごいことなんだろうな、くらいの認識でいる。

 すごかろうが、すごくなかろうが、事実として歌声は美しく、俺を完全に虜にした。

 

 ボカロを作ったのが千冬だというのなら、とりあえずのところは信じるし、称賛もする。頭を床にこすりつけて、靴でも舐めたっていい。あの歌声は素晴らしかった。俺の意識を変えるほどだ。歌声は、ボカロの声は、そうだ。

 だけど、曲となると話は別だ。

 あの日聴いた曲。そして、ついさっき千冬に聴かせてもらった曲。それはもう間違いなくロックで、俺が聴いてきた数多くのロックに混ぜても引けを取らないものだった。

 だからこそ、俺の心を打った。それは、俺の意識を変えてしまう程に圧倒的で、カッコよかった。

 そんな曲を、の千冬が作ったなんてありえない。


「お、おま……お前、ロックが嫌いなんだよなっ!?」


「なに、急に興奮してるの? また、その話?」


「──あの日、聴いた曲なんだよ。話しただろ? 歌を聴いたって。その歌声を聴いて、自分を変えようと思ったって。それくらい、綺麗な歌声で、パワーのある曲だったって。お前が今、聴かせてくれた曲。お前が作ったっていうこの曲が、俺の意識を変えた曲だ」


 千冬の目が、見開かれていく。もともと大きな目は、もうこれ以上開かないというところまで開ききって、今度はゆっくりと閉じられた。


「そう……。この曲が……」


 それっきり黙ってしまった。

 何かを考えるように閉じられていた目は、しばらくしてまたゆっくりと開かれる。視線はやや下にある。長いまつげが瞳に影を作った。


 会話がキャッチボールだというのなら、ボールはまだ千冬が持っているはずだ。


 下げられた視線が上がるまで、どれくらいの時間がかかっただろう。きっと、たいして時間は経っていないのだろうが、一時間にも二時間にも感じられた。

 千冬は、なにかを振り払うように一度だけ首を左右に振って、視線を上げる。その瞳は、心なしか潤んでいた。

 そんな瞳に戸惑っていると、突然、ガランガランッと大きな音が鳴り響いた。


「たんのもーーーっ!!」


 大きな音に負けないくらい大きな声を張り上げて、フリーが姿を現した。少し遅れて、タムの姿も見える。


「如月くん、ありがとう……」


 騒がしくなった店内に紛れてしまいそうだったが、たしかに千冬がそう言うのを聴いた。

 それは、俺があの歌声の主──、そして歌声を作った張本人計算─、千冬に伝えたかった言葉だ。フリーとタムの登場で、俺はその絶好の機会を逃してしまった。


「なんやぁ? また二人っきりでイチャイチャしとんのかいな。ホンマに仲ええなぁ」


 茶化すように覗き込むフリーは、千冬の瞳が潤んでいることには気がついていない。


「そんなんじゃねぇよ。ちょっと早く着いたら、こいつがもっと早く着いてただけだ」


 言い訳がましいが、事実である。


 本気で俺たちがイチャイチャしていたと思っているわけじゃないからか、フリーはそれ以上何も言わなかった。ただ、「ふ~ん」とつまらなそうにして辺りを見回すように顔を背ける。そして、リサさんを見つけると大声でグレープフルーツジュースを注文した。

 入ってくるときの勢いもそうだが、陽キャの行動力は実におそろしい。

 俺なんか、まだ何も注文できていないというのに……。リサさんの方から注文を訊きに来てくれないかな? って期待してたのに……。


「ちぃちゃん。こんにちは」


 フリーとは対照的に、遠慮がちな挨拶をするタムに千冬は


「こんにちは」


 と短く答える。いつもどおりの千冬に思えた。

 タムは千冬から返事があっただけで、それはそれは嬉しそうに目を細める。そんなタムを見て、千冬は照れ臭そうに、ほんの少しだけ顔をほころばせた。


「みんな揃った?」


 突然、どこからともなく、佐々木先生の声がした。例のガランガランッという音は聞こえなかった。いよいよ音もなく、そして扉すら無視して室内に侵入できるようになったのかと恐ろしくなる。


「揃ったなら、少し早いけど始めよう。いいですよね? 会長」


 声のする方へ視線を向けると、そこには地下へと続く階段があった。階段から、先生がぬっと姿を現す。先生の目線は、リサさんへと向けられている。


「百合葉ぁ〜。いい加減、そのってのやめなさいよ。卒業して何年経ってると思ってるのよ」


「会長は、いつまで経っても会長です」


「はぁ~……。まったく……」


 先生は表情一つ変えない。

 ため息を吐いたリサさんは、やれやれと身振りをしながらこちらにやってくる。その手には、薄黄色の飲み物を持っていた。


「はい、グレープフルーツジュース」


 グラスをフリーに手渡すとリサさんは両手を腰に当てた。


「他の子は? 何が飲みたいか言ってね。百合葉もああ言ってるし、飲み物決まったら、みんなで地下に行くよ。あっ!! キミたちは未成年だから、お酒はダメだぞっ! お姉さんは呑ませてもらうけどね」


「そんなん言われんでも分かってますよ~。そんなことより、地下には何があるんですか?」


 フリーは相手が初対面の大人でも、全く物怖じしていない。相手が誰であろうと普段どおりに振舞っている。若干失礼な態度にも見えるが、辛うじて敬語なあたり、一応年長者を敬う気はあるらしい。


「ん? ライブハウスだよ。表の看板、見なかった?」


「看板ですか? う~ん、そんなものあったかなぁ。……覚えてません!」


「キミは、なんていうか。気持ちがいいくらい素直だね」


 俺には「アホの子だね」と言ってるように聞こえたが、フリーは、誉め言葉と受け取ったらしい。わざとらしく頭をポリポリとかいて、照れたような仕草を見せる。


「あの……。私は、ロイヤルミルクティがいいんですけど……お願いできますか?」


 そんな二人の間に割って入るように、タムが遠慮がちに手を上げて、マイペースに飲み物を注文する。それまで何かを考える風だったのは、何を注文するのか考えていたかららしい。


「はいはい。ロイヤルミルクティね。マリちゃんは、本当にロイヤルミルクティ好きだよね~」


 リサさんの口からさらりとタムのファーストネームが出てきたことに驚く。その口ぶりから、二人が初対面ではないことが分かる。タムはこの店に来たことがあるのかもしれない。それも、リサさんに名前を覚えてもらえるほど頻繁に。常連だろうか。


「えっと、それじゃ、キミは?」


 続いて、未だに注文すらできていない俺に慈悲深い言葉がかかる。


「えっと……。そうですね……。メニューとかって、ないんですか?」


「ないよ。でも、だいたいのものは出せるから、好きなもの言ってみな」


 メニューがない喫茶店なんて始めてだ。

 だいたいのものが出せるって……? いらぬ興味が湧いてくる。


「えっと……じゃあ、カステラサイダー……なんかもあったりします?」


 ちょっとした悪ふざけのつもりで、たまたまネットで見かけたことがあるご当地サイダーを注文してみる。

 するとリサさんは


「あるよ」


 と短く答えてニヤリと笑った。


 あるのかよ!!


「それじゃ、アタシはロイヤルミルクティとカステラサイダーを準備するから、みんなは百合葉と一緒に先に下行ってて」


 カウンターの内側に引っ込むリサさんの指名を受けて、先生が大きく手を上げる。


「こっち。ついてきて」


 俺たちは、先生に従って店の地下──、ライブハウスへとつながる階段に向かった。ロック好きを公言していながら、ライブハウスに入るのは初めてのことだった。

 俺の前を横切る千冬を見て、ふと、さっきの言葉を思い出す。


 ——如月くん、ありがとう。


 礼を言いたいのは俺の方だ。あれはどういう意味だったのだろう。

 どうしてすぐにそのわけを尋ねなかったのだろう。どうしてすぐに感謝の気持ちを伝えなかったのだろう。


 そんな疑問と後悔が、有耶無耶なままもやのように俺の中に残る。その靄はなかなか消えてくれそうになかった。

 俺はほとんど無意識で、何も考えずに千冬の肩を叩く。振り向く千冬の動きがスローモーションに見えた。

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