第15話 音楽はパソコンの中にあって、パソコンの中で作るんだよ

 千冬ちふゆはそれ以上、何も言わなかった。

 たぶん、俺のリアクションが気にくわなかったのだと思う。馬鹿にされたように感じたのかもしれない。そんな気は全くなかったが、ほんの少しだけ千冬の頭がおかしくなったのでは? とは思った。

 言葉どおりに信じることはできないそんな俺の心のうちが表情、態度、それから声にわずかにでも表れていたのかもしれない。それを千冬は、敏感に感じ取ったのだろう。

 陰キャは、他人の反応に人一倍敏感だ。小さな表情の変化も見逃さない。だからといって、抗議の声をあげたりはしないし、何かを変えようと行動に移したりもしない。

 結果として、無言になることが往々にしてある。それが陰キャというものだ。俺もそうだからよく分かる。


 答えを待つふりをしてしばらく観察してみると、続きを話すそぶりこそないものの、別に怒ったりへそを曲げたりしたわけじゃないことが分かった。

 俺の態度が気にくわなかったという予想自体が、陰キャな俺の過剰な思い込みで、千冬はあれ以上具体的に語る気はなかったのかもしれない。

 真相がものすごく気になったが、確認するのを阻むように部室を出ていった三人が戻ってきてしまった。


陽太ようた。千冬。明日の予定は?」


 戻るなり、佐々木先生は唐突に俺たちの予定を尋ねた。


「特にありませんけど……」


「陽太はそうだろう」


 先生は、失礼なことを言いながら俺の答えに満足そうにうなずいた。そして、千冬に確認の目を向ける。千冬は、それに応えるように一度だけ小さくうなずいてみせた。首肯、ということらしい。


「それなら、今年度の我が部、最初の活動は、ロックミュージック研究会存続記念パーティに決定」


「「はぁっ!?」」


 千冬と声が重なる。


「ちょっと……何言ってるか分からないんですけど……パーティってなんですか?」


「陽太は、パーティも知らない? さすがは、陰キャ」


「いやいや……。さすがの俺も、パーティくらいは知ってますよ。そういうことじゃなくて、最初の活動が存続記念パーティってどういうことですか? もっとちゃんと説明してくださいよ」


「説明もなにもない。無事に我が部の存続が決まったことを記念して、みんなでパーティをする」


「パーティをするって、このホコリ臭い部室でですか?」


「そんなわけない。ちゃんと会場は押さえてある」


 先生は、自信満々に一枚の紙を差し出した。紙には、『アナーキー』という文字と、ご丁寧に地図とURL、それから集合時間が書かれていた。


「パーティはそこでやる。十五時集合。遅刻厳禁」


 先生は、紙を千冬にも渡す。千冬は、一瞥してすぐに興味を失ったように視線を紙から外した。


「というわけで、ちぃ!! 陰キャくん!! パーティやで!! むっちゃ楽しみやな」


 もう仲間に引き入れたとばかりにタムの肩を抱いて、一人ノリノリな陽キャをよそに俺と千冬は深く、深く、海よりも深く、ため息をついた。



 翌日、俺は約束の時間より三十分も早く、指定された場所『アナーキー』にやってきていた。道に迷うかもしれないとか、電車が遅れるかもしれないとか、あれこれ心配した結果、早く着きすぎてしまった。

 アナーキーは、洒落た外装の大きな喫茶店だった。店の扉には大きく『本日、貸し切り』と張り紙がされている。

 一人では、まず入ることができない。こういう店に、ただコーヒーを飲むためだけにふらっと立ち寄れるメンタリティが羨ましい。今日に限って言えば、先生に来いと言われたからだと、自分に言い訳することで、ようやくその高い敷居を跨ぐことが出来る。

 ふと看板に『ライブハウス アナーキー』という文字があることに気がつく。どうやら、ここは喫茶店兼ライブハウスということらしい。


 外で突っ立っているわけにもいかず、意を決して重い扉を開くと、ガランガランッと大きな音が鳴る。貸し切りで、集合時間まではまだ時間があるはずなのに、店内には先客がいた。


 千冬だ。


 千冬は、いつかの部室でそうしていたように、大きなヘッドホンを装着して、ノートパソコンに向かっている。表情は真剣そのものだ。

 声をかけようと歩を進めると


「いらっしゃーーい!」


 と明るく大きな声が聞こえた。


「千冬ぅ~!! ロミ研の子、来たみたいだよ~」


 店員と思わしきお姉さんは、俺に簡単な挨拶をすると、大きな声で千冬に声をかける。

 千冬の頭を覆う黒いヘッドホンは相当大きな音を鳴らしているのか、千冬お姉さんの声に何も反応を示さない。

 お姉さんは肩をすくめながら


「どうぞ。今日は君たちの貸し切りだから、好きに使ってね」


 と愛想よく促す。

 素直にそれに従って、千冬の座っている席の前まで向かった。

 千冬の顔とノートパソコンの間で手をひらひらと振る。するとようやく顔が上がった。千冬は少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐにいつもどおりの表情に戻って、ゆっくりヘッドホンを外した。


「早いね」


 それだけ言って、すぐにノートパソコンに視線を戻す。ヘッドホンは外したまま。会話をする意思はあるようだ。


「お前の方が早いじゃねぇか」


「お前というのはやめてって言ってるのに……」


 千冬は、小さくため息をついて、ゆっくりノートパソコンを閉じた。


「他の人はまだ来てないよ。時間まで好きに待ってていいって。飲み物は、あそこのリサさんに注文して。自由に飲んでいいって言われてる。好きなものを頼んだら?」


 お姉さんは、リサさんというらしい。


「それはありがたいんだけど……俺、そんなに金持ってないぞ? 大丈夫なのか?」


「それは、たぶん大丈夫だと思う。リサさんは、ロミ研のOGだから」


 千冬の視線の先に目をやると、リサさんが「そのとおり!」とブイサインを作って、満面の笑みを浮かべている。


「マジか!? だから、パーティ会場がこの店なのか……」


「そういうことね」


 あまり関心がないのか、千冬の言葉には温度がない。


「それで? こんな早く来て何してたんだ?」


「如月くんだって、随分早いじゃない」


「俺は……あれだ。なんでも一番最初じゃないと気が済まない性格だから、早く来たんだよ」


「それじゃあ、私に負けて、さぞ悔しいでしょうね」


「あぁ……悔しいな。それで、俺に勝ってまで早く来たお前は、何をしてるんだよ」


 千冬は、一度だけ大きくため息をつく。


「ボカロが好きって言ったの、覚えてる?」


「覚えてるけど……それがどうしたんだ?」


 千冬はもう一度、大きく息を吐くと意を決したように口を開いた。


「私、ボカロPをやってるんだ。このノートパソコンを使って、ボカロ曲を作ってる。部室でも同じことをしてるんだけど……。あの日、如月くんは「なにをしてるんだ?」って訊いたでしょ? それで、笑わないって約束してくれたのに、結局私は約束を破って、内緒にさせてもらったよね。昨日、同じような流れで私が尋ねたら、如月くんは、しっかり教えてくれた。私は内緒にして、はぐらかしちゃったのに……。それが、ちょっと申し訳ないなって……」


 話の途中で、急に話題が変わる。どこか言い訳がましく、早口だ。


「それで、今日は素直に話す気になったってわけか。案外、律儀なんだな」


「なんか借りを作ったみたいで嫌なだけ。それに……まぁ、隠すようなことでもないし」


「ボカロ曲を作ってるって、オリジナル?」


「一応、そうだよ。動画サイトにアップしたりもしてる……」


「マジかよ!! すげーじゃん。その曲、聞かせてもらうわけにはいかないのか? まさか、自分で探せとは言わないだろ? そんなこと言ったら意地でも見つけるぞ」


 恥ずかしそうな千冬の声に、興奮した自分の声をかぶせる。千冬がどんな曲を作るのか、ものすごく興味があった。

 あれだけロックを否定する人間が、どんな曲を作るのか。ロックしか知らないといっても過言ではない俺には、想像もつかない。


「変なコメントとか残されても嫌だし、聞かせるくらいなら別にいいけど……。じゃあ、如月くんでも比較的聴きやすい曲。──だと……これかな?」


 千冬は、ノートパソコンの画面をこちらに向ける。画面には、いくつかのゾーンに色分けされた列がならんでいた。何かのソフトが立ち上がっているらしいが、初めて見る画面だ。音楽を再生するだけのソフトではないことは、一応分かる。


「これって……何? どうすればいいんだ?」


DAWダウっていう、音楽ソフト。これで曲を作ってるの。今の時代、音楽はパソコンの中にあって、パソコンの中で作るんだよ」


 頑なに隠しているとばかり思っていたノートパソコンをこちらに向けるだけじゃなく、その中身の解説までしてくれる。

 即座に拒否されるか、少なくとも躊躇を見せると思っていたが、意外なほど素直だった。それだけ自分の作った曲に自信があるということなのかもしれない。

 いいだろう。それならば、その自信に敬意を表して、俺もしっかりと聴いてやる。ロック狂の名にかけて。


「エンターキーを押したら、曲が流れるから」


 言われたとおりにするとすぐに曲が流れだした。

 初めて聴くはずなのに、聴いたことがある曲──。それは、間違いなくあの日、中庭で聴いた曲だった。


「この曲……お前が作った曲だったのか……」


 千冬の怪訝な顔が視界の隅に映る。


「これ、歌ってるのって……? お前?」


 俺が尋ねると千冬は、訝しげな表情のまま答えた。


「うぅん。ボーカロイド。決まってるでしょ?」


「そのボーカロイドって、なんて名前なんだ? たしか、何種類かあってそれぞれのキャラクターに名前があるだろ?」


 もはや、確信をもって尋ねる。


「名前? 月華だけど……私が作ったボーカロイド——、正確には、歌声合成ソフトだよ」


 ふと視線を落とすと、千冬のスマートフォンが目についた。『充実した学園生活を送りたい』と書かれた紙がケース越しに見える。あの日、学校の中庭をアリーナに変えていたあのスマートフォンだった。

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