第11話 少なくとも、私はチャンスだと思った

 静まり返った部室で千冬ちふゆ


「余計なことしないでよ……」


 と小さくこぼした。


「私は……大丈夫だったのに……」


 と、続く震える声は、ホコリ臭い部室に吸い込まれて消える。


「大丈夫には、見えなかったが?」


 千冬は、きつく握りしめていたせいで赤くなった両手を見つめながら、ふるふると首を振った。


「そんなことない!! 大丈夫だったのに、なんで余計なことを……」


「すまん……」


 雰囲気に飲まれて、ついそんな言葉が漏れる。まともに顔を見ることができず、千冬の赤くなった手を見つめる。赤みが溶けるように徐々に薄くなっていく。


「謝らないでよ。自分でも無茶苦茶なこと言ってるって分かってるんだから。いつもは茶化したりするじゃない。お願いだから、いつもみたいにしててよ」


 いくら千冬がロックをバカにしたムカつくやつだとはいっても、傷ついた女の子に追い打ちをかけるようなことは、さすがの俺にもできない。ロックに魂をささげた俺だけど、鬼でも悪魔でもないのだ。ただのロック狂。もしくは、ロック教の敬虔な信者。

 ロックは、誰かを貶めるための道具じゃない。

 そもそも、追い打ちをかける材料だって持ち合わせてはいない。俺には挑戦すらできなかったことに挑戦して、トラブルに見舞われても最後まで抗おうとした千冬。そんな千冬に、それ以下の俺がどんな偉そうなことが言えるだろう。


「一人で大丈夫だと思ったのに……やっぱりダメだった。百合葉ゆりはちゃんが、せっかくチャンスをくれたのに……」


 絞り出すように出てくる声は、弱々しく掠れていた。


「あれは……チャンスだったのか? 罰ゲームだと思うが……」


「チャンスだよ。少なくとも、私はチャンスだと思った。でも……棒に振っちゃった。無駄にした」


 俺には、ただの思い付きの罰ゲームにしか思えない佐々木先生の無茶ぶりを、千冬はチャンスととらえていたらしい。

 千冬は、自分を変えたいという気持ちに真摯に向き合った。向き合った結果、先生の用意したをめいっぱい生かそうと決意したのだろう。それは、一人で部活動紹介のステージに立つことであり、演説をすることだった。

 そうすることで、何がどう具体的に変わるのか、俺には分からないし、千冬にも分からなかったのかもしれない。けれど、何かが確実に変わると千冬は信じた。だからこそ、通常なら絶対にしないであろうことをしようと思ったのだ。


「そのチャンスで成し遂げなければならないこと、その達成条件っていうのは、部活動紹介を完璧にこなすことなのか?」


「……? どういうこと?」


 不意に浮かんだ疑問を口にする。その疑問に反応して、初めて千冬の顔があがった。泣いているのかと思っていたが、そんなことはなかった。

 その目は、まだ死んでいない。


「はっきり言って、うまくやり遂げた、完璧にこなすことができた……とは言えないな」


「そんなの分かっ——、」


「いいから、最後まで聞けよ」


 気の早い反論を手で遮って続ける。


「だけど、本当にチャンスを棒に振ったのか? ステージに立っただけで、得るものはあったんじゃないか? もっといえば、自らの意思であそこに立とうと思った時点で、お前はもう変われてるんじゃないのか?」


 千冬が息を呑む。

 簡単なことだ。それまでの千冬なら絶対にやらないことを自分からやると宣言して、口だけではなく実際に行動に移したのだ。それが変化じゃないならなんなのだろう。


「そう……なのかな?」


「少なくとも俺は、そう思うけどな。できなかったことを一度でもやったという事実は、大きいと思うぞ。自転車だって一度乗れてしまえば、次は苦労せずに乗れるし、泳ぎだって一度体が覚えてしまえば、二度と忘れないらしい。それと全く同じだ……とまでは言わないが、チャレンジしていない昨日までのお前は、今のお前とは明らかに別人だ」


「なんだか、屁理屈みたい……。だけど、妙に説得力があるね。不思議とそのとおりな気がしてきた」


 千冬は首をかしげ、考えているような仕草を見せる。それに合わせて、黒い髪がさらさらと流れた。


「屁理屈だって、立派な理屈だろ? まぁ、悪いこととか、きついこと、思い出したくないことも、しっかり体が覚えちまうだろうが……。だから、もう一回やれと言われたら、嫌だろうな」


「それは……断固、嫌だね」


 千冬は「ふふ……」っとごく自然に笑う。教室では全く笑わない千冬だが、部室では自然に笑えるらしい。

 なにはともあれ、元気を取り戻してくれたようで安心した。……と思ってすぐに、なんで俺がこいつの元気を取り戻さなければならないのか、と疑問に思う。


 屁理屈をこねたが、部活動紹介が失敗したのは間違いない。それは事実として受け入れなければならない。おそらく、あれを見てロミ研に入りたいと思うやつはいないだろう。このままでは、ロミ研は廃部だ。

 そうなると、あの歌声の主を見つけ出すチャンスを失うことになる。もっとも、そのチャンスも俺の希望的観測が多分に含まれているから、そもそもチャンスといえるものかすら怪しい。


 どちらにしても「部活動紹介が失敗したのは、お前のせいだ!! 部員の確保ができなかったら、お前の責任だからな!! 大丈夫って言ったじゃないか!!」と千冬を責めまくってもおかしくない場面なのに、不思議とそんな気持ちはカケラも湧いてこなかった。

 それは、千冬の努力と頑張りを同じ穴のむじなである俺が、誰よりも理解しているからだろう。千冬がどう思うかは知らないが、その自負が俺にはある。


 ロックをバカにしたムカつくやつ。

 陰キャでコミュ障のくせに、口を開けば生意気なことばかり言ういけ好かないやつ。


 これまで俺が千冬に持っていた印象だ。もちろん、今だって少なからずそういう印象はある。

 その一方で、千冬に対して俺と同じ陰キャでコミュ障だという安心感や、妙な連帯意識も抱いていた。仲間意識といってもいいかもしれない。


 教室で一人なのは、俺だけではない。

 下校時、真っ先に一人で教室を出ていくのも俺だけではない。

 陰キャという色で色分けされた仲間。


 そんな仲間が、自分より先に外の世界へ踏み出してしまったような感覚がある。平たく言えば、うらやましく、嫉妬もしているのだ。

 そして、尊敬の念を抱きつつある。それは、俺がやりたいと思いつつも、できずにいることをやってのけたことへの純粋な敬意だ。

 俺は、もう千冬のことを完全な敵だとは思えなくなっていた。俺の一歩先を行く仲間。それが今、千冬に抱く素直な印象だった。


「如月くん……?」


 千冬の声で我に返る。怪訝な目を俺に向けながら千冬は


「どうかした?」


 と、俺のことを心配してみせた。罵倒されることこそあれ、まさか千冬に心配されるなんて思ってもみなかったからむず痒い。それを誤魔化したくて、口調がいつもどおりの悪態に戻る。


「いずれにしても、陰キャにしてはお前はよくやった方だと思うぞ」


「だから、お前と呼ぶのはやめてと言ってるじゃない」


 ずっと、お前呼びだったのだが、今まで気が付かなかったようだ。千冬がに怒るのは、いつもの調子を取り戻したあかしでもある。

 俺の方からも、さらにいつもの調子で何か返してやろうと口を開きかけたとき、部室の扉がガララララッと大きな音を立てて開いた。


「たっのもーーっ!! ……って、表に『ロックミュージック研究会』て書いてあったけど、ホンマにここであってるん!?」


 扉が開ききらないうちから、大きな声が部室内にこだまする。遅れて、ピシャンッと扉がふちにあたる音がした。

 扉の向こうには、ブレザーの内側に派手なパステルカラーのパーカーを着た、ポニーテールの女の子が立っている。声の主はいつかの関西弁だった。


「……あれは……絶対、陽キャだな」


「……絶対、陽キャですね……」


「おい。どうした? お前、敬語になってるぞ?」


「……うるさい」


 俺と千冬は、どちらが関西弁の相手をするか、その役目をなすりつけあうのだった。

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