第10話 部活動紹介

 部活動紹介の本番が始まって、二時間あまりが経過していた。

 体育館には、全一年生が集合していた。ワイワイガヤガヤと大人数が無秩序に話すとき特有の喧騒が、広い体育館に反響している。予行演習のときとはえらい違いだ。

 それを俺はステージ袖で千冬ちふゆとならんで聞いていた。


 間もなくラクロス部の紹介が始まる。

 俺たちの出番は、もうすぐそこまで近づいている。千冬の横顔に特に変わったところはない。予行演習をしっかりやりとげたことで自信をつけたのかもしれない。

 一方で何もしないはずの俺は、徐々に緊張し始めていた。あの大人数の前に出て行かなければならないと想像するだけで寒気で震えてくるし、心臓が縮み上がるようだ。よくもまぁみなさん平気な顔で話したり、パフォーマンスを披露したりできるものだと素直に感心する。


「それでは、続いてラクロス部です。ラクロス部のみなさん、どうぞ!! お願いします!!」


 司会を務める実行委員の声が、スピーカ―から流れる。予行演習の時よりもテンションが高い。

 すぐに、派手な出囃子でばやしが鳴って、ズンズンと低音をきかせたノリのいい音楽がかかった。出囃子に合わせて、ラクロス部の三人がタイミングよくステージ中央に飛び出していく。

 昨日見たときは無音の中ただ動き回っていて、滑稽にすら見えが、今、目の前で繰り広げられているパフォーマンスはカッコいい。音楽と動きがピッタリとあっている。

 ラクロス部は、あっという間に一年生の視線を釘付けにした。ガヤガヤと騒がしかった喧騒が、一瞬で止んでしまう。自然発生的に掛け声や手拍子が起こり、体育館は今日一番の一体感と盛り上がりを見せる。


 しばらくするとステージ上の三人は、昨日の予行演習どおりにステージ中央に集まり、ぴったり呼吸を合わせてお辞儀をした。お辞儀のタイミングで音楽がジャンッと鳴って消える。

 一拍おいて、大歓声が巻き起こった。ステージ袖にいる上級生まで、拍手と歓声を送っている。


「君たち、一年生だよね? じゃあ、知らないと思うけど、去年まではラクロス部がトリだったから、こんな感じで盛り上がって終わりなんだよ。だから、ラクロス部の後は大変だと思うけど、がんばってね」


 舞台袖にいた上級生の一人が、俺と千冬どちらにともなく言った。

 きっと、悪気はないのだろう。だが、その言葉がプレッシャーにならないはずがない。余計なことを言いやがって、と文句の一つも言いたくなる。

 予行演習では、観客の反応までは予行されていない。

 千冬は上級生の声が聞こえていないのか、それともいつもどおりのコミュ障なのか、何も反応を示さなかった。そうなると、俺が何かしら応えないといけない。


「あ、そうなんですね。ははっ……。な、なんとか、がんばってみますよ。あの……ありがとうございます」


 上級生は、気の毒そうに俺と千冬を見ると、哀れみの目を浮かべたまま微笑み、離れていった。

 ラクロス部のパフォーマンスが終わったということは、いよいよ俺たちの出番だ。緊張で足が震える。肝心の千冬に声をかけると


「大丈夫」


 と、短く、それまでどおりの応えが返ってきた。このタイミングまで平静を保っているなら、本当に大丈夫なのかもしれない。


「それでは、いよいよ部活動紹介も最後の部活を残すのみとなりました。なぁ~んとっ!! 今年から復活を遂げたロックミュージック研究会。今日、登場してくれるのは、一年生です。皆さんと同じ一年生ですよ~? 楽しみですね~!! では、出てきてもらいましょう!! ロックミュージック研究会、どうぞっ!!」


 かなりそれっぽいアナウンスが俺たちの登場を促す。それだけで俺は、内心「ハードル上げてくれるなよ」とひやひやする。予行演習どおりでいいんだよ、予行演習どおりで。変にアレンジを加えられてしまうと、それだけで緊張感が増してしまう。イレギュラーに滅法弱い。俺たち陰キャとはそういう人種だ。

 アナウンスに多少のアレンジがあったものの、千冬は、あまり意識していないのか予行演習のとおり、ゆっくりとステージ中央に向かって歩き始める。それから、やはり予行演習のとおりにマイクの前に立った。  


 そして——、そのまま勢いよくお辞儀をした。予行演習では、ゆっくりだったのに……。


「あっ……」と思うと同時に


 ゴンッ!! ——キーーーーン……


 と、鈍い打撃音とマイクがハウリングを起こす音が、スピーカーからあふれ出す。千冬は頭を下げたまま、おでこのあたりを抑えている。

 一度静まりかえった体育館は、予想外のことにざわつきだし、そして、すぐに盛大な笑い声に変わった。

 予行演習では、お辞儀をしたあと速やかに俺たちの団体名を名乗るはずだった。千冬は、その、のとおりに健気にも笑い声を無視して、忠実に予行演習をなぞろうとする。


「……ロックミュージック研究会です」


 恥ずかしさからか、下を向いている。そのため、ようやく発せられた震える小さな声は、マイクをとおることなく、ほとんど聞き取ることができなかった。

 後ろからでも、顔が真っ赤になっているのが分かる。さっきまでの透き通るように白く、涼し気な顔が嘘みたいだ。

 近くにいた司会の一人が、心配そうに千冬を覗き込む。演出かもしれないとでも思ったのか、声をかけることはない。

 千冬は覗き込まれたことで、顔を見られまいとより一層下を向く。もうほとんど自分の胸しか見えていないのではないだろうか。


「いったそ~う……」


「思いっきりぶつけたけど……あの子、大丈夫かなぁ?」


「ロックミュージック研究会なんて部活あったんだ」


「軽音部と何が違うの?」


 ようやく収まりかけた笑い声に代わって、ヒソヒソと話す声が聞こえてくる。

 千冬が拳をきつく握りしめるのが見えた。何かを話そうとマイクに向かっては、躊躇ためらうように離れるということを数回繰り返す。


「どうしたんだろう?」


「これ、どこらへんがロックなの?」


「去年までなかった部活でしょ? 復活する意味ある?」


 ヒソヒソ声は、千冬を心配するものから次第に遠慮のないものに変わっていく。その一つ一つが銃弾のように容赦なく千冬を貫いていく。俺だって無傷ではいられない。


「あの、後ろの男はなにやってんだ?」


 と、流れ弾を見事にくらう。

 絶え間なく飛んで来る言葉の銃弾は、その口径を徐々に大きくし、威力を増していく。

 千冬はとうとう耐えきれなくなって、真っ赤になった顔を両手で覆い隠すようにしてしゃがみこんでしまった。明確なギブアップの合図だ。

「大丈夫」って言ってたくせにこのザマか……とは、さすがに思わなかった。しゃがみこむ千冬の背中を見た時、俺の中で何かが弾けた。


「ロックミュージック研究会ですっ!!」


 気がつくとマイクに向かって叫んでいた。


 ——キーーーーン……


 と再び耳障りなハウリングの音が鳴る。


 それが体育館のざわつきを一瞬で収めた。狙ってやったわけではないが、結果として、体育館に再び静寂を取り戻すことができた。

 一度大きく深呼吸をして、腹を括る。

 思い起こせば昔は、大勢の前で話すことに抵抗などなかった。


 失敗が怖くなったのは、いつからだろう。

 人と話すのが怖くなったのは、いつからだろう。

 人に本心を知られるのが怖くなったのは、いつからだろう。


 そんな風に変わってしまったのは──。


「お集りのみなさん!! お初にお目にかかります。ロックミュージック研究会です!! 一緒にバンドを組んで、ライブをやりませんか!? ビートルズ、オアシス、クイーン、ニルヴァーナ、レッチリ、グリーンデイ、スレイヤー、メタリカ。なんでもオーケー。ロックを愛する人なら誰でも、いつでも、大歓迎!!」


 一息で言って、マイクをマイクスタンドに突き刺す。そして、半ば放心状態の千冬の手を引いてステージ袖に戻る。

 掴んだ時、その手に少しだけ抵抗の意思を感じた。満身創痍のくせに、まだ戦えると訴える戦士のような抵抗。

 しかし、それも一瞬のことで、すぐにすっと力が抜け、されるがままに動くようになった。


 俺たちの部活動紹介はこれで終わりだ。とても成功とは思えないが、仕方がない。


「あ、ありがとうございました……。ロックミュージック研究会のお二人でしたぁ~」


 シーーンと静まりかえったままの体育館に、司会の声が響くのが背中越しに聞こえた。


 千冬は精一杯やったと思う。


 想定外のトラブルに、容赦のないガヤがとどめを刺す形になった。しかし、トラブルがあった後のあの空気の中で、平静を保ったまま何事もなかったように演説ができる人などほとんどいないのではないだろうか。

 それでも、諦めずにマイクに向かおうとした千冬を責める気にはなれない。あの場に一人で向かう勇気を持って、それを実行しただけで、千冬は俺の何歩も先を行っている。

 ステージ袖の上級生からも、遠慮のない好奇の目が向けられた。それを嫌って、操り人形のように、自分の意思では動けなくなってしまった千冬を引きずるようにして早々に体育館をあとにした。


 逃げ込む先として真っ先に思いついたのは、ロミ研の部室だった。

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