第9話 あなたの手をわずらわせるつもりはないから安心して
佐々木先生に指定された四時まで、まだ三十分もある。
することがなくて──というよりは、色々とエネルギーを失って、早めに体育館にやってきた。だだっ広い体育館は、人があまりおらずがらんとしている。
おかげで、
「早かったね」
佐々木先生は、意外という意味を言外にこめて俺を見た。
下手したら来ないと思われていたのかもしれない。俺って信用ないんだな。
「来るとは思ってた。
俺の心が読めるのだろうか。先生は俺の心の声に応える。根は真面目って……。絶対に褒めてない。
「それで、予行演習っていうのは、何をやるんです?」
俺が訊くと先生は、よくぞ訊いてくれたとばかりに、にやりと笑った。その笑顔、いつ、どこで見てもやっぱり怖い。
「本番と同じように、ステージ上でパフォーマンスをする。パフォーマンスといっても、演説。いかに自分たちの部活が魅力的であるか、入部することによってどんな素晴らしい活動ができるかを力説する。中にはデモンストレーションとして、技を見せたりする部活もある。──でも、千冬にそこまでは求めない」
そりゃそうだ。求めていたらあまりに
この先生ならあるいは……ということもないが、半ば強制的に入部させられた千冬が、ロックミュージック研究会の活動内容をパフォーマンスで表現できるわけがない。同じ立場に置かれた俺だって、イマイチ活動内容は分からない。
そうでなくても、千冬はコミュ障なのだ。演説だってできるのか怪しい。
「演説なら確かに一人でできますね……」
もちろん物理的に、という意味で。心情的にできるか、と訊かれたら俺の場合、答えはノーだ。
千冬の場合はどうだろう? と思って様子を伺うと、黙って力強くうなずいて見せた。緊張はしているようだが、異常な様子ではない。適度な緊張感は、むしろあった方がいい。コンディションは悪くなさそうだ。
予行演習があることは、千冬にとってはいいことなのかもしれない。俺たちみたいな陰キャは、あらかじめ用意しておいたことならしっかりこなせるパターンが多い。やったことがあるのとないのとでは、天と地ほどの差がある。
不特定多数に対してする演説に、それが当てはまるのかは未知数だが、ぶっつけ本番よりは絶対にマシだ。
「それで、俺は何をすればいいんですか?」
先生が、また「ふふふっ」と笑う。絶対にいい話が続かないと思わせるその笑顔は、先生にとっても損だ。できればもう笑わないでほしい。
「よくぞ訊いてくれた」
笑顔のまま指さして、俺の目線を誘導するようにその指の先をゆっくりとステージに移す。
「陽太にもステージに上がってもらう。別に特別なことはしなくていい。とにかく、千冬と一緒にステージに上がる」
「それだけですか? いや、まぁそれだけなら全然かまわないですけど、それに何の意味があるんですか?」
言われていることは至ってシンプルで分かりやすい。だが、先生の意味ありげで不気味な含み笑いが気になった。
「意味なんて簡単。千冬が一人でステージに上がったら、部員が一人しかいない、弱小部活だと思われる。陽太も一緒にステージに上がれば、わずかだけどそれを避けることができる。……と、ともに、男女どちらも所属している部活、という印象を与えることもできる」
ちょっと何言ってるか分からないです。
だけど、先生の独特の感性や理屈は、今に始まったことではない。本気で言っていることだけは十分伝わった。
「
ステージを真っ直ぐに見つめる千冬は、自らを奮い立たせるように言った。
「如月くんは、私の後ろでただ、じっと立って見ているだけでいいから。その代わり、部活動紹介がきっかけで集まった入部希望者は、私のポイントにさせてもらうけど、いいよね?」
こちらに向き直った千冬は、俺を真っ直ぐに見つめている。明らかな宣戦布告だった。
千冬は、
それでも俺は、告げる。
「望むところだ。もし俺が勧誘した覚えのない入部希望者が来たら、全部お前のポイントでかまわない」
それをしっかりと受け止めた千冬は、うなずいてから
「だから、お前と呼ぶのはやめてと言ってるじゃない」
と不満を漏らして、またステージ上へ視線を戻した。
さっきから何を熱心に見ているのかと思ってステージに目を移すと、三人の女子が、なにやら身振り手振りで大袈裟に動いていた。その手には、先端が
「あれは、ラクロス部。この高校では、中堅の部活」
先生が俺の疑問を察したように説明してくれる。この人、本当に心が読めるのだろうか。関係あるのかないのか、どこか浮世離れした雰囲気をまとっているのは確かだ。
「予行演習だから、音響関係は使っていない。だけど、ラクロス部は例年、音と動きを使った派手なパフォーマンスが売り」
中堅なのにそこまでするのかと考えるべきか、そこまでするから中堅でいられると考えるべきか判断に迷う。だが、その熱意から部活動紹介が、各部活にとって、それなりに重要なイベントであることは分かった。
「私たちロミ研は、ラクロス部の次。そして、部活動紹介の一番最後でもある」
ということは、まぁまぁ派手なパフォーマンスの後に、トリとして登場しなければならないわけだ。
千冬のやつ、本当に大丈夫か? と、より一層心配になる。敵の心配などしている余裕はないのだが、一方で千冬にはなんとか成功してもらって、部員を確保したいという気持ちもある。
「大丈夫ですかね?」
思わずそう尋ねると先生は、
「千冬は大丈夫と言ってる」
と千冬の方をチラリと見た。本人が大丈夫と言うなら、周りがとやかく言うことではない。とでも言いたいのだろう。
当の千冬は、何を考えているのか、真剣にラクロス部の音のないパフォーマンスを見つめている。一緒になってラクロス部のパフォーマンスをぼんやり眺めていると、俺たちめがけて一人の男子生徒が駆け寄ってきた。
「実行委員です。ロックミュージック研究会さんですよね?」
突然話しかけられたから、俺も千冬も見事にコミュ障を発揮して、なにも応えることができなかった。気まずい空気が流れる。
「そう。この二人がステージに上がる」
そんな俺たちをよそに先生は淡々と伝えた。
「そうですか。それじゃあ、そろそろなのでステージ袖で待機、お願いしてもいいですか?」
にこやかに笑いかけてくれたが、どう応えていいか分からずに「あ、はい」となんとも不愛想な返事になってしまう。千冬にいたっては黙ったまま。よく見ていないとうなずいたことにすら気が付かないくらい小さくうなずいていた。
この様子を見てしまうと千冬の「大丈夫」が全く信用できなくなる。
実行委員は、嫌な顔一つせずにそんな俺たちをステージ袖まで案内してくれた。実行委員さん、めちゃくちゃいい人だ。
「じゃあ、ここで待っていてください。もうすぐラクロス部さんが終わりますので、そしたら、こちらからアナウンスを入れます。アナウンスが始まったら、好きなタイミングでステージ中央まで行ってください。ロックミュージック研究会さんは……確か、音響は使わない演説スタイルでしたよね? でしたら、好きなタイミングで始めてもらって大丈夫です」
リアクションの薄い俺たちにもめげず実行委員は、熱心に説明をしてくれた。要約すると呼び込みのアナウンスがかかったら出て行って、演説を始めろということらしい。
千冬は聞いているのかいないのか、実行委員の説明に反応することなく、自分が向かうべきステージ中央をじっと見つめている。
しばらくすると、それまでステージいっぱいを使って大きく動いていたラクロス部の三人が中央に集まり、行儀よくお辞儀をした。そして、向こうの袖へ走り去っていく。どうやらラクロス部の予行演習は終わりらしい。
「それでは、最後。ロックミュージック研究会のみなさん。お願いします」
実行委員が予告したとおり、呼び込みのアナウンスがかかる。
千冬は、ビクッと一度跳ねるように体を震わせてから、ゆっくりとステージの中央に向かってぎこちなく歩き出した。俺はそれに黙ってついていく。
ステージ中央に用意されたマイクに向かうと、千冬は自分の気持ちを整えるようにゆっくりと時間をかけて丁寧に深々とお辞儀をした。
観客はほとんどいない。佐々木先生と、その他は数人の生徒がいるだけだ。先生以外はステージを見ることもなく、おそらくはこれから始まる千冬の演説に興味はない。実質は先生のみが観客だ。しかし、明日は、それが全一年生に変わる。
明日の光景を想像すると寒気がした。
千冬はどうだろうか。
「ロックミュージック研究会です」
そんな俺の心配をよそに千冬は、淀みなく俺たちの団体名を告げることに成功していた。
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