第8話 ハートのエースくん
放課後に部活動紹介の予行演習があると聞かされたのは、
「今日の放課後、部活動紹介の予行練習がある。四時には体育館に来て」
と言った。
千冬が一人でやると言ってきかないのだから、俺にできることはあまりないように思える。せいぜいどんなもんか見学するだけだろう。めんどくさそうなので、できれば行きたくない。
「俺も行った方がいいんですかね?」
「愚問。二人ともちゃんと来るように。もちろん特別な事情があって来られないとうのは、考慮する」
微かな希望を抱いて尋ねたが、あえなく一蹴される。「ですよね~」とこぼすしかない。
千冬はというと、何かを決意したように深くうなずいていた。
そういうわけで、特別な事情などあるわけがない俺は、予行演習とやらに行かなければならなくなってしまった。
いつもなら、サッサと教室を出て家路につくのだが、今日はそういうわけにもいかない。しばらく時間があるのがなんとも恨めしい。地獄のような時間だ。
後ろの席を振り返ってみると、千冬の姿はすでにない。また部室にでも行っているのだろう。
部室で初めてまともな会話ができたとはいえ、俺たちが教室で何かを話すことはなかった。教室での千冬は、部室での姿が嘘みたいに能面のような顔で静かに幽霊になっていた。そんな調子で部活動紹介を一人でこなせるとはとても思えないと思う一方で、部室で見せた姿なら部員が殺到するんじゃないかとも思う。
想像するとなぜか少し寂しくなった。
教室に残っていても仕方がないので、何か生産性のあることをしようと思う。となると、やはりやるべきは部員の勧誘だろう。ちなみに、これは、やらなければならないことでもある。
千冬と話して以来、胸につかえていた楔はきれいに消えていた。この一点だけでも俺は千冬に感謝している。そのおかげで少しだけ自信がわいてきていた。
この空いた時間で部員を勧誘しよう。
思い立った勢いを殺さないように教室を出る。辺りを見回してみると、廊下には三、四人で一つのグループになった集団が、ところどころに点在していた。
手に入れた自信が早くも揺らぐ。
いきなりグループの中に入っていって勧誘するのは、チャレンジ一発目としては相当厳しい。いきなり難敵を相手にする必要はないはずだ。勇者だって、最初はスライムみたいな雑魚キャラをやっつけていき、徐々にレベルアップしたうえで魔王に挑む。 一人で何をするでもなく廊下をさまよっていて、かつ話しかけやすい雰囲気の雑魚キャラが一発目としては望ましい。
ただ、うだうだと選り好みをしていては、なんやかんやと理由をつけて結局声をかけないということになりかねない。だから、一番最初に見つけたおひとりさんをスライムと決めつけて、問答無用で声をかけようと心に決める。
教室を二つ、三つ過ぎたところでようやく一人でいるスライム──、もとい、おひとりさんを見つけた。 不自然にストレートな長髪をこれ見よがしに垂らした男が、うつむき加減に立っている。長い前髪のせいで表情までは見えないが、その佇まいはイケメンの部類だ。身長は俺よりも高く180cmは優に超えているだろう。
女子よりはだいぶ声をかけやすいが、それでもやっぱり初対面の人間にいきなり声をかけるのは勇気がいる。そのスライムからは、なんとなく物憂げで人を寄せ付けないオーラを感じた。もっとも、オーラなど曖昧な表現をしているのは、声をかけたくない自分への言い訳だ。
ここでうだうだ悩んでいても何も変わらない。やつはスライムだ!! どうにでもなれ!! と自分に言い聞かせて、重たい一歩を踏み出す。
──と、そのとき
「やぁ、君は一人なのかい?」
せっかく勇気を出して踏み出したところで、スライムから先制攻撃をくらう。このスライム意外と素早さが高いぞ! などと冗談を言っている場合じゃない。
見た目と違って太く低い声。長く真っ直ぐな前髪をふわりと二度、三度とかきあげる。
「……えっと、はい。そうですけど?」
俺が答える間にも襟足やら耳のあたりやら、しきりに髪の毛を触る。
「なにをそんなに怯えているんだい? まぁ、いい。ちょうどいいところに通りかかったね。僕の話をきいてくれないかい?」
鼻のあたりまで垂れ下がった前髪をコネコネとつまんでから「フッ」と息を吹きかけて散らす。いくらなんでも触りすぎだ。
「いや、怯えてはないですけど……それより、話ってなんですか?」
「ふふふふふっ。知りたいかい?」
興味は全くといっていいほどない。挨拶されたから挨拶を返すようなもので、あまり深い意味はなかった。社交辞令ってやつだ。だが、そう伝える間もなく話が続く。
「いいんだ、いいんだ。知りたいなんて、わざわざ言う必要はないよ。しっかり伝わっているからね。そう、大事な話をしようじゃないか。話というのは、僕のことをどう思うか? っていうことなんだよ。もちろん、答えは分かっているのだけど、一応ね。口にしなければ確かめられないことっていうのもあるのさ」
「はぁっっっ?!」
思わず大きな声が出る。初対面の男に自分をどう思うかと訊かれるとは思わなかった。
「ハート……だと……? ハートと言ったのかい? なるほど。僕を一言で表すとしたら、『ハート』が相応しいということか……。ひょっとして愛の告白かな? 君は見たところ男のようだが……大丈夫。ジェンダーのことはあまり気にならないたちだからね。君は見た目に寄らず、随分と大胆なんだね。恥ずかしげもなくそんなことが言えるなんて、なかなかやるじゃないか。僕は老若男女問わず、みんなのものなんだよ。けれど、君の期待には応えないといけないね。あ~!! 悩ましいっ」
この人、間違いなく危ない人だ。スライムなんかじゃない。序盤で踏み入れてはいけないエリアに出現するタイプの強モンスターに違いない。
思えば最初からその予兆はあった。だが、もう遅い。
「言ってない、言ってない!! ハートなんて言ってないっ!! 勝手に話を進めるなよ」
「照れなくたっていいんだよ。素直な君の気持ちは、実に美しいよ」
必死で伝えてもその言葉をキャッチしてはくれない。通常攻撃が効かないタイプのモンスター。勝手に喜ばないでほしい。
「照れてないから!! というか、照れる以前に照れるようなこと言ってないし、なんなら、まだお前についてどう思うか、何も言ってないぞ」
「もういいんだよ。十分に伝わったからね。それにお前なんて、そっけない呼び方はよしてくれよ。僕と君の中じゃないか。シロサギと呼んでくれたまえ」
お前は君って呼ぶのかよ、という口撃はきっと無効だろう。
シロサギと名乗ったモンスターは、俺の前に右手を突き出して人差し指を立てている。左手はもちろん前髪だ。
「この学校で君という存在に巡り合えて、僕は嬉しいよ。なにせ誰も僕の美しい声を聞こうともしない。聞く耳を持ち合わせていないようだったからね。もったいない。実にもったいないよ」
要するに声をかけたやつ全員に無視されたということか。どれだけの人に声をかけたのだろう。明らかに変な奴だが、思えばそれだけでも俺よりは立派なのかもしれない。その度胸と勇気は素直に尊敬に値する。
「というわけで、どうもありがとう。『ハートのエースくん』。そんな君には今度、僕の歌をたっぷりと聞かせてあげるよ」
結構です。間に合ってます。俺が聴きたいのは『あの歌声』であって、こんな変な奴の歌声ではない。こいつの歌は聴いてしまうと何か変な状態異常にされそうだ。
シロサギは、俺の反応など気にする様子もなく、前髪を盛大にかき上げるとウインクをして満足げに去っていった。一見してイケメンだから、その姿が様になっているのがなんとも腹立たしい。
というか、『ハートのエースくん』って…………。
とんでもなく変な奴だ。いや、変な奴なんて生ぬるい。モンスター? いや、変態だ。変態で間違いない。うかつに勧誘しなくてよかったのかもしれない。そう自分に言い訳をして納得した。
小さく一度だけため息を吐く。
もう、誰かを勧誘する気力も勇気もない。せっかく千冬のおかげで手に入れた根拠のない自信は、最高の変態を前にもろくも消え去っていた。
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