第7話 私、ボカロが大好きなの

 タムにぶつけた言葉が、頭にこびりついていた。


 昨日の夜は、あまりの恥ずかしさに布団にくるまって小一時間もだえた。もはや、日課だ。

 一夜明けて、恥ずかしさは多少薄まったが、その言葉は深く打ち込まれた楔のように痛みを伴って俺の中に残った。


『拒絶が怖いのは分かるけど、諦めずに挑むべきじゃないか? 気持ちが強ければ強いほど自分への裏切りになる』


 拒絶されるのが怖くて、部員の勧誘すらロクにできず、自分で勝手にした誓いまで諦めようとしていたくせに——。よくもまぁ偉そうに言えたもんだ。

 俺は、自他ともに認める陰キャのコミュ障だ。

 認めるがいるのかはともかくとして、そんな俺が思い出すだけでも恥ずかしくなるような熱い話を、初対面の、しかも女子に向けてしたなど、未だに信じられない。神様ですら予想外だったんじゃないか?


 自分の意思で言ったことなのは間違いない。だが、実感がない。


 それはそれとして……。

 

 自分に突き刺さった楔はなんとか抜き取らなければならない。このままじゃ痛くてしょうがない。そのためには勇気を出すことだ。勇気を出して勧誘をすることだ。それが結局は自分を変えることにもつながる。


《諦めずに挑め》


 刺さった楔には、はっきりとそう掘られている。それは、消そうと思っても消せない。自信満々に、なんなら、どや顔で自ら堀った言葉だ。


 ……やっぱり、死ぬほど恥ずかしい。


 そういえば千冬ちふゆの方は、しっかり勧誘できているのだろうか。あいつが一人も勧誘できないとなると最低でも引き分け。負けることはないが、きっとロミ研は廃部になる。

 それは困る。


 千冬が一人も勧誘できなかった場合、ロミ研を存続させるためには、俺が二人勧誘しなければならない。いや、勝負が終わると千冬はロミ研部員ではなくなる可能性が高い。安全を考えると三人は勧誘する必要があるだろう。


 ……到底無理だ。やはり千冬にも頑張ってもらわなければならない。


 様子を探ろうと後ろの席をそれとなく確かめる。だが、そこに千冬の姿はない。

 思い返してみると、千冬は教室にいないことが多い。どこで何をしているのだろう。

 千冬には友達がいないはずだ。珍しく千冬を訪ねてきたタムは、空き時間を一緒に過ごす仲ではないようだから、どこかで一人で過ごしているのだろう。

 千冬が行きそうな場所は、ロミ研の部室くらいしか思いつかなかった。


 案の定というか、なんというか……。千冬は部室に一人で座っていた。

 それなりに大きな音を立ててドアを開けたのに、反応がない。黒くて大きなヘッドホンが、千冬の小さな頭のほとんどを覆っている。

 千冬に気づかれていないのをいいことに、しばらく観察してみる。

 ヘッドホンのコードを目で追うと繋がれているのは、ノートパソコンのようだ。千冬はそのノートパソコンに向かって、何やら作業をしている。よくよく見てみると、鍵盤のようなものも見える。ピアノ……にしては小さすぎる。


「何してんだっ!?」


 ヘッドホンを貫通するように大きめの声で話しかける。

 ヘッドホンを外しながら振り向いた千冬は、俺の知らない柔らかく穏やかな表情をしていた。決して俺に向けられることがないはずの表情に、不覚にもドキッとする。


「……なんだ、如月きさらぎくんか。何か用?」


 残念そうな言葉は相変わらずだが、いつもほどの棘はない。


「いや、暇だから部室に来てみたら、お前がいたから……」


「お前って呼ぶの、やめてって言ってるじゃない」


「あ~……ごめん。そのノートパソコン……。持ち込みいいのか?」


「部活で使うならオーケー。佐々木先生には、許可を得てる」


「休み時間は、いつもここでそうしてるのか?」


「うん。……といっても、毎休み時間ってわけじゃないけれど。お昼と放課後はだいたいかな」


「いつも一人なのか?」


「……それを訊くのは、いじわるだよ。分かっているでしょう?」


 苦笑気味だが、怒っている様子はない。


「すまん……」


 口をついて思わず出た言葉で、悪気はなかったし、もちろん煽るつもりもない。むしろ仲間が欲しかったのかもしれない。なにせ俺は、休み時間になるたびに机に突っ伏して寝ているし、放課後は用事があるフリをしてそそくさと逃げるように教室を離れる。そんな情けないことをしているのが自分だけだなんて、認めたくなかった。

 あらかじめ宣言しておくが、例え一人で教室を離れる千冬を見つけたとしても「一人なら一緒に部室に行かないか?」とは決して言えない。言えたら陰キャではない。


「……で、そのノートパソコンで何をしてるんだ?」


 そんな心のうちを誤魔化すように、尋ねた。


「……笑わない?」


 妙にもったい付けて、首を傾げる。

 今の千冬は悪態をつく千冬とも、コミュ障を発揮して固まっていた千冬とも違う。どれが本当の千冬なのか、分からなくなる。


「よっぽどおかしなことを言わない限りは、笑わない。俺の笑いのツボはそんなに緩くないからな」


「よっぽどおかしなことって?」


「実は、お前が某国の諜報員スパイで、部室ここで大国をハッキングしてる、とか……」


「なにそれ。そんなこと、しているわけないじゃない」


 千冬はプッと吹き出す。

 こんな風に笑うところを初めて見た。人間なら当たり前のことなのに「こいつも、普通に笑うんだな」なんて失礼なことを思う。それほど俺の知る千冬と笑顔は結びつかないものだった。


「それなら、何してたのか教えろよ」


 千冬はしばらく考え込むように黙ってから、


「……ごめんなさい。やっぱり内緒にさせて」


 と、申し訳なさそうに笑った。さっきの笑顔とは違う。恥じらいの混じった笑顔。


「結局教えてくれないのかよ。気になるじゃねーか。……まぁ、いいけど」


 いつになく機嫌がよさそうな千冬を前に、素直に引き下がる。せっかくまともに会話ができているのに、それを壊してしまうのはもったいない。

 高校に入学して初めて同級生と普通に会話をしているのだ。しかも、その相手が美少女ときてる。


 今だけは、ロックをバカにしたことには目を瞑ろう。

 お前のロック愛はそんなに安っぽいものだったのか? と主張する硬派なもう一人の自分は、ボコボコにして眠らせておく。

 そのうち勝手に目を覚ますだろう。


「それはそれとして、部員の勧誘の方はどうだ? 進んでるのか?」


 千冬を探した目的を思い出して尋ねる。


「……如月くんの方はどうなの?」


 こちらの質問にそのまま同じ質問を返してくる時点で答えはお察しだが、俺も偉そうなことは言えない。


「まだ、一人も……」


「一人も……?」


「一人も……声をかけてない」


 千冬の顔に安堵の色が広がる。


「声をかけてすらいないの?」


 半ば呆れたように笑った。この短い時間で何種類もの笑顔を見た。


「まぁな……。その……あれだ。ハンデだよ。先生曰いわく、お前はコミュ障の陰キャなんだろ? それならハンデをやらないと勝負にならないからな」


「はぁ……。そんなハンデは必要ないのだけど……。第一、如月くんもさして変わらないんじゃないの? まぁ、でも、そうだね……。私がコミュ障なのは認める。陰キャかどうかは定義によるけれど。でもね、そんな風に形容される自分を変えたいと思っているの」


 俺と同じようなことを考えていることに驚く。そして、こんな風に千冬が自分のことを打ち明けたことにも驚いた。

 千冬にも俺にとってのあの歌声のように、何かきっかけがあったのだろうか、とふと思う。


「自分を変えたい……か。俺も同じことを思ってるんだが……。どうにも壁にぶつかっちまって。でも、一度決めたことを簡単に諦めるべきじゃないってことは分かってるんだ……。それなのに、どうしても行動に移す勇気が持てない。そんな場合、どうしたらいいんだろうな」


 独白のように打ち明けていた。こんな風に誰かに自分の内面を話すのは初めてかもしれない。千冬がそうしてくれたから、気が緩んだ。


「そうね……。如月くんが、何にぶつかって、何を悩んでいるのか、今の話だけでは具体的に分からないけれど……。どんなことで悩んでるにしても、結局は、それでも変われるって信じ続けるしかないんじゃない?」


「お前は、信じ続けることができるんだな。……素直にすごいと思う」


 不思議と胸につかえていた楔は消えていた。

 同じような悩みを共有できたからなのか、千冬の言葉に力があったからなのか、打ち明けたこと自体に意味があったのか、理由は分からない。いずれにしても、千冬のおかげであることは間違いない。心の中でこっそり感謝する。面と向かってはっきり言えないところが、まだまだ陰キャであるあかしだ。


「そういえば……。昨日は、ありがとう」


 そう思っていた矢先、千冬のほうから礼を言われる。何についての礼なのかが分からなくて首をかしげる。千冬は、そんな俺の疑問には応えずに照れくさそうに笑みをこぼして、目線とともに話を逸らした。


「あ、そうそう。私、佐々木先生に言ってロミ研の部長にさせてもらったよ」


「えっ!? 部長? なんで? ロミ研、嫌いなんじゃなかったのか? てっきり勝負が終わったら退部するもんだと思ってたけど……」


「部活動紹介を私一人でやる、って宣言した以上、部長にならざるをえないでしょう?」


 前半と後半の因果関係がよく分からないが、千冬の中ではそういうことらしい。部活動紹介をするのは部長の役目であり、部長でなければ部活動紹介をしてはいけないとでも思っているのかもしれない。


「本当はすごく嫌なのだけれど、如月くんに負けるわけにはいかないし、何より自分からやると言ったことを撤回するのは嫌いなの」


 相当な頑固者だ。知り合ってまだ短いが、なんとなく予想は付いていた。その上、きっと責任感が強く負けず嫌いだ。


「それから、勝負が終わったら、『ボカロミュージック研究会』に名前を変えるよ」


「ちょっと待て! お前、自分が勝つ前提で話してないか?」


「当然でしょ? 私が如月くんに負けるわけないもの」


 どこから湧いてくる自信なのか分からないが、昨日のように震えてはいない。


「あぁ、そうかよ。ていうか、前も言ってたけど、その『ボカロミュージック研究会』ってのは、なんなんだ?」


「名前のとおり。ボーカロイドを使った音楽を研究する部活に決まってるじゃない。私、ボカロが大好きなの」


 千冬は、今日一番の笑顔でそう言った。

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