第6話 諦めるという行為は自分への裏切りになる
初日にやらかしてから、三日が経った。
スタートでつまずいた俺の高校生活は、まったく改善の兆しを見せていない。自分から状況をどうにかしようと動いていないのだから、当然といえば当然だ。むしろ、マイナスからスタートしている分、放っておけば傷口は広がる一方なのかもしれない。
部員の勧誘数も未だにゼロ。
もちろん、諦めているわけではない。かといって、これまで長らく陰キャとして過ごしてきた俺にできることはあまりない。すぐにコミュニケーション能力が向上するなんて、そんな都合のいいことは起こらない。
自分を変えるため、行動を起こす勇気が持てない——。
その原因が、初日のやらかしにあるのは明らかだ。あのやらかしがなければ……と、どうしても思ってしまう。そんなたらればには、何の意味もないのに。
そもそもをいえば、あのやらかし自体が問題なのではない。あのやらかしによって、行動に移さない理由ができてしまったこと、あのやらかしを逃げる口実にできてしまうことが問題なのだ。
逃げる口実を見つけてしまうと人はもろい。
ましてや俺は、隙あらば自分を守ろうとする悪癖、弱さがある。そんな俺にとって、あのやらかしは渡りに船だった。沈むと分かっている船に、沈むまで乗り続けてしまうのが、今までの俺だった。
そこまで考えて自分が、また陰キャの道に戻ろうとしていることに気が付く。
俺はそんな自分を変えたいんじゃなかったのか——。
もう一度確認するように自分に問いかける。返ってくる答えは変わらず『イエス』だった。
行動は伴わないが、あの日灯した炎は一応まだ灯っているようだ。しかし、当初のものよりいくらか小さくなってしまったように思う。
効きが弱くなったロックという魔法。
おぼろげになった記憶の中のあの歌声。
その両方が、俺の中に灯った炎を小さくしている。
しかし、やっぱり俺は自分を変えたい。これまでのろくでもない自分の人生を振り返ると、変えたいというよりも、変えなければならないという強迫観念に近いものが沸き上がる。無理をしてでもやらなければならない。
儀式の様に頭を大きく振る。
意を決して標的——もとい、勧誘する相手を探すため動き出す。とはいっても、クラスメイトはやっぱり敷居が高い。普通はクラスメイトの方が声をかけやすいのだろうが、理由は……もういいだろう。
「トイレでも行くか……」
誰に言うでもなく声に出して席を立つ。ただ、席を立つだけなのに言い訳のような言葉を吐いている自分が恥ずかしい。もちろん、誰からも「いってらっしゃい」なんて温かい声はかからない。
ふと、後ろの席を見ると、
代わりに、見たことのない女子が座っているのに気がつく。大きな丸メガネをかけた女子は、俺と目が合うとちょいちょいと指の先を振った。
わざとらしくあたりを見回してみるが、やっぱり俺しかいない。観念して「俺……ですか?」と尋ねる。
「君以外にいないよ?」
妙におっとりとしていて、柔らかい声だった。
「そ、そうだね。……俺なんかに、何か用ですか?」
「俺なんか……って。卑屈だなぁ。ここって、ちぃちゃんの席だよね? 今日は学校、来てないの?」
ちぃちゃんとは、千冬のことだろう。
記憶を探る。今朝は……おそらくいた。当然のように、会話はおろか、挨拶すらかわしていない。俺も千冬も教室では幽霊だ。本物の幽霊も幽霊同士ではコミュニケーションが取れないだろう。……知らんけど。
「たぶん、いた……と思います」
「なんで後ろの席なのにそんなに自信なさげなの?」
屈託のない笑顔でクスクスと笑われると、急に恥ずかしくなる。
「ごめん。あんまり意識してなかったので……」
「そういう問題なのかなぁ? まぁ、いいや。ちぃちゃん、高校はちゃんと来てるんだね。良かったぁ」
「あの……。あいつと友達なんですか?」
勇気を出して、どうにか会話を続けようと試みる。質問で会話をつなげるなんて、我ながら上出来じゃないか。しかし、尋ねておいてなんだが、分かりきった質問だ。わざわざ訪ねてくるんだから友達に決まっている。
ぼっちのコミュ障じゃなかったのかよ、と脳内で愚痴がこぼれる。
「あれ? トイレは大丈夫なの?」
そう言われて初めて、自分が何と言って立ち上がったかを思い出す。
「えっ……? えっと……。まだ、我慢できます。大丈夫です」
「我慢するんだ。そんなに緊張しなくてもいいのに。それに敬語もいらないよ。私たち、同い
「ど、どういうこと?」
「そうだなぁ。私は、ず~っとちぃちゃんと友達になりたい!! って思ってるんだよ。でも、どうなのかなぁ〜」
タムは、何かを考えるように頬に人差し指を当てる。話している内容は、そこそこ深刻なような気もするのだが、当のタムの仕草や表情からは深刻さを微塵も感じない。
「その……タム……が、そこまで思ってるのになんで?」
「さぁ……。どうしてだろう。でも、せっかく同じ高校になったんだし、仲良くなるチャンスだと思うんだぁ。でも、ちぃちゃんが、嫌がったらしょうがないよね。拒否されたらと思うと怖いし。でも、ちぃちゃんは、いい子だと思うから断らないかも……? でもでも、やっぱりいきなり友達になりたい!! なんて言われたら怖いかなぁ」
「でもでもでもでも」言うタムになんとなく違和感を覚える。
「嫌がってるとか拒否されるとかって……それ、あいつに確かめたの?」
よく知っているわけではないが、人と話すのが極度に苦手で、アイドル研究会に迫られて固まってしまっていた、あの千冬が普段の千冬なのだとして、その千冬が友達になりたがっている相手を拒否するようなことがあるだろうか。
そんなことありえないと思う。あいつが、タムと友達になりたいかなりたくないかは関係ない。
拒絶の意思を相手に伝えるのは、ものすごい勇気とエネルギーがいる。特に俺たちのような陰キャにとっては、一日分のカロリーを使っても足りないくらいだ。その心労だけでたぶん、ガリガリに痩せてしまう。
ダイエットにはもってこいかもしれないが、千冬にその必要はないと思う。
「ううん。何となくそう思うだけ。ちゃんとお話ししたこともないし。今日が最初で最後のつもりで、ダメならお友達になるのは諦めようかなぁって思ってたんだぁ」
案の定というか、予想どおりの答えだ。むしろ、予想以上だ。この感じだと千冬の方は、タムの好意を知らない。さすがに存在は知っていると思うが、なんだかそれも怪しく思えてくる。
タムは諦めると言ったが、お互いに何もしないまま、一方は好意を伝えず、一方はそもそもその好意を認識しない。外から見ていると二人の間には何も起こらない。
どれくらい二人がそんな関係でいるのか知らないが、それを変えようという決意をもって今日、タムはここに来たようだ。
「いやいやいや。諦めるって……。話を聞いた限り、まだ何もしてないし、諦めるとかそれ以前の話に聞こえたけど……」
「そうなのかなぁ。でも、本当の本当にハッキリ拒絶されたら嫌だなぁ……」
要するにタムもそれなりのコミュ障のようだ。陰キャには見えないが、コミュ障なのは間違いないと思う。
自分の意見をぶつけられないタイプのコミュ障……と思ったが、拒絶が怖くて踏み出せないのは、普通のことなのかもしれない。俺の場合はコミュ障が極まりすぎていて、こと人間関係については何が普通なのかが分からない。
「まぁ、拒絶されたら、それは嫌だな。うん、それは分かる。でもさ、タムは千冬と友達になりたいんだろ? その気持ちは中途半端なものじゃなくて、強い想いだ。友達になろうと固く誓ってさえいる。そうだろ?」
タムは戸惑った様子を見せながらも微笑み、うなずいた。
「なら、簡単に諦めるなんて言っちゃダメだ。怖いのは分かるけど、どうしても千冬と友達になりたいなら諦めずに挑むべきじゃないか? その気持ちが強ければ強いほど、諦めるという行為は自分への裏切りになる。ひいては千冬を見くびることにもなる」
熱く語っている自覚はあった。
本来、俺が熱くなるようなことではない。それなのに火をくべられているが如く、熱くなってしまった。何かが俺の心を燃やしていた。
なんのことはない。タムに向けた言葉は、自分自身にも向いている。タムに向けていたはずの言葉は、弱々しくなった俺自身の炎をもう一度強く燃やすための言葉になっていた。
「そっか。そうだよね! ありがとう。えっと……」
途中で言葉が途切れる。少しして、タムが俺の名前を知らないために訪れた沈黙だと気が付く。
「あぁ……。俺は、
「改めて、陽太くん。ありがとう。陽太くんの言うとおりだと思うよ。諦めるのは、もう少しがんばってからにするね!!」
結局、いつかは諦めるのか。なんというマイナス思考。だが、もう少しがんばる気になったのなら良かった。
話がひと段落して、何か次の話題を探さなければと焦ったところで、教室の外からタムを呼ぶ声が聞こえた。
「お〜い!! タムぅ〜。そろそろ行こうよ〜」
「はいは〜い!! それじゃ、またね、陽太くん」
タムは友達の声に元気よく返事をするとゆっくりと席を立って、手を振りながら教室から出て行ってしまった。教室の外で友達と合流すると、テニス部がどうとかって談笑しながら去っていった。
テニス部……だと? 前言撤回。
あいつコミュ障なんかじゃない。ちょっと変なやつではあるけど、陽キャだ。偏見にまみれた評価が最後に残る。
結局、タムは千冬に会うことができないままだった。そして、俺は部員の勧誘をできないままだ。
タムが出て行ってからしばらくして、千冬が戻ってきたのを背中越しに感じた。
戻って来るやいなや、机の中をガサゴソと探る音が聞こえる。いつもは幽霊みたいに気配を消しているくせに、珍しく大きな音を立てているのが気になって、さりげなく後ろを盗み見る。
すると、俺に聞かれたくないとでも言いたげに、すぐにガサゴソという音が止んだ。
「良かった。また、どこかで落としたのかと思った」
そうつぶやく声が聞こえた。
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