第5話 フリー様みたいにカッコいいベースが弾けるようになりたいだけやねん

「協力するなんて、絶対にいやっ!!」


 とは、俺が協力体制を申し出たときの千冬ちふゆの言葉だ。

 俺だって、できれば協力なんかしたくない。たが、全一年生を前にして演説よろしく、部員の勧誘をするなんて一人では絶対に不可能だ。

 二人ならあるいは……。そう思って、この身を削る思いで声をかけた。その返答がこれである。


「じゃあ、どうするつもりなんだ?」


 と訊くと、だいぶトーンを落として


「私、一人でもちゃんとできるから大丈夫」


 と、なんとも具体性のない答えが返ってきた。


 とても大丈夫とは思えない。しかし、それ以上何も言うことができなかった。


 それならどうしようかと考えていたら、あっという間に一日が終わってしまった。なんという青春の無駄遣い。元々あまり価値のない青春ではあるが、もう少し使い道というものがあるだろう。

 あれこれ考えても仕方がないと割り切って、いつものようにイヤホンを耳に挿し、お気に入りの曲を聴きながら帰路につく。


 昨日と今日で、できた友達はゼロ。クラスには、少しずつグループができ始めている。もちろん、俺はそのどれにも所属していない。


 初日のやらかしで女子からは完全に警戒されているし、男子からははっきりとした敵意と壁を感じる。おそらく、千冬がそれなりに美少女だということが関係している。今のところ、その敵意や壁を打ち破る手立てはない。


 ——この春から、いや、この瞬間から俺は自分を変えよう。


 あの日、誓ったはずの決意を再確認する。

 さすがに恥ずかしくて声には出せないが、心の中で呪文のように唱えた。あれほど固く鮮やかに誓ったはずなのに、いつのまにかふにゃふにゃで色褪せたものになっている。

 あの日、記憶に刻んだはずの歌声。それも日を追うごとに曖昧でおぼろげなものになっていく。このままでは、歌声自体が本当にあったものなのか分からなくなってしまいそうだった。


 憂鬱な気分を紛らわそうとあたりを見回してみると、体操服やジャージ、それからもっとラフなTシャツやコスプレ姿の生徒が、しきりに大きな口を開けて何か喚いているのが目についた。

 イヤホンをはずすと、それまで聴いていた音楽とは別の喧騒が鼓膜を刺激する。どうやら、みんなそれぞれが部活の勧誘をしているようだ。


 佐々木先生の言葉を思い出した。


 ——規定人数に達しない部活は、廃部になることに決まった。


 この決まりは何もロックミュージック研究会に限った話ではないのだろう。みんな廃部を免れようと死に物狂いなのだ。好きなものを守るために必死で戦っている。


「コスプレ愛好会、部員募集してま~す!!」


 今朝、千冬に迫っていたのとは別の人が、パンフレットを配っていた。その奥にも、たくさんの人が部員を集めようと必死に勧誘をしているのが見える。


「クイズ研究会で一緒にクイズ三昧!! いかがですか~?」


「合気道、やってみると面白いよ~!! 最初はみんな初心者だから、未経験でも安心だよ~!!」


「オカルト研究部。今日の放課後、屋上で、UFO……呼びますっ!!!!」


 やはり……といっては失礼かもしれないが、地味な部活が多い。

 人気の部活は勧誘などしなくても、勝手に部員が集まるということなのだろう。反対に部員がなかなか集まらない地味な部活ほど、部員集めに必死になっているというわけだ。


 スッと差し出されたチラシを何気なく受け取る。そこにはおどろおどろしい文字で『心霊スポット巡り隊』と書かれていた。迷彩柄の上下にナップサックを背負った二人組が、希望に満ちた瞳で俺を見ている。

 いや、いや……。そんなに見つめられても入らないよ。こんな怪しい団体。あなたたち、そんなキラッキラの目をして心霊スポットに行くんですか? 幽霊も出て来にくくなると思いますよ。

 眩しすぎる視線をくぐりぬけて、先に進むとひときわ大きな声が聞こえてきた。


「ちょっと~、軽音部はないん?! なぁなぁ。あんた、マイク持ってるやん。てことは、歌うんやろ? 歌うんやったら、軽音部と違うの?」


 この辺りでは珍しい関西弁。その相手はたしかにマイクを握っているが、着ているTシャツに『アイドル研究会』とプリントされている。絶対に軽音部じゃない。

 だいたい、『マイクを持っている』イコール『歌う』と判断していること自体、相当なバイアスがかかっている。


「ちょっと、無視せんといてぇや。いじわるしてるん?」


 おそらく、その人はコミュ障だ。意地悪なんかじゃないのだろう。

 俺には分かる。その証拠に、完全に目が泳いでいる。初対面でかつ、異性。通常時以上の緊張をしているのだろう。

 きっと用意していた言葉を自分のタイミングで発することはできるが、予期せぬ形で声をかけられると、上手く対応ができなくなるタイプのコミュ障だ。なぜそこまで細かく具体的に分かるかというと、自慢じゃないが俺がそうだからだ。


「なぁなぁなぁ。あんた、軽音部なんやろ? うち、入部したいんやけど、どないしたらええの?」


 Tシャツを見れば軽音部じゃないことくらいすぐに分かるはずだ。文字が読めないのだろうか。日本の識字率は世界有数のはずだが。


「……いや……え、えっ!? あの……」


「だから、軽音部っ!! 入れてぇや!! なんで、なんも言うてくれへんのよ?」


 何か言う前に、お前が矢継ぎ早に言葉を被せるからだろ! と心の中でつっこむ。

 せっかちなのは言わずとも分かるが、どうやらそれだけではなく、軽音部への異常な執着がそうさせているようだ。


 なんとなく危ない人みたいなので関わらないでいよう……と思った矢先に再度大きな声がする。


「なぁ、そう思わへん? あんたもそう思うやろ?」


 関西弁が真っ直ぐに俺を指差して、俺の行く道を塞ぐように仁王立ちしていた。


「この人がいじわるすんねん。うちはただ、フリー様みたいにカッコいいベースが弾けるようになりたいだけやねん。せやから軽音部に入りたいねん。ここで会ったのもなんかの縁やと思うわ。あんたからもこの人に言うてくれへん?」


 あ〜、はいはい。フリー様みたいにね。フリー様だろうが、フリーザ様だろうが、俺には関係ない。

 ていうか、なんの縁ですか? 袖振り合うも他生の縁とはいうが、この程度でいちいち縁なんか感じてたら、全人類が無条件に友達になってしまう。


 だが、待てよ。ベースでフリー。レッチリのFreaフリーのことか? と、遅ればせながら俺のロックセンサーが敏感に反応する。しかし、こんな危ないやつとは、例えロックを通じてでも関わらない方がいい、と今度は陰キャセンサーが警鐘を鳴らす。

 ロックセンサーと陰キャセンサー。二つのセンサーのせめぎ合いの結果、あっさりと陰キャセンサーに軍配が上がった。陰キャセンサーの感度は、自分でも嫌になるほど強い。常勝である。

 この陰キャセンサーをなんとかしないと自分を変えることはできないなと思いつつ、今日のところはいつものように素直にその警鐘に従う。


 軽く手をあげて、今忙しいんで、という雰囲気を作り、ひょいと女の脇を通り抜ける。

 

「ちょっと、あんたに言うてるんやけど!!」


 通せんぼされた。だが、そんなものは想定内。さらにそれも無視して通り過ぎようとすると、今度は腕を掴まれた。小柄なくせに意外と力が強い。

 これは想定外だ。


「あんたも無視すんの? なんなん? 陰キャかコミュ障か知らんけど、人が話しかけてんのに無視するなんて失礼やん」


 どうやら完全無視を決め込んで通り過ぎることはできないようだ。


「俺はともかく、その人は無視してるわけじゃないと思いますよ」


 観念してそう言うと、女は虚を突かれたような顔をした。俺の言葉がよっぽど予想外だったのだろう。


「無視してへんって? この人、さっきからうちが色々言うてんのに何も答えてくれへんかったで? 無視じゃなかったらなんなん?」


「自分で言ってましたけど、陰キャだからじゃないですか?」


 アイドル研究会の彼が一瞬傷ついたような顔をする。ごめんね、でも事実だよね。


「それに彼は軽音部じゃなくて、アイドル研究会ですよ? 軽音部、軽音部、言われても、何も答えられないと思いますけど……」


 親切に指さしてやると、関西弁はハッとしたようにアイドル研究会が着たTシャツに目を移す。ようやくそこに書かれた文字の意味を理解したのか、慌てて頭を下げた。


「ごめんなさい!! うち、そそっかしいねん。ほんまにごめんな」


 そそっかしいなんてレベルの話ではないと思うが、素直に謝れるのはいいことだ。さっきまでの態度を考えると、頭を撫でて褒めてやりたい。もちろん、実行にはうつせないが。

 関西弁は、しこたまアイドル研究会の彼に謝ると、今度は俺に向かって頭を下げた。


「あんたも、ごめんな。いきなり絡まれてびっくりしたやろ? ごめんな。えっと……陰キャくん」


 おいおい……。名前がわからないからってあんまりな愛称だ。まぁ、当たってるが。


「……確かにびっくりしましたね。というか、なんでもかんでもよく考えずに、一方的に発言するのはよくないと思いますよ」


 陰キャくんと呼ばれたせめてもの腹いせにと、つい余計なことを言ってしまう。また口論にでもなったら面倒だと思ったが、そうはならなかった。関西弁は「ホンマにそうやなぁ……。ありがとう」と噛みしめるように小さく呟いて走り去ってしまう。


 関西弁で話す半分イカれたような女。あいつをロミ研に勧誘すればよかったのでは? と気がついたのは、その日の夜、風呂で鼻歌まじりにレッチリを口ずさみ、リラックスしているときだった。

 あれほど軽音部に入りたがっていた上に『ベース』とか『Freaフリー』というロックに関するワードを口にしていたのだ。あいつはおそらく、ロックが好きだ。

 あそこで「それならうちに来る?」と誘えていたら部員を一人ゲットできていたのではないだろうか。一人勧誘できれば、俺の勝利はほぼ確定だ。


 だが、もう遅い。

 俺にできることは、起きたことを悔やんで脳内反省会をしながら眠りにつくまでの時間、布団の中で悶え苦しむことだけだった。

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