第4話 青春は、輝いていなければならない
少し早く家を出た。言われたことに素直に従うあたり、真面目だなと我ながら思う。加えて俺は、几帳面なのだ。
眠い目をこすりながら校門を抜けると、数人の男女が散らばってなにやら作業をしているのが見える。のぼりを立てたり、お揃いのTシャツに着替えたりしている。
そのいずれにも『〇〇部』や『○○同好会』といった文字が書かれていた。
不意に視界の外から紙が差し出される。思わず受け取ったそれには、パステルピンクを使ったポップな字体で『アイドル研究会』と書かれていた。
「ありがとうございまぁす!! アイドル研究会で僕たちと一緒にアイドルを応援しましょう。どうか、どうか……お願いしまぁす!!」
応援? 研究するんじゃないのか? と思いつつ、曖昧に会釈をしてやりすごす。妙に必死で、少し怖い。
アイドル研究会をやりすごしても、その先にはいくつもの団体が待ち構えていた。
しかし、『サッカー部』や『野球部』、『吹奏楽部』などのメジャーな部活の名前は見当たらない。そもそも部活と冠した団体自体が少ない。目につくのは『同好会』や『愛好会』といった文字ばかりだ。
部員の表情は、一様に必死で悲壮感に溢れている。
数十メートルほど歩く間にも、何度となく声を掛けられ、足を止められる。その一つ一つをなんとか適当にいなしていると、少し先に
千冬は、『コスプレ愛好会』と書かれたTシャツを着た女の前で、うつむいて立っていた。
「ね? あなたカワイイんだし、絶対似合うよ。ほら好きなアニメとか、ゲームとかない? ね? ね?」
コスプレ愛好会は他の団体同様、必死な口調で語りかける。対する千冬は、それに一切なにも応えない。かといって、その場から立ち去るわけでもない。
「あら、あなた。ボカロが好きなの? それならボカロのコスプレなんてどう? 絶対似合うよ。ねっ?」
女は千冬の手元に何かを見つけたようで、テンションを一段階あげる。対照的に千冬は、魔法で百年融けない氷にでもされたかのように固まったまま微動だにしない。冷気をまとってすらいるように見える。
最初は、「あいつ何やってるんだ?」と思っていたのが、千冬の表情がはっきりと見えるにつれて、「あいつ大丈夫か?」に変わる。遠目からでも半泣きなのが分かった。昨日の千冬とは別人のようだ。
佐々木先生の言葉が蘇る。
『千冬は、基本的に人とまともに話せない』
もし本当ならば、同じ穴の
「なんだ? 勝負は諦めて、コスプレ愛好会に入ることにしたのか?」
百年融けないはずの氷が融ける。
振り向いた顔は、捨てられた子犬のようだった。だが、それも一瞬のことで、俺の姿を認めると勝ち誇った顔になる。
たぶん、俺に勝ったんじゃなくてこの状況に勝ったことを確信したのだろう。
「入るわけないでしょ。
早口でそう捲し立てると、クルリと背を向けてスタスタと歩きだす。わずかに見えた横顔は、強気な言葉とは裏腹にホッとしているように見えた。
それまで勧誘の言葉を並べ立てていた女は唖然として、お地蔵様のように突っ立っている。
きっと千冬の「入るわけないでしょ」とか「暇つぶしに冷やかしがてら」が悪い意味で刺さってしまったのだろう。お気の毒に。
俺は、お地蔵様になった彼女に手を合わせて拝んでから、千冬のあとを追った。
一番古い建物の一番奥の部屋に入ると、千冬と佐々木先生がいた。千冬は「遅いよ」と文句をたれたが、昨日ほどの棘は感じられない。そもそも、ほぼ同時に来ているのだし、集合時間前なのだからまったくもって遅くない。
「そろったね。早速、本題に入る」
佐々木先生は教師らしく一言で空気を引き締める。俺も千冬も固唾を飲んだ。大した話ではないのだろうが、神妙な先生の雰囲気がそうさせていた。
「今年から、規定人数に達しない部活は、廃部になることに決まった。私はこのロミ研の顧問。ロミ研を廃部にするわけにはいかない。そこで、君たちに目をつけた。私利私欲で言ってるわけじゃない。……まず、
「はい!!」
名前を呼ばれて、反射的に返事をする。
「君にはロックへの情熱でロミ研を救ってほしい。昨日、陽太は軽音部に入りたいと言った。この高校の軽音部のこと、どの程度知っている?」
俺が知っていることと言えば、この高校で一、二を争う人気の部活であるということと、プロのバンドを複数輩出しているということだ。それをそのまま先生に伝える。
「一つは正しい。けど、もう一つは誤り。プロになったのは、いずれもロミ研のOB・OG」
素直に驚いた。
ふと、この高校出身でプロになったバンドに『ロックミュージック研究会』というバンドがいたことを思い出す。たしか、去年の大型フェスでヘッドライナーを飾っていたはずだ。いわれてみれば、そのまんまのバンド名だ。
先生の言葉に千冬が反応する。といっても、何か言葉を発したわけではない。ただ、上げていた顔を下げただけだ。その姿が、さっきコスプレ愛好会を相手にしていたときの姿と
「でも、それも昔のこと。ここ最近のロミ研は、ほとんどまともに活動できていない。それじゃあ……軽音部は、どうだと思う?」
先生の言いたいことがイマイチ分からず、とりあえず首をかしげる。
「ロックなんてずいぶん前からやってない。今は、ヒップホップやEDMばかり」
「えっ!?」と思わず声が出る。軽音部といえばバンド。バンドといえばロックだと思っていた。
「陽太が軽音部に入ってもバンドを組めないと言ったのはそういう理由。まぁ、それだけではないけど……」
「──と、言いますと……?」
「陽太も千冬と同じで、あまり人付き合いが得意じゃない」
おそるおそる尋ねると先生はあっさりと答えた。
しっかり見破られていたようだ。ハッキリ言われると逆に清々しい。先生はオブラートというものを持ち合わせていないらしい。もしかしたら、存在自体知らないのかもしれない。
まぁ、俺も実際のオブラートは知らないし、見たこともないが。
「陽太がロックバンドを組んで、ライブをやりたいならロミ研しかない。ロック好きの生徒は、自然とここに集まる、──と私は思う」
それが本当なら、俺にとっても好都合だ。もしかしたら、あの歌声の主——、月華もロミ研にやってくるかもしれない。
「……千冬の場合は、もっと深刻」
先生は、今度は千冬に向かって話し出す。
「昨日も言ったとおり、私は千冬に高校生活を楽しんでもらいたい。陽太がその手助けになると思っている。でも、人に頼りっきりでは、今までと変わらない。姉に頼りっきりだった昔の千冬からいい加減、卒業するべき」
その言葉で千冬に姉がいることを知る。先生は千冬の姉とも面識があるようだ。
それまで下を向いて、氷のように固まっていた千冬の身体が、まるで見えない手に弾かれたようにピクンと動く。
「そこで、今回の競争を思いついた。私は、ロミ研の存続。陽太は、バンドを組むこと。そして、高校生活を楽しみたい千冬は、リハビリ。三人の利害は、完全に一致している。正直いうと、この際、勝ち負けはどうでもいい」
俺にとっては、勝ち負けも重要だ。むしろ、勝ち負けこそが重要だといえる。
千冬にぎゃふんと言わせなければならないし、何より先生の話によれば、部員を集めない限りロミ研が廃部になってしまう。そうなるとバンドを組めそうにない。
それはすなわち、自分を変える大きな手段を失うことになる。月華と会えるチャンスも、だ。現状考えられる唯一のチャンスだ。
千冬はどうなのだろうか。さっきから下を向いたままの千冬を横目で伺う。昨日までの威勢は、完全になりを潜めている。
「私は別に……」
そこで言葉は途切れ、狭い部室に霧散する。
千冬が言葉を引っ込めたのは、その先に続けようとしたものが、自分の本心とは違うからだろう。
——私は別に、高校生活を楽しみたいとは思っていない。
続くとしたらこんな言葉だろうか。だとしたら、それは嘘だ。
青春は輝いていなければならない。そんな不文律がこの世には存在する。千冬とて、その無言の圧力には抗えないはずだ。
輝く必要があるかは別にしても、楽しいことを嫌う者はいない。自ら孤独で、つらく、寂しい日常を望む者も、いない。
「君たち二人には部員の確保に全力を尽くしてもらう」
先生はうつむく千冬を無視して、話をまとめた。
「ただ、君たちに闇雲に声をかけて、部員を集めてこいと言っても無理。だから、絶好のチャンスをあげる」
無表情だった顔に不敵な笑みが浮かぶ。やっぱり怖い。安心させようと思っているならその笑顔、逆効果ですよ。本当、笑顔が下手くそだ。
「今週末。一年生を一斉に集めて、部活動紹介というものが行われる。君たちにはそこに出てもらおうと思っている」
「それって……大勢の前に立って、部員の勧誘をするってことですか?」
「陽太。察しがいい」
「ちょっと待ってください。コミュ障で、陰キャな俺たちにそんなことできるわけないじゃないですか。だいたい、一年生の俺たちがそれをやっていいんですか?」
「できるかできないかじゃなくて、やる。むしろ、学年が同じ君たちの呼びかけの方が、応じやすいかもしれない。それから言い忘れていたけれど、今月中に部員を最低、四人確保できないと廃部になる。廃部だけは何があっても絶対に避けたい」
また、不敵に笑う。
この先生、もしかしたらとんでもないドSなのでは? 廃部にでもなったら、何か恐ろしい目に合わされそうだ。
先生の様子から各所への根回しは既に済んでいて、俺たちが部活動紹介の舞台に上がることは決定事項なのだろう。
どちらかが一人を確保できるかどうか、一人確保できた方の勝利、という低レベルな争いが繰り広げられると思っていたが、廃部を免れるためには俺と千冬で少なくとも二人ずつ部員を確保しなければならない。
さっきから黙ったままの千冬は、俺が「大勢の前」と言ったあたりから信じられないくらいの震度でガタガタと震えていた。
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