第2話 基本的に人とまともに話せない
その後一日をどうやって過ごしたのか、自分でもよく覚えていない。
新しく致命傷を負って、本日二度目の骨折、もとい
それを打ち消すようにイヤホンを突っ込んで、お気に入りの音楽をかけても、どうにも気分が乗らない。
脳内で繰り返される
——ロックなんて、とっくの昔に死んだじゃない。
思い当たるふしがまったくないわけじゃない。たしかに今、流行りの曲にロックは少ない。ロックの大ヒット曲は、ここしばらく生まれていない。
だから、千冬の言葉は一理あるし、図星をつかれたような気がしていた。
結局、俺の高校デビューは、失敗に終わろうとしている。一番大事なスタートダッシュに失敗してしまったのだ。それも大きなマイナスを背負っての失敗。もはや挽回など不可能だ。
どんなときでも魔法のように気分を盛り上げてくれるのがロックだったのに、今はその魔法も力を失っている。
——どうせ俺は、どうやったって陰キャだよ。
不貞腐れながら下駄箱に向かっていると、急に後ろから肩を強く引かれる。同時に両耳からイヤホンが外された。
「
慌てて振り返ると佐々木先生が立っていた。
急に肩を引かれたことや、イヤホンを外されたことよりも、ナチュラルに下の名前を呼ばれたことに驚く。身内以外の誰かに下の名前を呼ばれるのは、小学生以来だ。
「放課後、私のところに来るように言ったはず」
すっかり忘れていた。
「まさか、忘れてた?」
佐々木先生は表情をほとんど動かすことなく、詰め寄ってくる。無表情のせいでどの程度怒っているのか分からない。正直、怖い。
「……そ、そんなわけないじゃないですか」
「そう? なら早く来て」
先生は俺のバレバレの嘘をスルーして背中を押す。
先生の後について、辿り着いたのは、かなり古ぼけた建物の一番奥の部屋だった。
『ロックミュージック研究会』
掛けられたプレートの文字は、なんとも魅力的だ。だが、それを帳消しにするほどこの場所はみすぼらしく、一目で誰からも必要とされていないことが分かる。
「どうした? サッサと入る」
しばらくボーッとプレートを眺めていると、また背中を押された。促されるままに部屋に入ると千冬が一人座っているのが見えた。
「ごめん、待たせた。陽太を見つけるのに少し苦労した」
俺の背中越しに佐々木先生が謝る。と、同時に部屋の扉が閉まる音が聞こえた。
呼び出された理由がイマイチ良く分からない。入学早々、トラブルを起こしたといえばそのとおりなのだが、殴り合ったわけでもなく、収拾がつかないほどの激しい言い合いをしたわけでもない。ただ、盛大にすっころんで仲良く並んで横になっただけだ。
……だけなんだけど、思い出すとまた胸がキリキリ痛む。これはきっと三年間……いや、下手したら一生引きずるやつだ。
「私、呼び出されるようなことをした覚えはないんですけど」
早々に千冬から抗議の声が上がる。
「何をそんなに警戒している? 取って食おうってわけじゃない」
俺と千冬のちょうど真ん中あたりに立って、腕を組んだ先生は不敵に笑った。さっきまでの無表情とのギャップが怖い。この人、笑顔がめちゃくちゃ下手くそだ。その笑顔だけで簡単に人を殺せそう。
「それじゃ、なんなんですか?」
千冬は、怪訝な表情で先生をにらむ。こっちもなかなかの顔だ。絶対、先生に向けていい顔じゃない。
「端的に言って、君たちには指導が必要だと判断した」
「「指導?」」
俺と千冬の声が重なる。
俺の「あっ」という声は、千冬の心底嫌そうな顔のせいで喉にとどまった。相当嫌われているみたいだ。
俺のせいでこいつも死ぬほど恥をかいたはずだ。もしかしたら、ここにこうして呼び出されているのも俺のせいかもしれないのだ。嫌われて当然といえる。
「そう。指導」
「そ、それって、今朝のことで俺たちが問題児認定を受けたってことですか?」
「陽太の場合は、今朝のことがきっかけ。でも、問題児認定ではない」
それを聞いて少しだけ安心する。だが、そうなると何故、そして何を指導されるんだろう。
「
俺の疑問が解消されないうちに千冬が口をはさむ。俺の苗字を覚えていることが意外だった。俺は千冬の苗字を知らない。
「自分で分かるはず。ヒントは自己紹介」
千冬の自己紹介。
自分がやらかして以降、頭が真っ白になってしまい、あとのことは全く覚えていない。
千冬が何も答えないから気になってそちらを見ると、顔を真っ赤にしてうつむいていた。
「あの……何かあったんですか?」
俺が訊くと、千冬は顔を上げてキッとにらむ。それだけでこいつにとって何かとてつもなくよくないことが起こったんだと分かる。しかも、俺のせいで。
「あなたがそれを言うわけっ!?」
「いやいや、恥ずかしながら何も覚えてないんだよ。お前にちょっかい出されて、盛大にズッコケてからは、頭真っ白だったんでね」
「はぁ!? ちょっかいなんか出してないし。それに、あなたにお前なんて言われる筋合いもない」
よくよく考えてみると、いくらなんでもこいつの態度は異常じゃないか? 俺の何がそんなに気に入らないのか。
巻き込み事故みたいな形で恥をかかせたのはたしかに俺の落ち度だし、悪かったとも思う。思うが、それも元を正せばこいつが俺の自己紹介に横やりをいれてきたからだ。こんなに一方的に敵意を向けられるのは納得がいかない。
これだけ敵意を向けられると俺だって気分が悪い。ロックをバカにされた時点で気分は最高に最悪だ。
「あ〜、それはすまなかったね。千冬さん」
「気安く下の名前を呼ばないでくれる? 如月くん」
千冬は、ワザとらしく強調して苗字にくんをつける。
「苗字を知らねーんだから仕方ないだろ? さん付けで呼んでるだけありがたく思え」
「恩着せがましく言ってるけど、下の名前を呼び捨てにする勇気がないだけじゃないの?」
「うっ……」
図星だ。こいつ、今朝といい痛いところを的確に突いてきやがる。苗字を知らないことを言い訳に、名前で呼ぶしかないまではいいが、女子を下の名前で呼び捨てにするのはこんなやつが相手でも相当ハードルが高い。
「どうやら図星のようね」
千冬の勝ち誇った顔の前に、返す言葉が浮かばない。
「……千冬。やっぱり、私の思ったとおり」
ボソッとした小さな声に千冬が「へっ?」と間抜けな声で反応する。
「今朝もそうだった。千冬は陽太が相手なら普通に話せる」
「どういう意味ですか?」
「陽太。本当に千冬の自己紹介を覚えていない?」
首を横に振ると千冬の「ほっ」という吐息が聞こえる。
実のところ、まったく記憶にない。穴があったら入りたいとはよくいうが、あのときの俺は、心に作った新築の巣穴に潜り込んでいた。その巣穴は周りから完全に隔絶されていて、潜っている限り外界の情報は完全にシャットアウトできる。いい物件だろう?
「千冬は、自己紹介で一言も話せなかった」
「え? さっきからベラベラと悪態ついてるこいつが、ですか?」
先生は首を縦に振って肯定する。元気に悪態をつく目の前の千冬からは、まったく想像できない。俺と一緒に大恥をかいたからといって、そこまでの状態になるとはとても思えなかった。
「信じられません」
「私には、陽太と楽しそうに話していることの方が信じられない」
「楽しそうなんかじゃないっ!!」
間髪入れずに千冬の怒声が飛ぶ。楽しそうじゃないのはそのとおりなんだが、そんなに必死になられると、へこむ。
「千冬は、基本的に人とまともに話せない。極度の人見知りであがり症。君たち風に言うならコミュ障。もしくは、陰キャ。どちらにしても、人と話すのが極端に苦手。でも、陽太は例外みたい。千冬が初対面の人間に自分から話しかけるなんて、時間が巻き戻るくらいありえないこと」
オブラートに包む気のない悪口に、また千冬から威勢よく抗議の声が飛ぶかと思ったが、その予想は外れる。
何も言わず嘘のようにうなだれている姿は、無言の肯定だった。
先生の口ぶりから、先生と千冬が今日初めて知り合った関係じゃないことが分かる。身内のような距離感だ。あるいは、カウンセラーと患者。
「私は陽太にそんな千冬の性格をなんとかしてもらいたいと思っている」
「自分でなんとかできるよ……」
「これまでずっとその調子なのに?」
千冬はさらに何か反論したそうだったが「それは……」と言ったきり押し黙ってしまう。
「理由は分からない。けど、陽太となら普通に話せるのは事実。だから、陽太を通じて千冬の人見知りを治療したい」
はっきり治療と言った。そう表現するほど、病的な人見知りなのだろうか。
「治療って……。そもそも、なんで俺がそんなことしなければならないんです? それに俺に何ができるって言うんですか? 自慢じゃないですが、俺だってそれなりにレベルの高い陰キャのコミュ障ですよ」
「なんでかはともかく、方法なら、うってつけのものがある」
全く見当もつかないから黙っていると先生は、また不敵に笑った。
だから、怖いんですって。その笑顔。
「陽太と千冬には、『ロックミュージック研究会』に入ってもらう。拒否権は、ない」
一拍あって、心の声がこだまする。
……えぇっと……ちょっと何言ってるか、分かんないです。
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