第一章 ボーカロイドは陰キャのロックを歌う

第1話 ロックなんて、とっくの昔に死んだじゃない

 陰キャな俺が、自分を変える。


 高校入学は、突然のキャラチェンジに違和感が生まれない絶好のタイミングだ。もっとも、だれも俺のことなど気にしていないだろう。そんなのは分かっている。この違和感対策は、俺自身に対するものだ。


 高校デビュー。


 〇〇デビューは、古来から使い古されてきたキャラリセット方法だ。リセットのタイミングは様々だろうが、なぜか高校進学のタイミングが多い。きっと、高校生こそ青春ど真ん中。青春の本番だからなのだろう。

 俺はこのタイミングで、陰キャから陽キャに思いっきりキャラを変えるつもりでいる。


 陽キャといえば運動部。運動部は陽キャの巣窟だ。運動部というステータス自体が、陽キャのあかしといってもいい。

 でも、俺はサッカーをすれば蹴ったボールが明後日の方向に飛んでいき、野球をすればボールを捕球している間に打ったランナーがホームに帰る。バスケに至っては、図らずもオウンゴールを決めてしまうぐらい運動センスの欠片もない男だ。

 そんな俺が運動部に所属したところで、誰もが無条件に手にできるはずのその証を手に入れることができるとは限らない。


 ──なら、どうするのか。

 俺が出した答えは軽音部。軽音部でバンドを組んで、あわよくば文化祭ライブに出る。


 軽音部にする理由は、三つある。


 まずは、軽音部が文化部の中でもひときわ陽キャ感が強い部活だということ。ソースは俺の勝手な想像。だが、たぶん、きっと間違いあるまい。漫画やアニメで裏付けは取れている。


 そして、俺の唯一といっていい得意分野が、ロックであること。たった一つしかない得意分野を生かせて、かつ陽キャ感を演出することができるってわけだ。まぁ、得意というか好きなだけで、楽器の演奏なんかはできないが、なんとかなるだろう。


 さらに、あの歌声が歌っていた曲がロックだったということ。これまたソースは俺の勝手な推測なのだが、あの歌声の主はロックが好きだ。オリジナル曲でロックを作るほどだ。この推測には自信がある。

 軽音部に所属していれば、ライブに出る以前にどこかのタイミングで彼女を見つけ出すことができるかもしれない。


 我ながら完璧な、名案である。


 しかし、それを達成するためには陰キャな自分を捨てる必要がある。陰キャに愛着はないが、これが俺にとっては死ぬほど難しい。

 痛みを伴うのは疑いようがない。だからといって、簡単に諦めるつもりもない。


 ポジティブな材料を探すとすれば、ロックへの深い愛情だ。俺のロックへの愛情は、軽音部になじむには十分すぎる。しかし、その愛情を表現するためには、やはり陰キャではダメだ。


 なにごともそうだが、最初が肝心だ。最初に陽キャだと思わせることができれば、あとは勝手に訪れるビッグウェーブに乗るだけだ。

 陽キャの周りには自然と陽キャが集まる。



 ところで、新生活というのは誰もが不安を抱え、緊張に包まれるものだ。だが、こと俺に関しては、新生活が特別何か足かせになることはない。計画を邪魔する敵は、俺自身の陰キャという属性のみ。

 それを覆した今、敵はいないに等しい。


 ——そう思ってた時期が、俺にもありました……。


 プランでは、教室に入るなりとりあえず最初に目についたやつに挨拶をかまして、そこから会話の輪を広げていき、最終的にはクラス全体に陽キャな俺を印象付ける……はずだった。


 ってのがまずかった。

 最初に目についたのは、綺麗な黒髪が印象的な女子だった。ここだけ切り取るとむしろ最高の選択肢だと思われるだろう。

 決して、容姿で対象を選んだわけではないことを付け加えておこう。一応、俺自身の名誉のために。


「おはよう! 俺、如月陽太きさらぎようたっていうんだ。よろしくね」


 変に表情を作らず、ごく自然に振舞ったはずだ。

 なのに、黒髪の彼女は俺が見えていないかのごとく完全なスルー。そのまま通り過ぎて廊下に消えてしまった。


 それだけで俺の心はポッキリと真っ二つに折れた。こいつは回復までそれなりの時間がかかる。

 スルーした女子の容姿は、ダメージ量とまったく無関係である。……関係ありません。


 ただ、これくらいのトラブルでプランを変えるつもりはない。ちょっとだけ、回復する時間が必要になっただけだ。




 完全にとまではいえないが、それなりに立ち直ってきたころ、それまで聞こえていた雑音がなくなっていることに気が付いた。

 顔を上げると、さっきまで思い思いに立ち、歩き、しゃべっていた同級生たちが、規則正しく並べられた机に向かって静かに座っている。

 みんなの視線を追うと、いつからそこにいるのか小柄な先生が立っていた。


「私は、佐々木百合葉ささきゆりは。このクラスの担任。よろしく」


 ペコリと軽く一礼をして、無表情のままホワイトボードに自ら名乗った名前を几帳面な字で書いて見せる。


 俺たちとあまり変わらない年頃に見える若い女の担任に、数人の男どもが色めき立った。女子の方も、自分たちとそう年が離れていないと思われる担任を友達候補のように思って、歓迎しているようだ。


「私の自己紹介は終わり。今度は君たちに自己紹介をしてもらう。一人ずつ名前を呼ばれた人から順番に出身中学、好きなこと、高校で頑張りたいことを言う。分かった?」


 佐々木先生は、教室のざわめきに対しても無表情だ。

 どうやら自己紹介をさせられるらしい。今までの俺ならあまり歓迎できないイベントだが、今日ばかりは大歓迎だ。

 ここでクラスでの立ち位置をガッチリつかむことができれば、陽キャの仲間入り間違いなし。

 俺の番までは少し時間があるから様子を見つつ、作戦を練ろう。


 早速、一人目の名前が呼ばれる。


「ぼ、僕は、相澤孝志あいざわたかしです。出身校は……城東中です。えぇっと……好きなことは……」


 やけにもじもじと恥ずかしそうに話す。そんなもじもじしてたいら、君のカーストは下層間違いなしだぞ。相澤くんとやら。

 相澤くんには少なからずシンパシーを感じるが、反面教師にさせてもらおう。


 まず、第一にハキハキ自信を持って話す。難しいが、これはもう腹をくくるしかない。


 自己暗示をかけてみる。ハキハキしゃべる。活舌良く、明るく、快活に話す。ナイスガイだ……俺はイケメンのナイスガイなんだ!!

 気が付くと相澤くんの自己紹介は終わっていた。


 続いて二人目。男子なら一目見て誰もが目を奪われるような可憐な女子が立ち上がる。


「私は、一ノ瀬香蓮いちのせかれん。カレンって呼んでね。出身中学は、咲花中さきはなちゅうで、好きなことはぁ……いっぱいあるけど、今はダンスかな。それから、なんだっけ? ……あっ! 頑張りたいことか! みんなで楽しく過ごしたいとか? でいいのかな? ってことでよろしくね!」


 容姿だけでなく名前まで可憐カレンだ。

 それになんだ? 咲花中って。お花が咲く中学校? カワイイ女子は、出身校の名前までカワイイらしい。 


 勝手ではあるが、カレンちゃんをお手本にさせてもらおう。もしかしたら、俺も少しくらい可憐になれるかもしれない。


 まず特筆すべきことは、自己紹介なんて堅苦しくなりがちな舞台なのにタメ口だったこと。

 陽キャとは、もれなく気さくな生き物だ。なれなれしいともいえるが、トップ・オブ・トップの陽キャは、人を不快にさせないコツをわきまえている。


 ハキハキ自信を持って話すことに加えて、タメ口で話すのも追加しよう。不快にさせないためには、特殊スキルが必要なのかもしれないが、一か八かだ。


 どうせみんなが注目しているのだから、と無遠慮な視線を向けているとカレンちゃんと目が合った。はにかむように、にこやかに笑いかけてくれる。

 

 やだ……。すごく……カワイイ。あの子は絶対性格もいい。

 陽キャになればカレンちゃんと友達に……あわよくば、お付き合いなんてこともありうるだろうか。思わず頬が緩む。


「次、如月陽太」


 ボーッとカレンちゃんを眺めていると不意に名前を呼ばれる。カレンちゃんと俺の間には数人いたはずだが、その間の記憶がない。記憶が飛ぶほど見惚れていたらしい。


「如月陽太! 次は君」


 反応が遅れた俺を急かすように先生の声のトーンが一段上がる。慌てて立ち上がると教室中の視線が集まるのを感じた。


 うわぁ……なにこれぇ……。すっごい緊張する。知らない顔がいっぱい。


 ——ハキハキと自信を持って、タメ口で話す。


「ゔぇほんっ!」


 咳ばらいをして、声を調える。


「如月陽太です……」


 あ……間違えた。思いっきり敬語だ。しかも、声も小さい。長年の陰キャ生活のせいでボリュームつまみがバカになっている。


「出身中学は、横山中。好きなものは、ロック!! 俺と一緒に、バンドやろうぜぇっ!!」


 最初こそ間違えたものの、その先は精一杯ハキハキと大きい声で言い放った。はっきり言って、そこそこ決まったはずだ。なんなら歓声が上がったっていい。

 けれど、待てど暮らせど歓声は聞こえてこない。

 

 あまりの静けさに、みんな恥ずかしがり屋さんなのかな? と思いを巡らす余裕すらある。この世から音そのものが消えたのかと錯覚する。怖い話の類なら俺は聴覚を失っていた、とかいうそういうオチがつくところだ。


 しかし、俺の聴覚はしっかり機能していた。無音を破るようにして後ろから発せられた声をキャッチしたことでそれが分かる。


「ロックなんて、とっくの昔に死んだじゃない……」


 つぶやくようなその声は、無音の教室に響きわたった。

 俺のアイデンティティを全否定するような声。許せない。そう思うと同時に体が動く。


「おい!! 今、なんて言った!」


 振り向いた先には、さっき俺の心を折った黒髪の女子がいた。心底どうでもいいというような冷めた目で俺を見ている。


「だから、ロックなんてとっくの昔に死んでるって言ったの」


「なんだとっ!!」


 思わず身を乗り出す。——っと、何かに躓いて、体が思いっきり前に傾いた。机に腰を強打し、冷たい床が俺を迎えようと手招きしている。

 どうにか致命傷を避けようと、近くにあるものを掴む。けれど、それは有効な手段とはならず、そのまま床に吸い込まれるようにして倒れてしまった。


 腰の痛みに遅れて、頬に冷たい感触が訪れる。閉じていた目を開けると、すぐ近くに綺麗な黒髪、そして雪のように白い肌をした顔があった。その顔がみるみるうちに赤く染まる。黒と赤のコントラストが、鬼を彷彿とさせる。


「えっと……。その……。あうぇ?」


 自分でも何を言っているか分からない。間違いなく黒歴史確定だ。

 教室中を覆っていた静寂が、一斉に笑い声に変わる。

 嘲笑。あるいは憫笑びんしょう。満場一致の笑い声は、ロックをバカにしたことへの賛辞に思えた。


「……陽太、それから千冬ちふゆ。放課後、私のところに来なさい」


 恥ずかしさと悔しさで顔を上げられないでいると、佐々木先生の声が笑い声の隙間をぬって届く。

 その声で俺の隣で真っ赤になっているこの女の名前が、千冬というのだと知った。

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