第14話 The garden of everything

 したいこと? ふふ、なにがしたいかしら。そうね、桜の咲いた屋根のうえで絵が描きたいかしら。

 でも、そとへ出たいなんて考えもしないわ。だってこの庭にも桜はあるもの。桜の園というほどではないけれど。アーモンドの木もあるのよ。ドイツ生まれなんですって。すてきね。旅してきたのよ。

 屋根にはのぼれないけれど、バルコニーがあるわ。手すりにピンクの犬ばらが咲いていてね。かわいらしいわ。午后になると、そこに行くのよ。しばらく座って、庭をながめるの。ええ、ながめるだけ。

 絵はもう描かないのかって?

 描きたいわ、もちろん。でも、ほら。こんなふうになってしまったのだもの。もう描けないわ。さいきん、意識がしっかりしてる時間も短くてね。そろそろ、とおもうのよ。

 こうなってもまだ娘時代のしゃべりかたが抜けなくて。あなたを前にしているとなんだか若返ったみたいだわ。

 服が桜色? あら、ほんとうね。きれいないろ。花びらで染めたよう? ふふ、うまいことを仰るのね。でも、こういう色をつくるに、花びらだけではだめなのよ。木全体をつかうの。ええ、全体を。幹も、皮も、葉っぱも、なにもかも。びっくりしているようね。ご存じなかった? でも、そうなの。こんなほんもののピンクをつくるのには、桜のすべてがいるのよ。

 桜ってこわい花でしょう。

 ええ、こわい花。

 桜の木のしたには、なんてよくいうでしょう。無粋ね。

 それにしても、死んだひとがいることは、そんなにいやなことかしら。この土のうえ、世界中のどこでも、だれもなにも死んでいないなんてありえるのかしら。

 ……桜、きれいでしょう。

 たくさん、庭がぼんやりとピンク色に煙るのよ。そう、無数に、という感じ。風が吹くとね、空気までもぜんぶ、淡いピンクにそまるの。すてきよ。

 一枝いかが? 


     ――――――――――


 わたくしに用ですか? いま、剪定をしているのが見えないとでも? ああ、別に去れとは言っていません。ただ待てと言ったのです。

 ……はい、終わりましたよ。落ちている枝に気をつけてください。なんの用ですか、こんな辺鄙なところに。

 わたくしが、この庭をいつも整えているのかって? 当たり前でしょう。わたくしがやらなければ誰もやらないのですから。枝は伸び放題、草ははびこり放題。か弱い花がすぐに淘汰されてしまいます。

 桜? ああ、春先にはいつも満開ですよ。薄桃の雲が湧きだしたようです。うつくしいですよ。散ったあとの掃き掃除がたいへんですけれど。石の上につもってしまって……。

 すみれを踏まないで!

 一歩もうごかないで、そう、右足を半歩前にだして。

 失礼しました、大きな声をだして。けれど、あなたがそんなところにいるから悪いんですよ。

 生け垣のわきのすみれは、わざと放っておいてるんです。きれいでしょう。清らで、はかなくて、たおやかで。そう、そして、なにより美しい。

 ……意外そうな顔ですね。ヘッセの短篇の少年アンゼルムはあやめに魅せられたのです、わたくしがすみれが好きで、どこが悪いのですか?

 指先がふれれば折れてしまいそうな茎。……そう、ちいさなブーケにして。ほら、美しいでしょう。……夜明けの紫! 束ねるリボンは、あいにくありませんけど。……女性的なものとはあまり縁が無くて。麻紐でいかがでしょうか? ……

 なんですか、その表情は。いらないならいいんです。別にあなたのためではないのですから。

 ……奇麗でしょう? 奇麗なら、もらっておけばいいのです。わたくしが、この庭師がゆるしたのですから。


     ――――――――――


 お祖母ちゃんに会った? きれいなピンクの服を着てる。そう。さくら? そうか、お祖母ちゃんピンク好きだものね。

 僕もさくらは好きだよ。ただちょっと……こわいけれど。

 僕はね、すみれが好きなんだ。すみれ、素敵じゃない? かたまって、まるで未完の詩みたい。そう、あのね、でも、すみれも綺麗だけど、それを大切にたいせつにしてるひとがこの庭にいてね、そのひと自身もね、とても綺麗で……。

 ああ、ごめんなさい、見ないで! 笑わないでね、僕は赤面症なんだ。すぐに赤くなってしまう。あの人のことを口にすると、すぐに顔が真っ赤になってしまうんだ。

 彼女はニールセンの絵みたいだ。知っている、カイ・ニールセン? 北の国の挿絵画家。ロシア皇后のすみれ、という話があって、すみれを守る衛兵の話なんだ。彼女はまるでその衛兵みたいだ。……かんちがいしないで! 彼女はとてもうつくしいひとだよ。だけど、佇まいが、とても凛々しくて……そう……うーん、やっぱり赤くなってしまう!

 彼女には言わないでほしいんだ。片思いにちがいないから。

 ええと、それで? あなたはどうしてここにいるの?

 花?

 ああ、この庭はほんとうに綺麗だものね! 彼女が大切に世話をしているから……いや、ええと、それで! 写真を撮るの? だって、ほら、その大きなカメラ。さくらと、すみれを撮ったの? あそこのあずまやは? ほら、ばらと、ポピーが咲いてる。

 僕と撮りたい?

 なんでまた……そんな、僕なんかが、だめだよ、恥ずかしい……。

 え? これは……雛菊。

 ちょ、ちょっと贈りもののつもりだったんだ。……その、好きな人に……い、いや、なんでもない! そう、これはね、お客さん、そう、お客さんのためなんだ! あなたみたいに、ここを訪ねてきてくれたひとのためのものなんだ! めったにここに人はこない……来ても、ずっと悲しそうな顔をしていたり、泣く人もいる。うるさく騒ぐひともいる。見世物じゃないのに。でも、あなたは違うね。うるさくないし、悲しそうでもない。だから、ほら、これをあなたにあげる。

 あれ、あなた、もう花をもってるの? さくら、お祖母ちゃんのさくらと、えっ、それってすみれ、だよ、ね……。

もしかして…その、あのひとに、もらったのかな……?

 えっ、いやっ、そんな! それはあなたがもらったものでしょう? いいよ、僕は、がんばって仲よくなって……いや、むりかな……。

 じゃ、じゃあ、そのふたつに、彩りでこの雛菊をどうぞ。

 大切にしてあげてね。


     ――――――――――


「先輩、だめですね。なんにも記事になりそうなことはみつかりませんでした。墓地だってのに妙にこぎれいで明るいし、幽霊が出るなんて嘘八百ですね、まったく。とんだ骨折り損でしたよ。次の記事、どうしよう……。

 でも、えらく綺麗なところですね。墓石がなければまるでどこかの庭園みたいだ。みました? あそこの生け垣のわきにすみれが咲いていましてね。踏まれちまってもおかしくない場所なんですが、なんだか妙に気を惹く可愛らしさで。桜もこんなに満開ですし、ばらだって咲いてる。ポピーも……この白い小さい花、なんでしたっけね。ああそうだ、デイジーだ。雛菊。

 この花だけでも撮って帰ります? え、もう撮った? 先輩仕事早いですね。僕、幽霊って写真にうつらないんじゃないかって真剣に悩んじゃって……。

 …………先輩、その花束どうしたんですか?」



                         End.

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