第11話 金銀花

 僕の恋人は銀の髪をしている。

「銀髪じゃない。プラチナ・ブロンド」

 ご丁寧に訂正してくるけれど、僕には違いがわからない。「シルバーなんて、老人みたいだ」不機嫌そうな顔で彼女は続けた。ハスキーな声は、まだ声変わりしきってない僕より低いかもしれない。僕は少しいがらっぽい喉でかろやかに咳をして、彼女の顔をのぞき込んだ。

「うん、解った。でも、かなり白いね」ゲルマン人の色じゃないよね、と、隣に座る恋人のキャスケットのつばを持ち上げて、ゆるくウェーブしたサイドヘアを盗み見る。灰を溶かした銀のまつげに縁どられた切れ長のアイスブルーの瞳が一瞬こちらを見て、すぐにつんと顔をそらされてしまった。たまごのように白い頬に、薄い緑の木洩れ日が落ちかかっている。梢の隙間から降るひかりがふとその影を水玉にそめる。薄い唇が動いた。

「パパがノルウェイ人なんだ。スカンディナヴィアじゃ珍しくもない」

 こともなげに言ったふうだったけれど、パパのところを話すときだけ、ほんのちょっと、本当にちょっとだけ自慢げだった。パパが好きなんだろう。僕は彼女に微笑みかける。「へえ、ノルウェイなら一昨年の夏の休暇に行ったよ。フィヨルドが綺麗だった」

 知ってる、と彼女は目を伏せる。パパと一緒になんども行ったから、と付け加える。ノルウェイのフィヨルドはどこより素敵だろうと、今度はちゃんと誇るように言った。うん、と素直にうなずく。断崖から目にしたノルウェイの大自然っていうのは、図鑑やなにかで見るのとはなにかが圧倒的に、異なっていた。一度きりの旅だけど、はっきり覚えている。我が家の休暇は大抵コート・ダジュールだけれど、これからはノルウェイにしてもらおう。夏の七週間の休暇。彼女も、彼女のパパの故郷に帰ったりするんだろうか。もしそうだったら、いっしょに行くというのも素敵かもしれない。じぶんのルーツのある国に行くというのは、なんて素敵なことだろう! からだの中に、異国の血がながれてるってのは、ときどきとてもぼくをときめかせるのだ――そう、からだのなかにきらめきが燈るように!

僕もじぶんの血について話すことにした。「僕はね、ママがジャポネーゼなんだ。半分。知ってる? ジャポン。東洋の島国」

「知ってる。モネの絵にもある」

 やっぱりつんとして、彼女は云う。うーん、僕は芸術にはうといから、モネなんて睡蓮しかわからない。でもきっと素敵な絵なんだろう。

「ジャポンは黄金の国ってむかし言われてたらしいけど、どうなのかな。ママはあんまり日本にながくいなかったものだから、よく覚えてないらしいんだ」

 ぼくはいま、心底そのことを残念に思っている。ぼくはいちども日本に行ったことはないし、日本のこともよく知らないのだ――彼女は返事をせず、ただ木洩れ日の上の芝を指でなぞって寝転がった。ぼくもその隣に横たわる。草の青い匂いがひときわ強く香って、僕の金の髪と彼女の銀の髪が、芝生の上で重なって広がった。それに指を絡めて、波紋をつくるようにくるくると辿る。彼女の銀の髪が、毛先が水滴のようにきらめいて跳ねた。しばらくそれを見ていて、ふと思い出した。

「スイカズラって知ってる?」

 ぼくの恋人はちょっと片眉を動かして、そこに咲いてるよ、と無造作に親指で、少し離れた野ばらの茂みをさした。目を凝らすと、確かに白っぽくきらきらひかるものがあった。花が咲いてる。少し寄れば、細いつるが絡み合っているのも見えた。ああ、図鑑で見たスイカズラそのものだ。

「あれね、日本語で金銀花っていうんだ。オールとアルジャン。なんでか知ってる?」

 今度は彼女は知ってるとは云わなかった。さあね、とそっぽを向き、眩しそうに目を細めた。小さな鼻の頭が赤くなっている。白い肌が日焼けで痛そうだ。頬にすこしだけ、控えめなソバカスが散っていた。百合の花びらにはいっている斑のようだった。

「あのね、スイカズラは、さいしょは白い花なんだけど、受粉すると黄色くかわるんだ。ほんとうの金みたいに。ぎらぎらしてない、つややかでなめらかな淡い金色。本当だよ。さいしょは透けるようなしとやかな銀で、あまくて美しい金に。変わってしまうんだ」

 ぼくは身を起こして、横たわったままの彼女の頬にそっと指を伸ばした。

 キャスケットをかぶってズボンを履いた彼女はまるで男の子みたいで、細くてしなやかな若い鹿のようだけど、けれども少しだけ、少年よりやわらかい。

 キスをしても、彼女の髪があまい金色にかわることはないけれど。

 ぼくの指先が彼女の頬に触れても、彼女はなにも言わなかった。その指が輪郭をなぞり、小さなおとがいにかかって、ぼくの方へ彼女の顔を向かせても、彼女はなにも言わなかった。

 ぼくは彼女の青い瞳をのぞき込む。フィヨルドの波の砕ける海のような色。その奥にひそむ銀が、まっすぐにぼくを見る。その瞳がふっと閉じられるのをみて、ぼくは自分も目を閉じて、そっと彼女に口づける。目をあけたとき、彼女の髪が、ぼくによって金に変わってしまったらどうしよう、などと思い描きながら。

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