第6話 ある十七歳の肖像

 ある十七歳の話をしようと思う。高校生で、芸術家で、十七歳だったぼくらの話を。


 ぼくは十七歳だった。物理が苦手で、生物が得意だった。写真部に名前だけ所属していた。一人ぼっちではなかったけれど、ただ一人を除いて特定の友人はいなかった。

 明日から夏休みという七月の夕暮れ、ぼくはそのただ一人の友人――仮にSとしておく――に呼ばれて、高校の近くの河川敷に立っていた。夏の湿り気のおおい空気が夏の制服越しに肌にまとわりつき、見えないヴェールをかぶっているようだった。明日から始まる夏休みと、その向こうに待つ茫漠とした見えない未来の気配に、肩胛骨のあたりがそわついた。

 コンクリートの隙間から伸びた、背の高い夏草におおわれた土手は、絶え間なく葉が擦れる音と草いきれと夕暮れに満たされていて、ぼくはそこに立っているだけでなんだかせかいじゅうがこの景色なのだという気になった。今から思えば、当時のぼくも大分詩人だったに相違ない。とにかく、その夕暮れがそのときのぼくにとって世界だった。そのくらい視野の狭い頃だった。

 それから十分ほどしてSが現れたのは反対側の河川敷で、彼はぼくを認めるとすぐに少し離れた位置の橋を渡ってこちらへ来た。美術部の彼は色彩の飛び散った灰色のつなぎとTシャツのままで、白い頬に一刷けうっすらと赤い絵の具がついていた。ぼくが手を振れば、彼は黙って手を振り、コンクリートの土手をぼくの立っているちいさな草原までおりてきた。ぼくは、やあ、と片手をあげたけれど、彼は何も言わずに、少し小柄な体で夏草の群生のなかをぼくの隣までやってきた。

 ぼくらは草の海のなかに立っていた。胸元まで伸びた細い葉は平行脈というやつで、迂闊に触れては切れてしまいそうだった。

 呼び出したにも関わらず、Sは何も言わない。ぼくは神経質そうな彼の横顔を時折見ながら、辺りの風景をぼんやり見ていた。河はさやさやと流れ続けていた。脳内で方丈記の一節を暗誦しようとして、上手くいかなかった。水量は少なくて、泡が立って流れてゆくのは生活排水なのだろうか。それでも魚はいる。鳥もいる。小さく波に揺られて浮かんでいた。ざわりざわりとさざなみのように揺れる夏草とオレンジのコンクリートの土手のうえに、色々な音が混じり合っていた。ぼくはその景色を眺めながら「明日から夏休みだね」と、ただなんとなく言った。

 すると、Sは突然ぼろぼろと大粒の涙をこぼし始めた。ぼくは驚いて、うろたえながら「どうしたの」と何度も訊いた。丈の高い草の茎を踏みしだきながら、何も言わず泣き続ける彼の隣に立った。背骨の浮き出る彼の背をさすり、顔を覗き込んでは、白い頬を伝う塩辛い水に、咽喉が彼の涙で満たされていくような息苦しさを覚えた。Sはやっとのことで、言葉を絞り出した。

「……部活を、辞めた」

 その言葉に、Sの着ているつなぎを見た。上半身は着ずに、腰のあたりで袖を結んでいる。布地の薄くなった膝や袖口に、なすり付けたような絵の具がこびりついていた。放課後、特別教室のある校舎で見かけるSはいつもこの姿だ。校舎の敷地をランニングするサッカー部や素振りをする野球部とは違う姿だが、ぼくは彼のその姿を見るたびに、青春だなあ、などとふざけた、けれどしみじみとした感想を抱くのだ。健康的なばかりが青春ではない。

 ぼくは写真部だが、活動はほとんどしていない。三か月に一度部室代わりの教室で行われる活動発表会に、気が向けば、朝の青空とか、家のペチュニアや道路脇の朴の木などの写真を出す。家にあるデジタルカメラで、発表の前日に適当に撮った被写体はそれなりにきれいで、ぼくはそれで満足していた。数か月かけて、少しずつカンバスに絵の具を塗り重ねていくSとは違っていた。つい先日まで、秋のコンクールに向けた油絵の下描きを木炭でかいていたSは、何度も首を振り、嗚咽混じりの声をあげた。

「辞めたんだ。……辞めた」

 三度、繰り返された言葉は、ぼくの中を通り過ぎて河川敷の夕暮れに流されていった。ぼくは何と言ったらいいのかわからず、ただその体が悲しみに震えるのを見ていた。

……画家のS。昆虫の素描をしている彼のSの横顔を思い出した。彼が見ているのは昆虫ではなく、昆虫のなかに彼の目が見出した美しさだ。日本原色蝶類図鑑をつぶさに眺めているSの瞳には、世界一美しいものが映っている。

Sの絵は独特だ。他人に見せるものでなく、内から溢れてくるものを描く。それはひどく感性的で閉じこもった世界だ。彼はなにかを伝えるために描いてるんじゃない。彼が最も美しいと思うものをみたいから書くのだと、言っていた。ぼくはそれを芸術家的な自己満足だと思った。けれどそれでいいと感じた。伝達手段としての絵画と、芸術としての絵画は別のものだ。……彼は絵画を介して何かを伝えるのでなく、彼が思う絵画の美しさそのものを伝える。その美しい存在を介して、こころの有様をあらわそうという。芸術家たちは、理屈でなく、五感で直感的に美しいと感じるものを生み出そうとしているのだ。絵も、そのための手段に過ぎない。

 ぼくはSとの付き合いのなかで、そのことをなんとなく理解した。彼は、鮮やかな色彩に心酔する。そこに美しさという形のない魂を見つけだすのは、彼自身の芸術家の魂なんだろう。

 おそらくぼくにその感覚はない、と、わずかに泥炭質の土に汚れた爪先を見つめ、分析する。

 どうして辞めたの、と訊くのに、長い時間がかかった。訊こうか迷った挙句に出た声はみっともなく掠れていた。

 Sは何も言わなかった。ただその頬を、絶え間なく涙の筋が伝い落ちていた。睫毛の先に、朝露に似た水滴が光っていた。

「東部展とか、香陵祭のやつとか、やらないの」

 やらないに決まっている。部活を辞めたのだから。地域の絵画コンクールや高校の文化祭の名を挙げると、Sは拳を握りしめた。

 別にSを追い詰めようという気はなかった。けれど、口をついて言葉が出た。「上手いのにさ、なんで辞めるの」大判の緑のスケッチブックに描かれた素描を思い返し、早口で言った。「進路指導でなんか言われたの。そろそろ勉強に専念しなさいとか」

 学期末の試験が終われば、親も交えた面談が行われる。高二の夏休み前だ。本格的に受験準備を始める段階に差し掛かっている。

名前しか知らない大学の名前が三つ並んだ用紙を前に何やら渋い顔をする担任と、我が子の出来の悪さを少々大袈裟に詫びる母の会話を覚えている。ぼくはそれをぼんやりと聞きながら、センター試験ってどんなだろうな、なんてことを埒もなく考えていた。

そしてぼくは言った。

「確かに、受験のこと考えれば絵より勉強のが重要だけどさ」

Sはゆっくりとこちらを向いた。ぼくは彼の様子に戸惑い、一歩後ずさった。Sは、ひどく険しい目でぼくを見た。歯痛を我慢しているような、凄惨な表情だった。

「うるさい」

 銃で撃たれたような衝撃だった。

 言葉は人を殺すことができる、と、身をもって実感した友人の台詞に、ぼくは凍りついて、何も言えなかった。想像もしていなかったSの拒絶に、体だけが死んでしまったかのように動かなかった。唇が細かく震え、浅い呼気を何度も吐き出したあと、ふと言葉が滑り出た。

「うるさいってなんだよ」

 今までに出したことのないような低い声が出て、自分でも狼狽した。どうしてこんなにSが部活を辞めたことで動揺しているのかわからなかった。言った途端、Sは顔を覆い、泣き喚いた。なんとかしようと彼に手を伸ばしたぼくは彼に肩をつかまれ、揺さぶられた。頬についていた絵の具は涙で流れ落ち、水面のように揺れる瞳の中央の穴のような瞳孔が、絶望的にぼくの目を射抜いた。物静かで神経質な今までの彼からは想像もできない姿で、ぼくはその時、初めて人間の仮面が剥がれる瞬間を目の当たりにしたのかもしれない。「受験なんて、」断片的な言葉ばかり口にしていたSが、ふと、血を吐くように叫んだ。「どうだっていいんだ。ただ、ただ僕は、」肩を掴んでいた手がずり下がり、両腕を強く掴まれた。Sの指先が食い込み、顔がゆがんだ。Sはぽとぽとと涙を零しながら、地面に向かって吠えた。

「今、描かなきゃならないのに!」

 ぼくはとにかくSを落ち着かせようと、腕をどけさせるために彼の右手首を掴んだが、また大きく揺さぶられる。落ち着けよ、と言ったが、うるさい、と引き攣れたような声でまた叫ばれた。

「お前は何もつくらないくせに!」

 掴まれた腕を振り払うと、Sはよろけ、草むらに尻餅をついた。草が乾いた音を立てて折れ、地面に転がっていた空き缶やプルトップが露わになった。存外美しくはない地面に座り込んだまま、Sは声を上げて泣いた。哭した、という表現が脳裏をよぎった。ぼくは何もできず、彼の前に立って、泣きじゃくるSを見下ろしていた。白い骨ばった指が、彼にしか描けないものを生み出す指が、つなぎの膝を握りしめ、震えていた。

 ぼくは彼の隣、靴一足分ほどの隙間を開けて、腰を下ろした。Sは何も言わなかった。ぼくは、膝を抱え、Sと同じポーズで、彼の雛鳥のようにちぢこまった姿を見ていた。

 何がこの内向的な友人を激情に駆り立てたのかははっきりとわからなかった。けれど、その引鉄をぼくがひいたことだけは確かなようだった。

 ぼくは立てた膝を抱えて、その理由をあれこれとぼんやり思案した。十七歳の今、Sが部活を辞めなければならない理由はわからない。しかしそれと同時に、絵と文章を描き続けなければならない理由も、ぼくにはわからないのだ。

 いつか、Sが言っていたことをふと思い出した。誰もいない、放課後の教室だった。晩春と呼べる季節だったと思う。窓枠に平行四辺形に切り取られた午後の陽光が、ほのかに漂う塵を金色にふるいだし、教室の床に落ちていた。

 Sは大判の画集を抱え、机に腰かけて、それを読んでいた。ぼくはその背表紙の「ラファエル前派」という文字を見るともなしに見ながら、帰り支度を終えて、窓際に立っていた。

Sは唐突に、大きく開いた画集の頁を指さし、この絵が、と言葉を発した。ぼくは唐突な呼びかけに驚いて、それでも一歩踏み出し、その頁を見た。

 ヨーロッパのどこかの街、屋根裏部屋の窓が開いて、明るい光が室内に差し込んでいる。それに照らされた寝台のシーツは乱れ、そこにひとりの人物が、半身、ずり落ちるような危うい均衡で横たわっている。人物は男だ。赤みがかったブロンドの巻き毛に、白いシャツ、明るい青のズボンを穿いている。少年が青年に移り変わるその瞬間に時を止めた、そんな姿だった。写実画だ。質素な部屋の内装も、服に寄る皺も、床に散らばる紙片も、すべてが写真のようだ。ただ、その青年の肌だけが、奇妙に白かった。

 Sは口を開いた。その時の彼の表情は俯き加減で、光から逃げるように影のなかの机に腰かけていたためにほとんど見えなかった。けれど、その声はよく覚えている。

 Sは、その絵を指さしながら喋りだした。


 ヘンリー・ウォリスの「チャタートン」。

 僕はこの絵を見るたびたまらない気持になる――この青年詩人は、十七歳で死んだのだ。いまの僕と同じ年である彼は、このときすでに、三十一の記事を投稿し名声を博していたらしい。つまりそれは彼が十七歳になる以前からすでに創作活動を完成させていたということだ。彼はペンで闘っていた。そうして、僕は十六歳の頃何をしていただろうか。彼が制作に携わっていた期間、僕が無為に学校で過ごしていた時間は、けして取り戻しようがない。僕は十六歳の青年詩人となることはもはやできないし、十七歳で青年詩人として死ぬこともできない。モラトリアムの延長は僕から取り返しのつかない時間を奪い去ってしまったのだ!

 彼の時間は僕の生きてきた、そしてこれからも生きていく時間よりも短い。僕の半生に彼の生涯の両端がおさまってしまう。僕が彼の人生を浪費するあいだに、なにを成しただろう。こうして絵画となり、後世に語り継がれるようなものを創ったろうか? いや、けしてそんなことはない! 僕は他人に評価されるようなものを描いたことはないし、これからも描けるかどうかわからない。僕は十六歳のときに描くべきものを描かなかった。彼はそれを成し遂げた。彼は勝利したのだ――僕は直感的にこのことが恐ろしく悲嘆に暮れるべきことであると悟ったが、どうしてかその衝動的な感情はいっこうに僕のなかに生まれ出ないんだ。実感がないとでもいうのか、僕は彼の人生の末端に立って、そして彼の死をこえて歩き続けていくであろうことを飲み込んでいるにも関わらず、そのことについて何ら思うことをしなかった。白っぽい客観の靄をかき分けて、その奥底にひそむ絶望にふと触れるのが怖いからかもしれない。しかし僕は確かに気づいている。僕がいま失っているものは二度と取り返しのつかないきわめて重要なことであり、僕はそこにある栄光や誇り、そんなものを今まさにすべて失おうとしている。


 Sはそう言い、本を閉じた。その画集が彼の私物だったのかは知らない。それ以来、その絵を見ることはない。題名も作者名も覚えているが、調べる気はなかった。ただ、Sの言ったことだけを覚えていればよかった。

 今、思い出そうとしても、その青年詩人の顔立ちばかりはどうしても思い出せなかった。

 けれどその青年詩人の横顔は、きっとSによく似ていたのではないかと思った。

 考えているうちに閉じていた目を開けると、もう日が落ち、すぐ隣のSは夜の幕の向こう側にいた。掌を見やれば、ぼくの視界に夜が流れ込んできて、蒼白く肌を浮かび上がらせた。……夏の夜は短い。今は何時だろう。空を見上げると、白っぽい星が、虫食いの穴のように幾つか弱弱しく瞬いていた。

 傍らで力尽きたように膝を抱えたままのSの背を軽く叩く。帰ろう、と。Sは返事も頷きもしなかったが、ゆっくりと立ち上がった。ぼくは彼と一緒に土手をのろのろと登り、道路に出た。住宅地の中を通るそれを、左右に別れて、歩き出した。夏の終わりまで、彼と会うことはない。夏が終わっても、もう会うことはないということは思いもしなかったけど、もうその時のぼくらには予感があったのだと思う。

 その日のぼくは、去り際のSの背を、振り返って見た。ぼくが校内で見かける、美術部の彼の姿のまま、Sは遠ざかっていった。ぼくは目を伏せ、また歩き出した。

 彼はきっと芸術家なのだ、と、なんの解決にもならないことをふと、思った。


 家に帰ると時刻は夕食のそれを過ぎており、母に何をしていたのか訊かれたが、適当に誤魔化して風呂に入った。河川の草原の匂いが染みついている夏服を洗濯機に放り込み、シャワーだけを浴びた。青白い体にぬるい滴が伝い、排水溝に吸い込まれていった。自室に引っこむと、開けっ放しのカーテンから、暗がりに満たされた部屋に四角く青い夜が入り込んでいた。電気はつけず、机の上に積まれたチャート式や単語帳には目もくれず、そのままベッドに身を投げた。このまま寝てしまってもいいと思ったが、今日のことについて考えていると、眠れそうもなかった。タオルケットを掴み、体の側面を下にして、じっと丸まって、あの出来事を反芻していた。

 なぜ彼はそんなに、「今」にこだわるのだろう、と思った。十七歳という今に。

 Sが、絵画などの美しさに執着するのは、彼の芸術家的性質がさせるのだろうとぼくは一歩引いた目線で理解していた。けれど、十七歳の今、あとたった二年足らずの時間すべてを犠牲にしてまで、「今」彼が描かなければならない理由があるのだとしたら、それはなんだろう。彼が本当に傷ついているのは、部活を辞めたからでなく、絵を描くことを奪われたからなのだろうか。

 本当にやりたいのなら、親や教師の言うことなどきかずにやればいいという人は多くいる。彼らは、子供の世界の狭さを知らない――覚えていないのだろう、と考える。家庭と学校で世界が閉じた子供、その両方から否定されれば、それは世界の終わりだ。そのことを、昔子供だったはずの大人は覚えていない。

 青年詩人の死について語っていたSを思い出す。彼は確かに、あの時にも、絵を描くべき時――年齢ということにこだわっていたな、とシーツの皺に指を這わせながら考えた。十六歳のときに描くべきものを描かなかったことを悔やんでいた彼の姿が、記憶の暗がりに佇んでいた。「今」、描かなければならないのに。河川敷で叫んだSの姿で、記憶が上書きされる。

写真というのは、瞬間を切り取ることができる。ぼくは特に意識したことはないが、それはSの言う「今」描かなければならない絵に通じるものがあるのではないか。ぼくは写真部だ。彼が美術部であるように。けれどぼくは、「今」を意識したことはなかった。それが、彼とぼくの、決定的な違いだったのかもしれない。

ぼくは何を言うべきだったのだろう。

 あの絵を見た日、ぼくはSに何も言わなかった。いつもそうだった。二人とも無口で、時折Sが何か、突然に自分の意思を口に出す。溢れてくるものをひたすらに吐き出す彼の隣で、ぼくはただ黙っていた。

その日も、Sの話をききながら、ぼくはぼんやりと、ぶらんこについて考えていた。公園にある、鎖で板を吊ったぶらんこのことだ。

ぼくたちは小学生の頃、競い合うようにぶらんこへ乗ってこいで遊んだ。それはみんな例外でなく、小学校でぶらんこが好きじゃない子なんてひとりもいなかった。

 多くの同級生たちはもうぶらんこには見向きもしない。試しに乗ってみることはあるけれど、もう小学生の頃のように純粋に空へ飛びだすために一心にこぐことはない。

 いつか、高校からの帰り道の途中で昔よく遊んだ公園の前を通ったとき、ふと思い立って入口の近くにある青いぶらんこに腰かけてみたことがある。少し体重をかけるとゆらゆらと揺れた。重心が移動する感覚が、永い時をこえて高校生になったぼくの体に伝わってきたけれど、大きくなった体には違和感があった。背負っていた鞄をおろし、板の上に立ち上がった。昔は足の縦の幅くらいあったはずの板は薄く小さく、ぼくの足はほとんどはみ出していた。踵だけで板の上に立ちながら、ぼくはゆらりとこいだ。鎖をつるしている青く塗装された金属の棒に頭がついてしまいそうだった。振り子運動の支点となる位置に頭部が近いせいで、足元ばかりが揺らいでいるように思えた。少し力を入れてこげば、あっという間に角度が急になり、視界一面をぼやけた青の空が支配した。ぶらんこをこぐ、という行為はこうも容易かっただろうか。サイクルの短い振り子運動を繰り返す自分の姿が滑稽で、空疎に思えた。ぼくの身長と大差ない鎖が描く円のなかに閉じ込められて、空回り続けるだけだった。

 昔、一回転できると信じてぶらんこをこいだ。冬の空を刺す針のような梢の枝につまさきが触れた。立ってこげば、そのままはるか遠い空まで飛んでいけると直感していたぼくたちは、一心にこぎ続けた。けれど結局、ぼくたちは飛べないまま大きくなってしまった。

 十七歳のぼくたちは、昔のぼくたちよりもきっともっと高くこげるだろう。だけどもうぶらんこはぼくたちには小さすぎる。

 夜の光が落ちるベッドの上で、目を閉じた。どうしてこんなことを考えたのか。もっと小さな頃にこぐべきであって、十七歳のときにこぐべきでないぶらんこが、なんとなく、Sの言ったことと重なったのだ。具体的に何が繋がっているのかはわからない。けれどその根底には、同じものがながれているのだろうと感じた。

 大人たちはSが今の時期、勉強をおろそかにしてまで絵をかくことをよくは思わないだろう。Sの絵は職業にできるものではない。どれだけ美しいものをつくっても、それは人のためのものでない。将来につながるとは思えないものにとらわれたまま、子供の世界に生きている。「今」だけしかない

 ぼくも昔、よく絵を描いていた。上手だったわけではけしてないが、好きだった。大きな画用紙を渡されると、その上に、保育園のちびたクレヨンで絵を描いた。自由な、空想の世界を。

 ぼくはけれど、高校生になって、それを忘れた。忘れた、というよりも……失ったのだ。忘れたものは思い出せる。だが失ったものは取り戻せない。ぼくは年を重ね、あの頃持っていたものを失った。ぼくは、勉強や普段の生活を犠牲にしてまで絵を描くことはない。時間を忘れて絵を描いた、保育園の頃のようなことは。

 あの頃はなんでもできた。青い卵の中に衛星を閉じ込め、土星の環のうえにオレンジの木を植えた。みたものを自由に組み合わせて、新しいものをつくりだした。……何に縛られることなしに。

 Sは今でもそれを続けているのだ。

 昔とおなじ絵を、昔よりも上手になった指先で描きつづけているのだ。そして彼は直感している。十七歳のいまにしか描けないものがあることを、Sは本能的に知っている。

 十七歳のぼくたちは、昔よりずっと多くのことができる。だけどもうぼくたちには許されないのだ。

 寝返りを打つ。真剣に見なくなって久しい子供向けの天文図が目に飛び込んできた。なんでもできたはずの頃、飽かず眺めた、天井に貼られたそれを見ていると、胸の奥がちくりと痛んだ。

 高校生らしい「今」を切り取る、「今」の感性を大切にする、大人たちがよく言う言葉だ。けれど同時に彼らはそれを阻んでいる。将来のために、「今」やらなければいけないことがある、と、「今」のためにすることを殺す。Sの絵画は殺された。

 それが間違っているとは言わない。彼らは彼らなりにSやぼくのことを思って言っているに違いないのだ。人並みに生きていくためには就職しなければならない。よりよい就職をするためには、よい大学を目指さなくてはならない。自分の夢を叶えるにしても、勉強しなくてはそれも無理だ。

 正しい。

 タオルケットの薄い布地を抱きしめ、ぼくはひとり呟いた。正しい。

 大人たちは正しいことを言っている。その正しさがたとえ一面的なものであっても、その道を選び、成功したと思っている本人が言うのだから、それはある種正しいのだ。未来のために、十七歳にしかないその瞬間を犠牲にした彼らは、今ある幸せと、その犠牲が等価であると理解していて、だからこそぼくらに、刹那の欲望を我慢して、「将来」のために耐えろというのだろう。

 彼らは十七歳の屍骸だ。

 彼らが十七歳の上にどんな人生を積み重ねていったのか、十七歳のぼくらは知らない。十歳の頃の私は、今の私とは別人だ、と言った絵本作家がいた。そのことを自覚している大人はいるんだろうか。きっと、殆どいない。

 ぼくは自分がそのことを意識しながら大人になれるかは確信が持てない。十中八九、ぼくも十七歳の「今」を忘れ、その上に大学、就職、と、今は漠然としか考えられないものを現実として積み上げ、塗り潰していくのだろう。ぼくは、驚くほど自分の将来が曖昧だった。生まれてからずっと続いてきた学生生活が終わる、ということが、どうしても理解できなかった。……きっと、それでも、時が来ればそうなるのだろう。知らないうちに、ぼくは学生ではなくなっている。きっとそんな風に、摩耗した記憶を捨てていきながら、青春に死してなお、当時描いたぼんやりとした大人の姿を緩やかに追いかける。そしていつか、十七歳の誰かに言うのだ。――「今」を大切にしろ、と。

 Sは恐らく、大人になりきれないままだろう。十七歳のときに逃してしまったものを求めて、大人の皮をかぶった十七歳の屍骸であり続け、そして死んでいく。それは遠い未来のことのようで、もしかしたらとても近い将来なのかもしれなかった。ぼくには彼が大学生となり、働いている姿が想像できなかった。ぼくの中で、彼はずっと変わらず、あの灰色のつなぎを着た十七歳のままだった。遠からず別れることになる友人は、きっとその瞬間にぼくの中で剥製になる。十七歳のその瞬間が死に絶えるのを、蝶のように、貝殻のように、捺花のように、保存する。保存しなければならないのだ。Sが今、絵を描かなければならないのと同じように。そのことでしか、物事に価値が与えられないことを、ぼくらは、よく知っていたのだ。

きっとあっという間にぼくは、記憶の中の肖像だけを思い出すようになる。そして河川敷の夕暮れのことも、投げつけられた言葉の傷も、なにもかも実感を伴わない記号に落としていくのだ。

永遠に続く価値は、死の向こうにしかない。

壁に掛けられた時計の針が、もうすぐ垂直になる。明日になれば、ぼくはこのことを忘れる。十七歳、夏休みの前日、一学期の最後の日。その一日を、ぼくは青春のどこかに埋める。そうして、大人になっていくのだ。

 時はすぎていく。ぼくたちをおいて。

夏が終わっても、ぼくはSと会うことはないだろうと、不思議に確信した。灰色のつなぎを脱いだ彼は、ただの死にゆく何かだ。夏が終わり、学校で見かけたとしても、ぼくは彼の姿をSとは認めない。ぼくは二度と、十七歳の芸術家だったSと会うことはないだろう。

 どうしてあの夕暮れの河川敷で、ぼくとSがああいうふうに別れてしまったのか、今ならわかる。ぼくは、失望したのだ。疾うにぼくが忘れ去ってしまったものを未だにもっていたSが、それを捨てたことに。ぼくは期待していた。自分が失くしてしまったものを、他人に、Sに投影して、彼がその思いを叶えてくれることを、自分勝手に、願っていたのだ。あの瞬間のSの瞳を忘れない。あの、底のない穴のような空洞の瞳孔を。

 時計の長針が、短針を追いかける。あと数歩、三、二、一。重なる瞬間、ぼくは目を閉じ、鮮明な記憶に虫ピンを刺すように、ひとつひとつを強く思い返し、そしてそれを過去にする。ぼくの胸に未だわだかまる気持ちも、すべてにガラスの蓋をして、そしてその上に、「今」を積み重ねていくのだ。

 あの日の十七歳の肖像は、ぼくの中で、永遠の剥製となる。



                        Fin.

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