004.ミミックさんに噛みつきたい!



 ────イズミさんのソレは、もう恋なんだって叫びたい。


 都会の片隅、都市部とも田舎ともすこしちがう街角にわたしの勤める花屋はある。

 昔からここで営業しているお店は古い二階建ての建物で、一回がまるごとお店で二階に事務所がある。昔は二階が自宅だったらしいけど、代替わりする時に改装したらしい。古い廊下はギシギシ言うけど、センスのいい店長が素敵にリフォームして飾り付けているから味のあるおしゃれなお店だと思う。

 わたしは都会に出たくてこちらの大学を選んだけど、この居心地いいバイト先が気に入ってそのままこの花屋に就職した。

 …………うん、気に入ったのは、このお店だけじゃないんだけど。

 お店の隣にはこれまた古い小さな平屋の民家がある。たぶん、ささやかな庭を潰して建て増ししたのだろう、家の三分の一がサンルームという豪快なつくりだ。そして、今は家屋部分が丸まる店舗、サンルームはたくさんの白いテーブルと間にはパーテーション代わりの観葉植物が置かれた飲食スペースになった。

 イズミさんはその隣家でレコード兼ドーナツショップを営んでいる三十過ぎの男性だ。穏やかなイズミさんが────わたしは『わりと大好き』だ。

 両開きのドアが時々開きっぱなしでカウンターの奥でぼんやりしてるイズミさんが見えるのも好きだし、お店の前の掃き掃除で挨拶しながら少し話すのも好きだ。ご近所づきあいでたまに交流もある。でも、一番好きなのは────。


「あっ」

「どうしたの?」

 二階の事務所で休憩を取っていたわたしはそれに気付いて、窓際の椅子をカーテンの影まで引いた。

 実はこの席からは隣のサンルームの一角がよく見える。

 その一部分がわたしにとってとても大切な景色だった。

 サンルームの一番奥に、シマトネリコを並べたパーテーションで区切られたスペースがある。うちのシマトネリコたちが並んでいて、たまにお手入れをするから良く知っている。ダイナミックな樹形にカットされた彼らによってその席はあまり人目に晒されない密かな休憩スポットとなっている。その、なんとなく奥まったそこがお店に客の居ない日のイズミさんの休憩場所、かつ────彼が『歌姫』さんとのひとときを楽しむ場所だ。

 わたしは『歌姫』さんとは直接会ったことはない。でも、イズミさんとの会話の端々に出て来る情報を照らし合わせると彼女が兼業持ちの『歌姫』だと気付いた。それ以来、一方的に彼女を『歌姫』さんと呼んでいる。

 今日も訪れた『歌姫』さんにイズミさんはとっておきの奥の席へ案内して、二人分のドーナツとお茶を持ってくると自然に彼女の向かいへ座った。

「…………ノゾキはよろしくないなあ」

 苦笑を浮かべた友人の忠告にわたしははっと我に返った。

「あっ、ゴメン────って、ノゾキだなんてひどいな!?」

「ノゾキ以外になんて言えばいいのさ」

 一緒にやすんでいたのはこの店のお得意様かつ、わたしの友人だ。さっきまで彼女が注文した花輪のデザインを一緒に選んでいたのだった。

「でも、ふたりの世界って感じですごいよ」

「ふたりの世界ね~? 私にはおばあちゃんと孫にしか見えないけど」

 友人の一言で、急にフィルターが剥がれて無味乾燥な現実が目の前に現れた。

 日差し穏やかな平日の午前中。

 眼下のおしゃれなサンルーム。

 良く磨き上げられた床板の上に並べられた白いテーブルとイス。

 シマトネリコの壁を背に、豊かな白髪の女性と柔和なアラサーの男性が向かい合って穏やかに談笑している。

 そう、『歌姫』さんは七十をだいぶ過ぎたおばあさんなのだ…………。

 今時の七十代は若い。彼女は上品な服装をしているしきちんと化粧もしていて、お洒落なお店のテラスにも浮くことは無い。それでも、若者の多いイズミさんのお店では『歌姫』さんはおそらく最高齢のお客様なのだが。

「でも、あのふたりを見てよ。ふたりだけの、とても穏やかな時間が流れてる」

「確かに仲良さげだし楽しそうではあるね」

 今もまた『歌姫』さんは上品に口を抑えて、イズミさんは目尻の薄い皺を深めて笑いあっている。

「ほら、イズミさんも『兼業』らしいからさ。兼業のひとたちってその役職の姿に見えたりするんじゃないの?」

 サンルームから視線を外して友人に向き合うと、彼女は苦笑した。

「そんなことはないよ。だったら、兼業の人たちの見てる世界はモンスターだらけになっちゃうし、『歌姫』は齢をとっても歌姫でしょー?」

「うーん、そうなのかあ」

 フム、と頷いた友人は人差し指で空中に丸ふたつの眼鏡を描いてノゾくようにイズミさんたちを見た。

「フンフン。間違いなくあのおばあさんは『歌姫』だし、イズミさんは『兼業』持ちだねー」

「だからそう言ってるでしょ」

 思わず少し頬を膨らませて抗議する。子供っぽい癖がどうしても抜けない、わたし。

 目の前のこの友人もまた『兼業』持ちなのだ。しかも、兼業持ちは見ただけでわかるし、相手の職業も調べることができるという。その特技を生かして兼業持ちの人たちを繋ぐグループチャットを作ったりしているみたいだ。

「なんとなーくわかるけど、確かめただけ」

「じゃあ、イズミさんは何の職業なの? 楽師? もしかしてナイトとか?」

「いやー、そいうのは本人の許可ないとなー……」

 素っ気ない友人にわたしはまた頬を膨らませた。

「あっ、やだもう」

 気付いて両手で頬を押さえてから、ずっと気になっていたことを友人に尋ねる。

「ねえ、わたしは? わたしは『兼業』になれないかな?」

 実際はだいぶ勇気がいったが、わたしはできるだけさりげなく尋ねた。兼業はある瞬間に全員が配られたカードではなく日々増えているのだ。だったら、わたしだって、いつか。

 しかし、勇気をもって尋ねたその質問の答えはだいぶあっさりしたものだった。

「ムリかなァ」

「ええ、ためらいなく即答!?」

 取り繕うのも忘れて涙目で叫ぶわたしに友人は困ったように笑った。

「だって、『兼業』だからね」

 首を傾げてみせると、友人はこう言った。

「もし、『役割』を持ったらきっとその『役割』に一生懸命になっちゃうでしょ? だからきっと与えられない」

「え…………」

「カミサマから『兼業』を与えられる人は本業と兼ねることができる人だ。この世界ともうひとつの世界の、ふたつの立ち位置をちゃんと兼ねられる人にしか与えられないんだよ。これは確かなことだ」

「わたし」

 わたしだってできる! そう言おうとしたけど、口の中がカラカラに乾いて言葉を続けることができなかった。喉が張りつく感じがする。

「そうだね、器用じゃないから」

「そうだね」

 タテマエの理由を、友人は黙って受け入れてくれた。

 ほんとうはふたつの立場を両立できない理由はよくわかってしまった。

 わたしは自分に合う職場で働くことができて、だから毎日まあまあうまくやってそこそこ可愛がられて、だから幸せに過ごしていると思う。

 でも、そんなわたしがこの世界で『何者か』と問われたらなんて答えればいいのかわからない。だから、きっとはっきりした『役割』を貰えたら大切にするし一生懸命にその役割をこなすと思う。その時、わたしはこの世界でも『兼業持ち』という存在になれるからだ。

 だけど、友人はそれでは駄目なのだという。

「難しいことを、言うね」

 兼業を持つ人たちは、わたしみたいな人はいないのだろうか。

 世界には、もっとこの世界での自分の在り方をしっかり自覚して毎日生活している人ばかりなのだろうか。

 すこし強張ったわたしの表情を読み取ったんだろう、友人は空中に眼鏡を描く真似をして寂しげに微笑んだ。

「うん。意外と難しいことだし、それができるかはめぐり合わせや生まれ持った性格もあると思う。個性の一つだよ。だから、できたから優秀だとか偉いってわけじゃないし、それこそ幸せってことでもないのさ。もちろん、兼業持ちが優秀な人ばかりってわけでもない」

「ええ?」

「意識して努力して自分を定めてる人もたくさんいるだろうけど、私が見たところ、兼業持ちの自己認識力はもっと自然なものが多いね。きみだって明日にでもすぐに持つかもしれないそんな程度。そして、そんなもん無くたって今も幸せでしょ?」

「そう、かな」

 珍しく厚いフォローをしてくれているのかななんて思っていると急に水を向けられた。

「今を、幸せだって言える人も自己認識以上にすごいことなんだよ」

「そうかなあ」

 そんなの、気持ちの持ちようなんじゃないかって思うけど。

「それに、別にどうしても兼業持ちになりたいわけじゃないでしょ」

「う、うん」

 なれれば素敵だなって思ったけど、絶対なりたいわけでもない。ただ。

「兼業持ちになると、相手の名前が相手の役割で聞こえるんでしょ? イズミさんの職業を聞いてみたいなって思って」

 きょとんとした顔をしてから、友人は大いに笑った。


 あの後、友人に話すキッカケになるよって煽られて、わたしは仕事帰りにイズミさんのお店に寄った。

 ────なんでこうしなかったんだろう。

 別にお店に寄ってもよかったんだ。お洒落な音楽の知識が無くても、ドーナツは好きなわけだし。

「おや、いらっしゃい! 珍しいね」

「えへへ、お邪魔します。イズミさんのドーナツ、食べてみたいなって思って」

「どうぞ、どうぞ! いつでも大歓迎だよ! 嬉しいなあ」

 そう言って、イズミさんはわたしをテラスに案内して。

「…………あっ」

「ん? どうしたの?」

 イズミさんが案内したのは『歌姫』さんがさっきまでいた、あの奥の席だった。

 動揺するわたしを不思議そうに見るイズミさんへ、慌ててわたしは場を繋ぐための言葉を紡ぐ。

「いえ、シ、シマトネリコ! 大きくなったなって思って」

 うまく誤魔化せた気がするのに、顔が自然と赤くなる。そんなの、さっき以上に不自然でしかないのに!

 けれども、イズミさんは穏やかに笑ってシマトネリコの葉を撫でた。

「そうかなあ。毎日見てるとわかんないな。剪定が必要そうなら言って。今度お店にお願いするよ」

「…………まだ、もうちょっとこのままでも大丈夫かも」

「そう? よかった。メニューそこにあるから、好きなの言って」

 開いたメニューには思ったよりシンプルなドーナツの写真が並んで、純喫茶みたいな硬派なドリンク名が綴られていた。

「ええとカフェオレとチョコドーナツで」

「了解。あ。うち、チョコチップとかキャラメル味とかそういうコーヒーとか無かったんだけど、大丈夫だった?」

 キッチンに下がる前に振り返ったイズミさんに言われて、わたしがいつも出勤がてらにクリームを盛ったシアトル系コーヒーショップのドリンク片手に歩いているのを見られていたのだと知る。

「えっ、えっと! 普通のカフェオレも好きです」

「そっか。良かった。ご近所だし、気に入ったら暇なとき来てよ。あ、強制するわけじゃなくて、お隣割でちょっとサービスするからさ」

 おどけてくれたイズミさんのおかげで、わたしは今度は自然に笑うことができた。

「ずっと入ってみたかったんです」

「嬉しいね。いつでも来てくれてよかったのに」

 キッチンの奥からイズミさんの声。

「だって、わたし、歌とかあまりよくわからなくて」

「ドーナツ目当てだっていいんだよ。うちのお得意のおばあちゃんなんか昔風のドーナツが懐かしいってよく来てくれるんだ」

 ────それって、『歌姫』さんのことですよね!?

 びっくりした顔はシマトネリコのパーテーションが隠してくれた。

「そのおばあちゃん、歌の先生だったらしくてさ。とっても歌がうまいし話も面白いんだけど若い人の店は恥ずかしいって長居してくれないんだ。別にうち、そんなことないのに」

「ふええ」

 相槌打つつもりで喉から変な声が出て、慌てて誤魔化すように咳ばらいをした。イズミさんが軽く笑ったのがわかった。

「うちってそんなに緊張する? 別に入ってみればそんなに珍しい円盤も無いし、ドーナツだって無骨な手作りなんだけど」

「いや、なんかすごくて」

 何が凄いんだって自分でツッコミつつ、わたしはようやくシマトネリコの内側を見回すことができた。ずっと空から見ていた特別席は、座ると案外ふつうで秘密基地みたいな印象はそんなになかった。

「そうかなあ。俺にしたらそんなに若いのにお店からグリーンコーディネーターを任されてる君の方が凄いけど」

 突然のイズミさんの言葉にわたしは殴られたようなものすごい衝撃を受けた。

「グリーン…………?」

 小さな呟きはイズミさんに届かなかった。

 わたしはただお花屋さんをずっと続けていて、その延長でお店から色々任されることが増えていて。

 ────わたしは、グリーンコーディネーターだった…………?

 なんとなく続けていてなんとなく流されていて、何もないような気がしていたけど、わたしはちゃんと何かだったのかも。

「そういえば、いつも挨拶ばかりで名前も聞いて無かったよね。今更だけど、名前聞いてもいいかな? キミって言うの、なんだか気恥ずかしくて。俺の名前は知ってるよね?」

「あっ、ハイ」

 カチャカチャと音を鳴らしながらイズミさんが近づく音がする。

 私は慌てて居住まいを直して、イズミさんの方に顔を向けた。

「改めて挨拶するね。俺の名前はミミック。よろしく」

「挨拶が遅くなってすみません。わたしはグリーンドラゴンです!」

 わたしが慌てたせいで被った声に聞き慣れぬ単語が混じる。

 いや、ちゃんとイズミさんの名前は理解できた。でも、それにかぶさるように知らぬ単語が聞こえて、知らないはずなのにそれが何か瞬時に理解できた。

 その後すぐ姿を現したイズミさんがトレイに乗せて運んで来たのは、ふたつのコーヒーとふたつのドーナツ皿だった。

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