003.賢者さんは、正直、大賢者さんの全通に頭を抱えてる
涼やかなドアベルの音。カウンターからそちらを見ると、ドアノブより低い位置に小さな頭がふたつ並んでいた。
「大賢者さ~ん、あっそぼー」
ランチ営業の後片付けをしていたオレは思わず眉間に皺を寄せる。
「あっ、賢者!」
「大賢者はー?」
ガキには敷居の高いはずの純喫茶風の店内に、明らかに慣れた様子で遠慮なく入って来る子供たち。最後だけやけに丁寧にドアを閉めるのは無礼なガキどもにせめてもと施したオレの教育の賜物だ。
「大賢者さんは今日はお休み! 一緒に遊びたいなら、ちゃんと前もってアポイントメントを取れ」
当然の顔をしてカウンターの止まり木によじ登って並んで座る子供たちへ、お冷を出しながらオレがそう言うと彼らたちは唇を尖らせた。
「えーっ、アポイントメント取るのにアポイントメントが必要なのかよ!」
「そしたら、アポポイントメントのアポポイントメント取るのにアポポイントメントが必要になっちゃうじゃーん!」
「お冷よりジュースがいい」
「大賢者はメロンソーダくれんのに!」
「あ、バカ」
────うっせ。しかも、一人アポイントメントって言えてねーじゃねーか。めっちゃ連呼してるけど。
幼稚園児のガキらしい駄々を聞き流していたら、ちょっと聞き逃せない言葉が飛び込んで来た。
「あ? 大賢者はジュース出してんのか」
「ひみつって言ってたろ!」
「あっ、そっか」
焦ったガキは小声のボリュームもじゅうぶんデカい。
「ほー。何杯貰った? 横領ぶん、アイツの給料から差っ引かねーとな」
「このコップに一杯だけだけよ!」
「ちょっとだけ! ちょぉーっとだけ! やめてよ! オッサン!」
ガキどもが空になったお冷のグラスを持ち上げて、または指先で『ちょびっと』を示しながら焦った顔して騒いでいる。
「はー、ちょびっとねえ。ちょびっとってこんくらいか」
ランチのドリンクバーとして出していた水差しを手に取って、空っぽのグラスにオレンジジュースを注いだ。
「ありがとお!」
「ありがとーございます! オッ……賢者さん!」
「やったあ!」
ぱあっと顔を輝かせて調子よくお礼を言うガキどもだったが────一人、すげー調子いいヤツ居ねえか────、すぐに不安げな上目遣いになる。
「これも、大賢者の給料からはらうの?」
「あっ、大賢者、バイト代やすいから『推し』につかうお金足りないって言ってたよ」
「貧乏ひまなしだって!」
────…………へーほー、暇なし? へーええええ。
「あー、気にすんな。これはオレからの奢り。だが、いつも飲めると思って期待すんじゃねーぞ。そういうせこい子どもはオレはキライだからな」
だから、たまには親連れてここで金を使ってくれ…………という本音は、逆に親の反感を買うので言わなかった。まあ、今日のようにジュースやアイスを御馳走になった話をガキどもが家で話すことがあるのか、申し訳無く思った親御さんたちがたまにランチタイムに来てくれたりすることもあるにはあるんだが────ガキのほうも、こっそり外で御馳走になったことを叱られると思っているのか中々漏らさない。期待するだけ虚しくなるので期待しないことにしてる。あと、カロリーがとか躾が云々とか、変に怒鳴り込まれることもあるので余計な事は言わない。
────ハァ。今時、アレルギー確認も必須で、なんでこんなに気を遣いながらタダメシをガキに御馳走してんだか。
ちなみに今いるコイツらは赤ん坊の頃からお出かけ帰りに親と来てる『常連』だからオレンジジュースアレルギーは大丈夫だ。だが、あのガキは魚卵が駄目だったはず。出さないが。
「…………そんで。おまえらは大賢者といつ遊びたいんだ。本人は居ないがシフトだけ見てやる。丸一日休みだとどっか行くかもしれねえし勝手に約束はできねーが、バイト入ってて終わり時間がちょうどよければ逆に遊べるかもしんねえよ」
俺が勝手にアポイントメントを受けるわけにはいかねーけど。
頬杖ついて、大賢者とアポイントメント取りたくてニヤニヤしながらやって来たチビガキどもに胡乱気な眼差しを向けると、ヤツラはすぐに「水曜の三時!」と答えた。
「あー、その日はちょうど三時上がりだなあ…………。まあ、少し早く上がれるようにしてやってもいいけど、その辺は大賢者さんが来てからの話し合いな。無理だったらちゃんと諦めんだぞ」
「うん!」
「わかってるって!」
「きをまわしすぎ!」
…………最近のガキはこういうところが聞き分けがよくてきちんと躾できてんなあと思う。子供の頃から情操教育の番組をアレコレ見てるせいかね。
すると、先ほどよりもっと激しいドアベルの音がした。
「ちわーすっ!」
ガキよりひどい乱暴な開け方でドアを開けたのはウチのバイトの大賢者だ。
「ただいま帰りましたー! 宮城土産ですヨー、ボス!」
いくら教育しても直らない粗雑で粗忽なバイトスタッフは派手な音を立ててドアを閉めた。
「今回もサイッコーでしたよ、ひゅーう!」
「頭痛くなるから、そのテンションやめろ」
あまり厚みの無い紙袋を一個、勢いよくカウンターに乗せた大賢者は室内にいた子供たちに気付いてサッと中腰になった。
「ただいまッ! 中尉、ライラプス、商人どの!」
「おかえりぃい! 大賢者ぁあ!」
「ちょうどいいじゃん!」
「お土産なに~?」
「んふふふ! オマエラへのお土産は定番のふわっふわのカスタード菓子ですゥ!」
「やったああああああ!」
俄然テンションを上げて騒ぎ出すガキども。俺は大きくため息をついた。
「もっと声小さくしろ。あと、そこで跳ねてねーで奥のテーブルに座れ。大賢者もランチの残りのオレンジでいいな」
「店長あざっす!」
大賢者は腰の下でごちゃごちゃ跳ねながらサラウンドで銘々勝手に喋るガキどもを軽くいなしながら、子供らのコップと自分のぶんの新しいコップ、それからランチの残りの水差しを丸ごと盆に載せて店の奥へと移動してゆく。
そんな大賢者の背中を見ながら店主の俺は小さくため息をついて、ドア横に置かれたままのトローリーバッグを持ち上げた。
────今でもあざっすって言うんだな。
などと思いながら。
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