何だこ奴は? と思って重右衛門がそいつの顔を見ると、菊乃に手渡された人相画で見た顔が、すぐ横に有った。その男こそ今回の標的である安本晋也ではないか。男は阿保面をぶら下げたまま話しかける。

 「君は・・・ 誰だっけ? 俳優さん? まっ、いいか」

 想定外の成り行きに重右衛門がモタモタと戸惑っていると、安本は「チッ」と舌を鳴らして不機嫌な顔をした。

 「早く、早く。僕、この後、トーレス大統領に電話しなきゃいけないんだから」

 アメリカ大統領と電話で話すというフレーズは、安本のお気に入りだ。自分が誰かの友達だと自慢するガキと同じ精神構造なので、事ある度に安本はこのフレーズを繰り返す。それを聞いた周りも、彼の望んだ通りの反応を返すので、気持ち良くて止められないのだろう。

 「えぇ!? 安本さん、凄ーい!」

 「トーレス大統領とお友達なんですかぁ!?」

 「いやぁ、友達って程ではないけどねぇ。あははは」

 安本は謙遜して見せたが、実はその通りである。トーレス大統領は安本首相のことを友達だなどとはこれっぽちも思っていない。カツアゲの相手ぐらいにしか考えてはいない、ただの金ズルなのだ。ちょっと強気に出れば、賞味期限切れのミサイルやら戦闘機を爆買いしてくれるし、牛肉や小麦なのどの農産物市場も解放してくれる。しまいには自国の保険市場、医療システムまで乗っ取らせてくれるのだから、いいカモと呼ばずしてなんと呼ぶ? パタパタと振る尻尾が鬱陶しいことこの上ないが、基本的にはお行儀よくお座りしているポチなのだ。

 その下卑た顔を間近で見た時、重右衛門の頭には菊乃の言葉が蘇って来た。そしてそれらの言葉と共に、彼女が抱いていた怒りのような物が、ひしひしと思い出されるのだった。

 「じゃぁ、はいチーズ」と言って、安本は再び重右衛門の肩を抱いた。

 重右衛門は刀に手を添えたが、人前で事に及んではいけないという菊乃の忠告が、彼の動きを止めた。

 パシャッ!

 フラッシュが焚かれたが、重右衛門の表情が硬い。カメラマンが渋い顔をした。

 「あのぉ~、もう少し笑って貰えます?」

 当たり前である。これから斬り捨てようとしている男が目の前にいるのだから。今度は安本が文句を垂れた。

 「早くしてくんなんかなぁ。他にも順番待ってる人がいるんだし。それに僕・・・」不機嫌そうな安倍が、突然笑顔になった。「トーレス大統領に電話しなきゃいけないから! がーはっはっは!」

 「わはははは!」

 「総理、どんだけ~!」

 「がははははーーーっ!」

 会場は大ウケ。安本も馬鹿笑いしながら重右衛門の肩をバンバン叩く。そのアホ面を見ていた重右衛門の心の中では、菊乃の怒りの焔が燻るようにジワジワと延焼していく。そしてそれを鎮火させることは、もう誰にもできないようだ。突風に煽られたかの如く、それらの燻りは一瞬にして火柱を上げた。

 「申し訳ない、お菊どの! もう我慢がならん!」

 肩を抱く安本の腕を振り払うと、重右衛門は一気に抜刀した。そして安本の左肩から右脇に向かって、大きく斜に斬り付ける。

 バサァッ!

 「うがぁぁぁぁぁーー・・・」

 安本が悶絶してもんどり打つと、傷口から鮮血が噴出した。その表情はインチキな興行芝居風で、大袈裟を絵に描いたようなものだ。それを見た周りの芸能人たちは、少々わざとらしいと思ったものの、素人としては及第点を与えても良いと言えるほどの、ベタなリアクションに拍手を送る。

 「わぁーーーーっ!」

 「総理、すごーーーぃ!」

 招待客を楽しませるための、安本総理によるアトラクションだと思った連中は、こぞって彼をはやし立てた。皆、大笑いだ。

 その様子を見た重右衛門は、こう思った。この悪党が死ぬことを、皆が待ち望んでいるというのは本当のことだったのだ。こいつを斬り捨てれば、民が喜ぶのだと言った菊乃の言葉に嘘は無かったのだ。この男に抑圧されていた民には、肚がいえぬ思いが鬱積しているに違いない。ならば、もう一太刀。

 今度は右肩から左脇へ、逆襷に安本を斬り捨てた。

 ズサァッ!

 「ぐぅぉぉぉぉーーーー・・・・」

 再び鮮血がほとばしった。再び歓声が上がった。鬼の形相で宙を掻く安本の両腕が、庭園の桜を背景に不思議なオブジェの様に固まった。歓声と拍手が盛大に湧き上がる。

 「いよっ! 待ってましたぁ!」

 「日本一!」

 「安本屋!」

 重右衛門はいつもの様に、懐紙で刀に付いた血を拭き上げ、それをポーズを決める安本の胸元に忍ばせた。そして刀を鞘に仕舞う際の「カチン」という音と同時に、安本の身体はドサリと崩れ落ちた。その測ったかのようなタイミングの良さと、桜満開の日本庭園というシチュエーションは、まるで黒澤明の映画の一コマの様ではないか。重右衛門は死体役・・・の安本に一瞥をくれると、クルリと踵を返し、無言で立ち去った。

 その美しくも抒情的な情景に、会場にいた誰もが拍手喝采を送った。この『桜を愛でる会』の主催者である内閣総理大臣本人による、全くもって心憎い演出ではないか。その歓声は、いつまでも鳴り止むことはなかった。

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