「ねぇ、思ったんだけど・・・」

 二人は客の途絶えた『文永堂』で暇を持て余していた。秋田から情報が上がってこないので、ここのところ暫く裏稼業は休業中だ。拓海はその言葉の先を促すように菊乃を見た。

「確かに、未来に何が起こるかは判らないから、西があんな惨たらしい事件を起こす前に先手を打って阻止することが難しいのは判る。でもそれが過去になれば、奴のしたことは場所も日時も判ってるんだから、そこから事件や事故を未然に防ぐことは可能なのよね?

 勿論、それが歴史への干渉だってことは知ってるけど、やっぱりあんな大事件が起こることが判ってるなら、過去に干渉することも必要なんじゃないかしらって思うんだけど」

 拓海は困ったような顔をした。ただそれが「難しいことを聞くなぁ」という顔なのか、「こいつ、まだ判ってないのか」という顔なのかは判断が付きかねた。拓海はしばらく考えて、説明の順番を吟味してから話し始めた。

 「過去に干渉することで憤気がどうなるかってことは、取りあえず横に置いておこう。話がややこしくなるからね」

 菊乃は頷いた。

 「問題は歴史への干渉と、その影響なんだが・・・ 俗にいう『歴史の修正力』なんてものは、実は存在しないんだ。そんなものは小説や映画、アニメやコミックを面白くするためのSFチックな幻想に過ぎない」

 「えっ、そうなの?」

 「うん。例えばヒトラーを知る現代人の菊乃が過去に飛び、ヒトラーの血筋を断ち切ったとしよう。その結果、歴史上、ヒトラーが産まれるはずは無いと思うかもしれないけれど、実際はどうやってもヒトラーは誕生するんだ。言い換えるなら、君が過去に飛んでヒトラーの血筋を途絶えさせたから、ヒトラーが産まれると言ってもいいかもしれない。

 じゃぁ君が過去に飛んだりしないで、余計なことをせずただ黙って歴史を見送ったとしよう。するとどうなるか? その時は、当然ながら僕たちが歴史の教科書で学んだ通り、ヒトラーが現れる。つまり、君が何もしなかったからヒトラーが現れたんだ。判るかな?」

 「判るわけ無いでしょ!」

 「つまり、菊乃が何をしようが、或いは何をしなかろうが、その結果が我々の知っている歴史そのものもなんだよ。君は自分が取るべき行動を「今」決定しているわけだけど、君がどういう決断をしたところで、それは歴史の一部でしかない。君がこれからやることは、既に歴史の中に組み込まれていると言った方が良いかもね。

 つまり歴史に関しては、何をやっても基本的にはそれを変えることなど出来ないんだ。何だか過去が後付けで確定している様な、或いは結果が先に有って、後から原因が決まるような違和感を感じるだろうけど、この真理を『歴史の修正力』というロマンチックな表現で言い表しているに過ぎないんだよ」

 「ねぇ、私って頭悪いのかな? 拓海の言ってることが全く理解できないんだけど。ってことはさぁ、つまり私たちは何をやっているわけなの? 歴史は変わらないんでしょ?」

 「はははは。その通り、歴史は変えられない。でも未来はそうじゃない」

 「未来・・・」

 「そう。過去は変えられなくても、未来を変える手段が全く無いかと問われれば、無くはない。それは菊乃も知っているはずだよ」

 「未来は変えられる・・・」

 「うん、今説明したように『過去』に手を加えることによって『今』を変える事は出来ないけれど、『今』に手を加えることで『未来』を変えることは出来る。当たり前の話だろ? あんな悲惨の事件が二度と起こらないように、この世の憤気を下げる。これが僕たちがやっていることさ。逆に僕たちに出来ることは、これしか無いんだ」

 「なんとなく、判った・・・ かな」

 菊乃がポリポリと頭を掻きながら言うと、何故だか拓海も頭を掻いた。

 「実は、もう一つ、話していないことが有るんだけど・・・」

 「何よ、まだ私に隠し事が有るの? そりゃぁまだ経験は浅いけど、もう仲間と認めてくれてもいいんじゃない?」

 「もちろん認めてるさ。それに隠していたわけじゃないよ」

 「じゃぁ何なのよ。潔く言っちゃいなさいよ」

 菊乃は左手で造った拳を、拓海の右肩に優しく打ち込んだ。

 「うん・・・ 実は・・・ 重右衛門さんと秀坊は、君のご先祖様なんだ。つまり菊乃とは血縁関係にあるんだよ」

 「ななな、何ですとぉーーーっ!?」古墳から出土した埴輪のような顔で菊乃が叫んだ。

 「彼らはもう直ぐ、僕たちから得た砂糖と、君が教える・・・ いや、史人さんが教える和菓子作りの知識を使って、和菓子本舗『澁谷』の前身を立ち上げるんだ」

 「どうしてそんなことが判るの? 記録でも残ってるの?」

 「そんなものは残ってないよ。ただ、今僕たちは過去としての江戸時代に、令和の時代からアクセスしている。そうだよね? つまり西暦1250年頃、つまり平安時代末期にも一度、未来としての江戸時代を神蔵一族は経験しているのさ」

 菊乃は驚きの表情を顔に張り付けたまま固まった。慶秋の言っていた血のループのことだ。きっと拓海は、それを遠回しに言っているのだ。

 「だから・・・ この件は、僕の方から彼に話しておくよ。君と重右衛門さんはつまり・・・ そういうこと・・・・・・には・・・ なれないんだって・・・」

 しかし菊乃は首を振った。慶秋が語って聞かせた、悍ましい事件の顛末が菊乃の脳裏を過っていた。時空の狭間に取り残される魂。そんなものを自分が産み出すことなど考えられない。

 「ううん、私が自分で言うよ。だって、それが好意を寄せてくれた人への、最低限の礼儀でしょ?」

 「えっ? じゃぁ、重右衛門さんの気持ちには気付いてたんだ?」

 「うん。まぁね」

 ─重右衛門さんだけじゃないよ。君の気持だってちゃんと判ってたよ─

 菊乃が横を見ると、じっと見つめ返す拓海の視線とぶつかった。菊乃はそれが何だか照れくさくて、思わず視線を逸らす。

 重右衛門だけではない。拓海とだって、何処でどう血縁関係にあるか判らないのだから、血のループが形成されてしまうかもしれないのだ。だからこそ、拓海は一歩退いたまま、決して前に出て来ようとはしなかったのだ。多分これからも。

 ─この私の・・気持ち、どうしたらいいんだろう?─

 菊乃は静かな溜息を漏らした。

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