「お菊とか申したな?」

 山岡頭巾で口元まで隠した武士風の男が、太り過ぎの身体を揺らしながら菊乃を見下ろした。

 「お前は重右衛門とかいう素浪人風情と結託し、砂糖を不正に売りさばいているそうだが?」

 彼女は何処かの武家屋敷だか大きな商家に連れ込まれ、板張りの床から延びる一本の柱に縛り付けられた状態だ。拉致してきた際に、菊乃から殴る蹴る噛み付くなどの暴行を受け続けた三人組は、彼女を柱に縛り付けると、「やれやれ・・・」といった様子で早々に退散し、代わって二人の男が姿を現していた。

 連れ込まれる際にチラリと見た限りでは、海鼠壁に囲まれたかなり立派なお屋敷だ。そんな大邸宅に棲む奴が、どうして自分などを捕らえる必要が有るのか判らなかったが ──ひょっとしたら、ただの人間違いかもしれないという淡い期待を持ってはいたが── なるほど砂糖の絡みであったか。

 「不正って何よ? 何が不正なのさ!? 砂糖を売っちゃいけないって、お触れでも出てんの!? アンタら、こんなことしてただで済むと思ってんの!?」

 相変わらず菊乃の口は減らないようで、自分を取り囲む二人の男に向かって食って掛かった。もう片方の商人風の痩せた男が、憎々しさを隠そうともせずに詰め寄る。

 「お前らのせいで砂糖の値が暴落しちまったんだよ。こちとらいい迷惑だ!」

 商人は菊乃の前で片膝を付くと、右手で彼女の顎をグィと押し上げ、その醜悪な顔を近付けた。菊乃は顔を背けたりせずに、その嫌らしい視線を真正面から受け、愚鈍な狸面を睨み返す。

 まぁまぁと商人を手で制し、二人の間に割って入るようにして、頭巾の男が後を継いだ。

 「しかも我々が入手しておる砂糖よりも、随分と上等な上白糖というではないか? いったいどの筋から、そのような上物を仕入れておるのか、教えて貰えんかのう? 勿論、話の如何によってはその方にも分け前を」

 それを聞いた商人が慌てて後ろから言った。菊乃に分け前が流れては、自分の取り分が目減りすると踏んだのだろう。

 「まさか、このような者に分け前など・・・」

 慌てて振り返る頭巾。

 「馬鹿者! 話を聞き出すための方便じゃ。そんなことも判らんのか?」

 「も、申し訳ありません」

 怒りの籠った声を潜めて、慌てて低頭する商人を叱責する頭巾であったが、時すでに遅し。その会話が聞こえてしまった菊乃は、ニンマリとした不気味な笑みをこぼした。

 「ははぁ~ん。さてはアンタ、越前屋でしょ!?」

 商人風の男は自分の顔を指差しながら「へっ?」と言って固まり、頭巾の肩越しに目を剥いた。

 「ってことは、そっちはお代官ね!? 顔隠したって判るんだからね! この悪代官めっ!」

 「ななな、何を!」

 判り易過ぎるほど狼狽えながら振り返った頭巾に、菊乃が吼えた。

 「判った! 砂糖の値の暴落って、結局、自分たちが売る砂糖が高くて売れないって話しじゃないの!? アンタたちが南蛮船の荷抜け品を売りさばいて、あくどく儲けてることなんて、みんな知ってるんだからね!!」

 勿論、菊乃がそんな情報を握っているはずなど無いが、テレビの時代劇を見れば、おおかたそんな所だろう。というか、菊乃はテレビの見過ぎである。

 「な、何故我々の秘密を知っておる!? 越前屋! 貴様、さては手抜かったか!? えぇい、この出来損ないめ! 手打ちにしてくれよう!」

 腰の刀に手を伸ばす悪代官に、越前屋は涙目ですがり付いた。

 「ととと、とんでもございません、お代官様。天地神明に誓ってこの越前屋、秘密を漏らしてなどおりません!」

 「ではいったい何故、この小娘が秘密を知っていると申すか!?」

 「判りませぬ! 本当に身に覚えの無いことでございます!」

 二人の押し問答をつまらなそうに聞いていた菊乃が割って入る。

 「お取込みのところ申し訳ないけど、私の身に何か有ったら、その辺のカラクリが全部、瓦版に載るよう手配して有るんだから。奉行所に駆け込む手筈も済んでるし」

 目を見開いた悪代官が、腹に据えかねる怒りを無理やり飲み下して横を見ると、今にも泣きだしそうな渋い顔をした越前屋が、ガタガタ震えながらこっちを見ていた。

 「如何いたしましょう・・・ お代官様・・・」

 「う、狼狽えるな、越前屋! 口から出まかせを言っておるに決まっておる!」

 すると菊乃は、本物の悪代官に負けないくらいの悪代官面・・・・を顔に張り付け ──それは菊乃の得意技だ── 越前屋に向かって残忍な言葉を投げ付けた。

 「おバカな越前屋さん。あなたもう直ぐ、そこのお代官様に裏切られるのよ。自分の立場が危うくなったら、トカゲのシッポ切りみたいに見棄てられて、あなただけがお縄を頂戴するって寸法なの。気付いてないのかしら?」

 「なな、なに、ななに、何を申すか、娘! そんなわけ有るはずないではないか。片腹痛いわ。のぅ、越前屋。わは、わはは、わはははは」

 悪代官が振り向くと、越前屋の顔には絵に描いたような疑いの目が穿かれていた。

 「わは・・・」

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