菊乃が拓海の待つ『文永寺』に向かって、そそくさと足を速めて歩いている時であった。笠を目深に被った男衆が三人、突如として菊乃の前に現れた。突然のことに唖然として立ち竦む菊乃に、その中の一人が素早く近付いたかと思うと、突然、彼女の鳩尾みぞおちに拳をめり込ませる。

 ドフッ!

 あまりの激痛に顔を歪め、気を失いそうになった菊乃であったが、こういった状況で都合良く気絶してしまうのは、有りがちな時代劇の中だけである。菊乃は殴られた腹を押さえて、殴った男の顔を睨みつけた。

 「ってぇな! 何すんだよ、おっさん!」

 予期せぬ菊乃の踏ん張りに狼狽えた男たちは、お互いの顔を見合わせる。「あれ? こんなはずでは」というのが、この時の彼らの正直な気持ちだろう。しかも聞いたことも無いような言葉で咬み付いて来るではないか。仕方なしに今度は手刀を菊乃の首筋に打ち込んだ。

 バシッ!

 通常であればこの一撃で女は気を失い、バタリとその場で崩れ落ちるはずである。

 「!!! てめぇ、何のつもりだ!? このジジィ!」

 男たちは「へっ!?」という顔で目を丸くする。その中の一人など、もう泣き出しそうな顔で目をショボつかせているではないか。こうなったら四の五の言っている暇は無い。少々強引だが、有無を言わせず菊乃を抱え上げてしまおうと、別の男が菊乃の身体に腕を回した。

 「あ~れ~、ご勘弁下さいましぃ~」などと菊乃が言うはずが無い。彼女の口から発せられた台詞はこうだ。

 「やめろ、この剥げオヤジ! ザケんじゃねぇぞ、このヤロ!」

 しかも、ジタバタと蹴りが飛んでくる。拳も飛んでくる。菊乃を囲む三人は、みっともなくアタフタするのみだ。

 結局、暴れる菊乃を三人がかりで担ぎ上げ、エッサホイサと運び去る始末。道行く人々も、いったい何の出し物が始まったのかと、ゲラゲラ笑いながら見守る大盛況。これを不始末と言わずして何と言う。

 連れ去られながらも「アンタ、どこ触ってんのよっ!」という菊乃の甲高い叫び声が、江戸の街の雑踏に吸い込まれていった。


 『文永寺』の鐘楼堂には、苛々した様子の拓海がいた。いつまで待っても菊乃が戻ってくる様子は無い。今日のミッションのサポートは拓海に託し、自分は重右衛門の自宅に向かうと言っていた。それが、こんな時間になっても戻ってこないとは・・・ ひょっとしたら重右衛門と・・・

 拓海は頭を振って、その想像を振り払った。そして思わず漏らす。

 「ダメだダメだ。それはダメなんだ、菊乃。僕たちには越えてはいけない一線が有るんだ」

 その一線・・について、まだ彼女には話していなかったことを拓海は後悔していた。

 「もっと早く伝えておくべきだった・・・」

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